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貴重な泥水の味

試験前最後の更新です。
今日は帰宅後Podcastを聴いていた。

普段はあまりPodcastを聴く機会がないのだけれど、ゲストがダ・ヴィンチ・恐山さんだったので…。半年くらい前から匿名ラジオを聴き始めて、ダ・ヴィンチ・恐山さんのファンになった(匿名ラジオのパートナーであるARuFaさんのことはARuFaの日記の頃から好きだった)。

このPodcastは8月28日に豊洲PITで行われた匿名ラジオ単独イベント(ワイワイはっぴぃトークショー)の前日に収録されている。イベントはかなり大掛かりなもので、私のようなファン歴が浅い者でも”こいつぁ、すげえや…”と思うような、ファンサービス精神に溢れたつくりだった。どこまでがアドリブでどこまでが台本なのか、アーカイブを何度見返しても分からない。当意即妙ってこういうことを言うんだろうな。匿名ラジオは毎週木曜日0時に更新されるのだけれど、寝る前に聴くと2人のやりとりが軽妙かつ面白すぎて目が冴えて眠れなくなってしまう。

新型コロナウイルスの流行もあって数年ぶりの単独イベントだったのだけれど、会場はでかいし演目は多いしで相当準備が大変だったろう。イベントの最初の方でも言ってらしたけれど、彼らは普通の会社員で、働きながら(イベントも仕事のうちではあるけれども)あんな大掛かりな舞台の準備をしたわけで、想像するとちょっと気が遠くなる。

自分が受験生だった頃のことを思い出す。私が高校3年生だった冬、ちょうど冬季五輪をやっていて、女子フィギュアスケートが特に盛り上がっていた。
私は受験のプレッシャーでかなりナーバスになっていた。既に防衛医大の合格が決まっていたのだが、国立の前期と後期の試験に落ちたら防衛医大に進学するように親からは言われていた。私大医学部に行けるだけの金がなかったからだ。
防衛医大はかなり厳しい身体的訓練を積む必要があり、しかし私は体力も根性もなく、そもそもとび箱3段が飛べないほどの致命的な運動音痴であり、50m走は10秒掛けてモタモタと走るような有り様で、成績は足りたがどう考えても防衛医大生としてやっていける自信がなかった。無理だ。絶対無理。しかし、第一志望の国立前期に受かる保証は全くない(以前書いた通り、浪人も禁止されていた。現役受験だけの一発勝負である)。医者になれるなら訓練に耐えるしか…いやしかし…と悶々としながら受験勉強に励んでいた。

プレッシャーで追い込まれると、こんなに辛い思いをしているのは自分だけなんじゃないかと思い始めた。周りの同年代の受験生たちが呑気に見える。私が通っていた高校では私大医学部に行くだけの金をポンと出してくれるような家庭の子がたくさんいて、私は見当違いな憎悪を募らせた。なんで私だけこんな目に遭うんだと本気で思っていた。私は世間知らずの18歳で、底抜けのアホだったのだ。

なんで私だけ、と思いながら受験生だった私は冬季五輪を見ていた。そこで行われる戦いを見ていると心が癒された。世界中の視線を一身に受けながら世界の舞台で戦うアスリートたち。メダル争いに近づけば近づくほどプレッシャーは図り知れぬ重さになり、彼ら彼女らに襲いかかる。人生を賭けた夢の舞台。たった一度きりの勝負の残酷さ。五輪を観ている時だけ、私の受験の重みなど大したことはないと思うことができた。

そんなことを思い出したのは、Podcastでダ・ヴィンチ・恐山さんがイベントに挑む意気込みのような話をしていたからだ。大きな会場で行われる大掛かりなイベント前日の収録で、彼は”ここまでくると緊張とかじゃない”とかそのようなことを言っていた(うろ覚えなのであやふやですみません)。ここまでくると緊張とかじゃないの心境に至ったことがない私は、いたく感心したのだった。

私は本番が近づくにつれて準備に根を詰めすぎて気が狂いそうになるタイプで、とにかく万難を排したい、直前までできるだけのことをしておきたいと力みまくってしまう。力の抜き方が下手くそ。本番が近づくにつれて知識の量は増えているはずなのに、見つかる知識の抜けばかりが意識されて、自己肯定感が地の底に落ちていく。

受験生だった頃もそんな感じだった。恵まれているように見える周りの人間をひたすら恨み、自分の正しさを証明するために受験会場に足を踏み入れた気がする。しかし、34歳のかなり丸くなった今の私には憎悪は全くない。

ならば私を試験勉強へと駆り立てるのは何なのか。ひとつ思い当たるのは、試験当日を楽しみたいなあという気持ちが、はっきりとはしないが私の心のどこかにあるということだ。

試験というのはゲームだ。問題文から正答に辿り着くための要素を最短距離で抽出し、選択肢の中から回答を早押しするだけの、ただのゲーム。私はどちらかというと文章を読んで無意味な思考を捏ねくり回し、自分なりの結論を作り出す作業が好きなのだが(現にnoteではそればかりやっている)、試験はそうではない。

試験は可能な限り短時間で正答に辿り着くゲームだ。試験がゲームなら、絶対に勝ちたい。全てのゲームは勝つためにプレイしている。勝てば楽しいし、負ければ悔しい。スプラトゥーンも総合内科専門医試験も、そういう意味では私の中で同じ場所にある。

当日の試験会場で、すいすい問題を解いて”楽勝じゃん”って鼻で笑いたい。ゲームに勝つためだけに勉強をしているから、知識の抜けを自覚させられて負けの可能性を察知すると落ち込む。
でもまあ、負けは負けで味わい深いかもしれない。この歳になると、負けて泥水を啜るような思いをすることもそんなにないから…。試験会場で負けを悟ったら、せいぜい貴重な泥水の味を限界まで啜って味わおうと思う。

次回の更新は試験後です。多分当日の様子を書くんじゃないかな。あと2日、試験勉強頑張ろうと思います。

Big Love…