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博物館で処世術を学ぶ

週に4回も書くことがあると思うか?どうもこんばんは、日曜日のnote更新です。

週末のあいだ、3歳児の相手ばかりしていると完全に脳が3歳児仕様にカスタマイズされてしまい、大人に向けた言葉が全く出てこなくなる。しかし今日は更新日なので、なんとか脳の奥からそれらしい言葉を引き摺り出して書いていきます。


上野の国立科学博物館に行ってきた。

すぐそばにある国立西洋美術館の搬入口にいた

子どもが生まれる前は、元々生粋のインドア派ということもあって、なんでわざわざ休日に子どもと出かけるなんて面倒なことを…私は子連れ外出なんて絶対しないぞ…と思っていたのだが、最近はもっぱら休日は外出しまくっている。3歳児と2人きりで自宅で過ごすと、とてもじゃないが間が持たないから…。
外に出たいわけじゃない。エネルギーの有り余った3歳児と自宅で過ごすのは、インドア派にとっての苦痛である外出をはるかに超える荒行なのだった。

実際博物館内でまともに見たものは恐竜の骨くらいで、あとは3歳児の興味をひくのは難しかったのだが、3歳児は新しい場所に行くのが大好きなので概ね楽しんだようだった。

ぴったり1mを当てに行く

地下の方にある体験型の展示が面白かった。1mぴったりを当てる測量計は思わず熱中して当てに行ってしまった。なかなかぴったりを目指すのは難しい。

博物館に行って一つ思い出したことがある。幼少期、場所がどこだったか忘れたが、おそらく科学系の博物館で、人が入れるくらい大きなシャボン玉を作る装置があった。

丸い台の周りに金属製の輪のようなものがあり、輪っかはシャボン液に浸かっている。台の外に立っている人が輪を持ち上げると、公園などで遊ぶ普通のシャボン玉と同じ要領で、台の上に立っている人をシャボン玉で包むことができる。

多分、小学校低学年くらいの時に親に連れて行ってもらったのだと思う。シャボン玉に入れるなんて素敵!と思った私は列に並んで順番を待っていたのだが、途中でいかにもお調子者っぽい男の子が台の外に立って、シャボン玉を作る役をずっと買って出ていた。

誰かが台の上に立つたびに、男の子が”ご覧ください!”と言わんばかりに大袈裟な様子で輪っかを持ち上げる。台の上にいる子がシャボン玉に包まれると、男の子は輪っかをもっていない方の手を高く掲げる。芝居がかった様子につられて、列に並んでいる大人たちからは自然と拍手が起きていた。今思い返してみると、なかなかのやり手で、他人に注目されるためのスキルを備えた子だった。

でも、当時の私はその子がすごく嫌だった。なんでわざわざ台の上に乗って、男の子の添え物みたいになって注目を浴びなきゃいけないんだ。私は単にシャボン玉に入りたいだけなんだ。注目なんて絶対にされたくない。

男の子と同じように明るい感じで戯けてみせないと”子どもの資格”がないような、そういう雰囲気がその場には充満しているように思えたし、実際に台の上に乗った子は皆、男の子ほどの戯け方はしないものの、思い思いの可愛らしいポーズを決めたりしていた。ああ、嫌だ。私はシャボン玉の内側から、揺らぐように変化する膜の色を眺めたかっただけなのに。私のせいで絶対に雰囲気が白けてしまう。この列に並ぶんじゃなかったなと本気で思った。

その時だった。シャボン玉装置の近くに立っていた、ひっつめ髪に眼鏡の地味な係員のお姉さんが突然つつつと男の子のそばに寄ってきた。

”はぁい、そろそろおしまいにしようねえ。お父さんやお母さんに輪っかを持ち上げてもらいたい子もいるんだから、譲ってあげようねえ”

あんまり静かに寄ってきて、淡々と男の子を諭したので、温まっていたその場の空気が一気に弛緩した感じになり、男の子もそれを悟ったのか大人しくどこかに去っていった。幼いエンターテナーは引き際も鮮やかだった。結局私は母に輪っかを持ち上げてもらってシャボン玉の中に入ったのだが、内側から見た景色よりもよっぽど、お姉さんの印象は強烈だった。

明らかに陽気で場の中心に当然のような顔で居座る子が、こうして追い払われることもあるんだ…という事実は、私にとって新鮮な驚きだった。私は極めて陰気な人間なので、子ども時代は自分が子どもらしい明るさを兼ね備えていないことについてそれなりに悩んだりした。どうして私は他の子と同じように大きな声で飛んだり跳ねたり、ポーズを決めたりできないんだろう。

大人はみんな、子どもらしい子どものことだけが好きなんだと思っていた。大人に対して常にぼんやりとした不信感があり、そういう不信感が相手にも伝わるのか、私は大人に好かれない子どもだった。そうじゃない大人もいるんだ!あのお姉さんと遭遇して知った事実は、その後長らく私の胸を温めてくれた。私のことを分かってくれる大人も、どこかにはいるのかもしれないと思えた。

そして実際、小学3年生の時にとうとう、”この人なら…”と思える教師と初めて出会えたのだった。演劇と猫をこよなく愛す、私の通っていた小学校では珍しい、変わり者の女教師だった。

小学校1年・2年と担任の教師と折り合いが悪く散々な目にあったのだが、それでも大人に失望せずにいられたのは、あのお姉さんのおかげだったかもしれない。博物館で学べるのは、科学だけじゃない。

Googleで調べてみたら、今でも変わらず行われている展示だった。千代田区の科学技術館だ。他にも小さな子どもの興味を惹きそうな展示があるので、いつか娘と一緒に行ってみようと思う。

それにしても、あの男の子、どんな大人になったんだろうか。年齢は近かったけれど、私とはまったく違う人生を歩んでいるんだろうなあという気がしてならない。

Big Love…