見出し画像

6階の魔女が消えた

先日、私の家を訪れた母から不意に、フキエさんが施設に入ったのよと知らされた。母は孫の相手をしていて、私はちょうど汚れた皿を洗うところで、思わず洗剤を取る手が止まった。フキエさん。もう10年以上も思い出すことのなかった名前なのに、その名を聞いた瞬間、懐かしく遠い光景が甦った。

私の実家は古いマンションの2階にあった。近所には似たようなマンションが乱立しており、3歳になるとそこに住んでいる子たちは皆同じ幼稚園に通った。のばら幼稚園(仮)という名前で、実家から徒歩5分くらいのところにあった。のばら幼稚園の真隣にもマンションが建っており、そこの10階に住んでいるのが遥子ちゃんだった。

母の話を聞く限り、私はひどく陰気な子どもで、同世代の子どもたちと話すのを嫌がり、家では何時間もじっと同じ場所に座って本ばかり読んでいたらしい。特に大きな声を出す男の子が苦手で、同じマンションに住むガキ大将タイプの雄介くんのことが大嫌いだった。同じエレベーターに乗らなければならない時は母のスカートの裾を引っ張って次のエレベーターに乗ろうとしていたと母は言う。のばら幼稚園でも完全に浮いており、幼児なりに登園が億劫だったことはなんとなく記憶している。

そんな中でも、遥子ちゃんとは週末になるたびに一緒に遊んでいた。のばら幼稚園にいる平日はあまり口をきかなかったが、土曜日や日曜日になると、決まって私たちは一緒に遊んだ。遥子ちゃんの家でも、私の家でもなく、遥子ちゃんのおばあちゃん、つまりフキエさんの家に遊びに行くのがお決まりのパターンだった。

遥子ちゃんのママは当時は珍しいキャリアウーマンで、有名な出版社で働いていた。週末も仕事で忙しく、遥子ちゃんは大抵フキエさんの家に預けられていた。フキエさんは私と同じマンションの6階に住んでいて、遥子ちゃんと私がトランプやお絵描きをして遊ぶのをいつも付かず離れずの距離感で見守っていてくれた。

フキエさんの家に入ると、間取りは実家とほぼ同じはずなのに冒険しているようなドキドキ感があった。埃っぽい本がたくさん詰まったガラスの扉付きの本棚、古めかしい花柄の色褪せたカーペット、あらゆる場所に視線を遮るように置かれた葉を青々と繁らせる観葉植物。

中でもとっておきは、リビングルームに備え付けられた濃い茶色の衝立だった。籐で出来たそれは150cmくらいの高さがあり、最上部に蓮の花があしらわれていた。台所に近い手前と大きな窓に近い奥が衝立で遮られており、手前には栄養剤の入った瓶などが入った生活感溢れる食卓があったが、奥は全くの別世界だった。

そこには白いクロスの掛けられた丸テーブルとセットになったふかふかの安楽椅子、アンティークのティーセットの入った棚が置かれており、およそ生活感を感じさせるようなものは何もなかった。私と遥子ちゃんが書斎で遊んでいる時、フキエさんは私たちに必要以上に構うこともなく、衝立の向こうで夕陽を浴びながら静かにお茶を飲んだり手紙を書いたりしていた。思えば、大人が自分のためだけに作った神聖な空間を目の当たりにするのは、その時が初めてだった。

そもそも、私が遥子ちゃんと遊ぶようになったのはフキエさんの口添えがあったからだった。当時の私は陰気で運動も勉強も苦手で、ぱっとしたところが全くない子どもだったから、本当に誰も友達がいなかった。一方、遥子ちゃんは華やかで気が強いタイプの子どもで、いつも周りに数人の子分を従えていた。キャリアウーマンのお母さんは遥子ちゃんの友達を厳選していて、もっぱらその選択基準はおばあちゃんであるフキエさんに一任されていた。遥子ちゃんと遊びたがる子どもはたくさんいたが、フキエさんのお眼鏡に適った子どもは私だけだった。

今でも忘れない、”紺ちゃんはとても賢い子だから、遥子の友達でいて欲しいの”という言葉。

当時、親を除けば周囲の誰も、私のことを認めてくれなかった。運動が苦手で頭の働きも鈍く、陰気な女の子を誰が愛してくれるだろうか。そんな冴えない幼年期を送っていたから、フキエさんから与えられた全く根拠のない承認は子供心に強く響いた。当時、私の家にはしばしば母方の祖母が遊びにきていたが、私は私の本当の祖母よりもずっと、フキエさんの方が好きだった。

遥子ちゃんは地元の小学校に進学し、私は唯一合格をくれた私立の小学校に通うことになったから、小学校に進学した後は交流も途絶えてしまった。遥子ちゃんに会わなくなっても、フキエさんとは顔を合わせるたびに挨拶をしたし、その辺の道端で足を止めて近況について話すこともあった。

とにかく、赤の他人に過ぎない私のことをいつも気にかけてくれた。私立の小学校に通ってからも、私はクラスで一番愚図だったし、他のみんなができることがうまくいかないことも多かった。家から電車で1時間はかかる学校からの帰り道で重いランドセルを背負ってしょげていても、フキエさんの姿を見ると、心にぽっと火が灯るような感じがあった。あの人は私を認めてくれた。あの人にとって私は賢い子なんだという事実は、その後もずっと、私の心を静かに温め続けてくれた。

成長し、自分に合った勉強法が身に付くにつれて、私の成績は伸びていった。志望校の医学部が合格圏内になる頃には周囲の私を見る目も変わった。そうして医者の仕事に就き、実家を離れてもう10年以上が経つ。フキエさんのことは長いこと思い出すこともなかった。

認知症が進み、自分がどこにいるかも分からなくなってやむなく施設に入られた、と母から聞いた時、私はとんでもない不義理をしてしまったと思った。フキエさんは、まだ何者でもなかった私のことを最初に認めてくれた人だった。社会で誰の目にも分かりやすい実績を積み、医師だの妻だの母だの、色々なラベルをべたべた貼り付けた私を丁重に扱ってくれる人はそれなりにいた。でも、ただの愚図で陰気な幼児だった頃の私を見出してくれたのはフキエさんだけだった。

施設に入られてから、あの6階の部屋は誰も住まずにそのままになっているらしい。蓮のあしらわれた衝立の向こう側で、いつもひとり静かに過ごしていたフキエさん。彼女がただ、私を信じてくれたことで、何の取り柄もなかった私に魔法がかかってここまで来ることができた。

彼女は私が人生で初めて出会った魔女だった。大人になった今こそ、衝立の向こうの彼女に逢いたい。赤の他人である1人の少女に、あなたは勇気を与えてくださいました。今度は私が、未来を生きる子どもたちに、同じようにしてあげたいと強く思います。




今年の更新はこれが最後になります。思えば、自分の人生のターニングポイントには必ず女性の姿があり、彼女たちが私に魔法をかけてくれたことでここまで来ることができたという実感があります。来年はそんな魔女たちの話についても書いていければと思っています。

今年も紺のnoteにお付き合いくださりありがとうございました。2022年はどんなに忙しかろうと鋼の意思で毎週木曜日の更新をやっていく予定ですので、引き続き見守ってくだされば幸いです。それでは、良いお年をお迎えください。


Big Love…