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結ぶのか結ばんのか

やっと少し生活に余裕が出てきた。

今日は箇条書き回にします。

・最近4歳児の髪を結ぶようになった。

・私は子どもの頃髪のクセが強かったので親の方針でずっとショートヘアだった。成長するにつれて髪は勝手にストレートになったのだが、一番多感な思春期の頃髪がうねりやすくて、それがコンプレックスだった。女子校に通っていて、周りはみんな私よりもずっと髪が長かったから、一人だけ短い髪で恥ずかしかった。

・しかも、視力が悪くてメガネもかけていた。メガネも今みたいにオシャレなのはなかなかなくて、かなりダサいデザインのものをかけていた。ショートヘアとダサいメガネで暗い青春を過ごしたのだった。

・その反動で大学入学後はアルバイトをして貯めたお金で即コンタクトレンズを買い(親はコンタクトレンズの金は出してくれなかった)、髪も二の腕の半ばに届くくらいまで一時期伸ばしていた。

・メガネも髪の長さも自分の意思で変えられるものではあったから、”私はコンタクトに変えて髪を伸ばしたらめちゃくちゃ可愛くなるんだ!ショートヘアでダサいメガネの私は仮の姿なんだ!”と思っていた。今思うとすごい自己肯定感の高さだ。メガネと髪型さえどうにかすれば自分はめちゃくちゃ美人だと信じていたのだ。

・当然、そうはならんかった。顔が小さかったり脚が長かったりするわけじゃないから、コンタクトレンズに長い髪になっても、まあそれなりに可愛くなっただけで、とびきりの美人にはならなかった。

・でも、思春期を”私はどうせ地味なブスなんだ…”と思って過ごすより、”コンタクトと髪型で美人になれる!”と信じて過ごせたことを、幸いだったと思う。今は自分の容姿を客観視することができるので、自分の顔を”まあそれなりやね”と思っているが、しかし、いまだに客観的な解釈とは別に、私は私の顔のことを”良い”と思っているのだった。呑気な脳で生まれて幸せである。

・そうだ、髪を結ぶ話をしようと思っていたんだった。

・髪を長く伸ばしていた頃はあったのだが、毛先を軽く巻くくらいで特に結んだりはしなかった。当時は病棟で働いていたわけでもないのでヘアスタイルは自由で、長い髪を垂らしていても特に咎められることもなかった。

・働き始めてからは再びショートヘアに戻った。今もそうだ。伸ばしても肩につくくらいにとどめて、それ以上伸びたら切ってしまう。私の髪が長かったのは、せいぜい5年程度だったことになる。

・それが今、毎朝4歳児の髪を結ぶ羽目になっている。娘は髪の長い子に憧れている。髪を伸ばしたいと言うので、オッケー!と返事をしたのだが、長い髪を垂らして幼稚園に行かせるわけにはいかない。

・当然、毎朝髪をブローして結ぶという手間が発生するのだった。正直言って、これが、めちゃくちゃめんどくさい。

・寝癖直しをスプレーして髪をブローし、ブラシで梳かす。髪の流れを作るためにごく少量のワックスを指先につけて、髪を二つ結びにする。4歳児を椅子に座らせて一連の作業を行うのだが、退屈した4歳児は頭を左右に振ったりするので、その度に”じっとして!!”などと注意しながらなるべく手早く髪を結ぶ。毎朝出勤前に悪戦苦闘している。

・35年間、結ぶ必要に迫られるたびに髪を切って解決してきたツケをこんな形で払うことになるとは思わなかった。

・そして、自分自身の心境にも変化が生じつつある。”髪って、結んでいいんだ…”という、ロングヘアの皆さんからすれば”当たり前だろ”以外の感想がなさそうな実感が胸に湧き上がってきたのだ。

・髪を結べることは知識としては当然知っていた。でも、それはどこか遠くの誰かの髪の話であって、自分の辞書には髪を結ぶという項目はなかった。だって、めんどくさいし。ヘアゴムとかわざわざ買うのもだるいし。

・そんなものぐさな私だが、必要に迫られて娘の髪を結ぶうちに、髪が伸びてきた時の解決策として”切る”だけではなく、”結ぶ”が加わった。実際自分の髪を結んでみると、これが結構面白い。私は元々化粧品を買うのが好きだし、洋服を選ぶのも好きだ。自分の見た目というパラメーターをいじくるのが好きな人間なので、”どうやら髪でも遊べるぞ!!”と気づいて、楽しみが広がった。

・とりあえずは一番簡単なくるりんぱから始めています。結んだところにヘアアクセサリーをつけたりして遊ぶぞ。何歳になっても新しい発見ってあるものだなあと思うけれど、私がぼんやりしすぎているだけかもしれない。周回遅れで人生を楽しんじゃうもんね。

Big Love…