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道端で吐くし泣く

こんばんは〜。木曜日の更新だよ。

最近、子どもを産んだ頃のことを思い出していた。

4歳の誕生日もとうに過ぎたし、特に何か育児において節目になるような出来事があったわけではない。今週あまりに仕事が忙しく、noteに書くことがなさすぎて"そうだ、過去の大きな出来事について振り返って書けば楽勝じゃん"と思いついたのだった。

妊娠中を思い返すと、"今ならいっぱい書くことがあるだろうに、何もかも忘れてしまってもったいないことをしたな"と思う。noteの更新を始めたのは約3年前、まだ娘が産まれて1年も経っていない頃だ。出産後、文章を書いてみようと思えるまで、だいたい1年近い時間を必要としたことになる。

Twitterを遡ってみると、妊娠していることについて私はほぼ何も書いていなくて"ふふ…"と笑ってしまう。納得して妊娠したけれど、自分が妊婦であることは嫌だったんだなと今ならよく分かる。納得して妊娠することと、自分が妊婦であることを愛せるかは全く別の話だ。

妊娠中の嫌だったこととして、悪阻が思い出される。
吐き気があまりにひどくて、一時期素麺以外の全ての食物を全く胃が受け付けなかった。付き合わされた夫は毎日三食素麺ばかり食べてしんどかったと後で明かしてくれた(申し訳ない)。

使い慣れたシャンプーの香りも台所の洗剤の匂いもダメで、全部無香料のものに変えた。とにかく何をしていても吐く。電車に乗っても吐くし、スマホを見ても吐くし、一番ひどかった時期は通勤途中の道端でも吐いた(エチケット袋を持っていたのでなんとかなった)。爽やかな朝、駅に向かう人たちに奇異な目で見られたことを思い出す。そりゃそうだ、道端で泣きながら吐いてるんだから。

不適切な感想だというのは重々承知しているが、自分のことを情けないと思っていた。責められる謂れもないのに、情けないと思うのをやめられない。吐き気止めを使っても、体調に気をつけても、妊娠初期の吐き気は一向に良くならなかった。自分で自分を制御出来ないのが初めてで、それを情けないと感じていた。

この頃の経験で、身体が不自由だったり生活が思うようにいかない他者に対する感情が実感を持って大きく変わったことを覚えている。今までもずっと彼ら彼女らに親切にはしてきた(つもりだった)。でも、それは思い返してみると通りいっぺんの親切で、困っている人には優しくしようという道徳に従っていただけのことだった。

弱っている人に優しくして突っぱねられたらどうしようという不安があったが、この頃それがスッと無くなった。他人に優しくするのは、道端でひとり吐いていた過去の自分に対して優しくすることだから、突っぱねられても別に良いのだ。過去の自分なら優しくされて喜んだだろう。そうやって、道端で吐いて泣いていた自分を時を越えて慰めに行く。目の前の人がどう思うかはあまりに気にしないことにして、とりあえず声をかける。私の心の中で、道端にいる過去の私が顔を上げる。幸い今のところ、突っぱねられたことはない。

妊娠中、良いこともあった。その頃の私は女が多い職場に勤めていて、しかも私が一番歳下だった。とにかくみんな親切だった。あの頃、病棟にコールされない限りは医局のソファで横になっていることが多かった。
妊娠中、ずっと体調が悪かったしあわや入院というところまで悪化したこともあった。見かねた秘書さんが日中は使っていない当直室を使わせてくれるよう手配してくれて、仕事の手が空いた時はそこで寝るようになった。

先日4歳の娘が、"ママのお腹の中にいた頃、一緒にお仕事に行っていたねえ!"と言い出したのでびっくりした。

どうやら自分は生まれてくる前はママのお腹の中にいたらしい→ママはいつもお仕事に行っているから、自分も一緒に行っていたに違いない という結論を導き出しただけなんだろうけど、予定日の6週前、法律で定められたギリギリまで働いていた日々が懐かしく思い出された。
そう、あの頃は毎日娘と一緒に仕事に行っていた。娘は病棟のナースコールや同僚の優しい看護師さんたち、それから先輩の医者の声を聞いてお腹の中で育った。

繰り返し洗濯されたせいでごわごわになった当直室のシーツの上で横になって、"この子とこんなに毎日一緒にいることは、生まれてからもそうないかもしれない"とあの頃の私は思っていた。

実際、そうなった。産後3ヶ月で私は職場に復帰している。今思えば結構早い復帰だ。子どもを産んでからのことはまた別の日に振り返りながら書く。

Big Love…