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”おんなぎらい”のフェミニズム

”入学式の祝辞なのに、女性に呪いをかけているように私には感じられる。弱い者が弱いまま受け入れられる社会に、と言うが、女性は弱くて可哀想、という認識が根底にあるんじゃないか?私はむしろ、弱くて可哀想だなんて思われたくない 弱いまま受け入れてあげる、とも言われたくない”

フェミニズムという言葉を避けてきた。女であるがゆえの不利益など、一度も被ったことがないというのが私の誇りだった。

12年間、ミッション系の女子校に通っていた。今思い返してみると、お嫁さんになるのを夢見る子たちが半分ほどを占める、時代錯誤も甚だしい学校だった。読者モデルや社長令嬢である華やかな彼女たちをなんとか見下したくて、これといった取り柄のない私は勉強を頑張った。かけた時間のぶんだけ成績は上がり、中学校までは真ん中くらいだった順位は高校に入ると常に一桁をキープするようになった。

高校3年生のとき、同じく医学部を志望する顔の造作の美しい子が、今回は随分テスト勉強を頑張った、と言いながら私のもとに来た。彼女の手には、藁半紙で出来たテストの回答用紙が握られていた。ねえ、紺ちゃんは何点だった?そう訊かれて、満点だった、と正直に答えた。97点だった彼女の悔しそうな顔を、10年以上経った今でも私は鮮明に思い返すことができる。

華やかさからは縁遠い12年間だった。顔の造作でも、持ち物の値段でも、私は同学年の女たち全員に負けていた。事実がどうだったかは知らないが、少なくともあの頃の私にとってはそれが真実だった。点数で殴りあうゲームに勝つことだけが、あの学校で私が私自身を許す唯一の方法だった。私は地道に泥臭く勉強を続けて、そのままの勢いで第一志望だった医学部の入学試験を突破した。

医師になるのが長年の夢だったので、医学部に入ってからは点数にはあまり拘らなくなった。今までは校内で一番じゃないと気が済まなかったけれど、医学部ではそこそこの成績で、留年せずに医師国家試験に受かればそれでいいやと思っていた。無難に試験をこなして、無難に卒業した。結婚相手も医師になったので、働き始めてからは職場でも家でも医学の話ばかりしていた。充実した生活というのはこういうものなんだろうなという実感があった。日陰者として生きてきた12年間の傷が、徐々に癒えていくのを感じた。

地味で暗い青春時代に耐え、自分の力で入試を勝ち抜き、医師になる夢を叶えた。医師としての生活は文字通り、寝る暇もないくらい忙しかったが、全く苦にはならなかった。家に帰れば気の合う同僚のような夫がいたし、職場で真面目に働けば働くほど、周囲からの評価は上がった。そこにはプライベートと仕事の明確な区別がなく、”医師として働く私”というアイデンティティが生活を貫いていた。

容姿や家柄、そういった自分の力ではどうしようもないことでヒエラルキーが決まってしまう世界から、自分の力で抜け出したという矜持は、長いこと私をしっかりと支えてくれた。女だけの世界から逃げたその先にあったのは、男と肩を並べて男並みに働く世界だった。


2020年7月、私は『文藝』を初めて手に取った。世界の作家は新型コロナ禍をどう捉えたかというテーマで川上未映子がエッセイを寄せており、『夏物語』に夢中になった私は彼女が何を書くのか、強い関心があった。

表紙に橙色の文字で大きく記された”シスターフッド”という言葉について、私はよく知らなかった。川上未映子目当てに買っただけだし、シスターフッド特集は読んでも読まなくてもどちらでもいいかなあ。そう思いつつも、びっしりと並んだ文字の誘惑に抗えず(私は文字があると読まずにはいられないタイプの活字中毒である)、私はシスターフッドに関する頁をぱらぱらとめくった。

ここで話は冒頭の引用に戻る。

”入学式の祝辞なのに、女性に呪いをかけているように私には感じられる。弱い者が弱いまま受け入れられる社会に、と言うが、女性は弱くて可哀想、という認識が根底にあるんじゃないか?私はむしろ、弱くて可哀想だなんて思われたくない 弱いまま受け入れてあげる、とも言われたくない”

何を隠そう、この不遜な発言は数年前の私自身がTwitterに投稿したものである。あまりに有名なあの祝辞について触れた内容であることにお気付きの方もいらっしゃるだろう。

”あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。”
ー平成31年度東京大学学部入学式祝辞より引用

この祝辞を初めて目にした当時、弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想、という一節が気に入らなかった。しかし、そんな私ですら、この祝辞を馬鹿馬鹿しいものとして鼻で笑うことは決してできなかった。東京医大における不正入試問題について触れていたからである。

”選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。”
ー平成31年度東京大学学部入学式祝辞より引用

私にとっての医学部入学試験は、地味で暗い青春に降りてきた一本の蜘蛛の糸だった。あの試験が平等でなかったとしたら、自分がそのせいで不合格になっていたとしたら、私は決してその不正を許せなかっただろう。

そして2019年、私は娘を産んで母親になった。育児が始まってから身に沁みて感じるのは、ワンオペ育児になりがちな現代日本で母親が感じる孤独の重さである。

幸い、夫や母親や保育園の先生方の助けを借りて、私はなんとか健やかに過ごすことができている。しかし、もしも私がシングルマザーであったとしたら、母の助けを得られなかったとしたら、保育園に落ちてしまっていたとしたら、私はこうして心穏やかに文章を綴ることができていたか、と考えると答えは絶対にノーだ。

シングルマザーによるネグレクトのニュースを見ると、他人事だとは思えなくなった。この国において、ひとりでこどもを育てなければならない状況に追い込まれるのは、男性よりも女性のほうが圧倒的に多い。かつて矜持に支えられてしっかりと立っていたつもりの場所がいかに危ういものか、こどもを産んでやっと気がついた。板一枚踏み外せば、あっという間に濁流に飲み込まれて死んでしまう。

妊娠する側の性であること、性加害を受けやすい性であること、家庭に閉じ込められやすい性であること、そして家庭での労働は経済的な価値に還元されづらいこと。どれも努力や自衛、産まないという選択などでどうにかなることじゃないかと嗤う人もいるだろう。かつての自分が似たような考えを持っていたからよく分かる。しかし、シングルマザーの苦しみを我が事と感じ、ネグレクトで死んでしまったこどものニュースを見て涙した時から、私はかつての考えをきっぱり捨てることにした。

”シスターフッドを構築する一人の人間からまだ見ぬ同胞たちに対する挑発として、女性同士の関係であるというだけでシスターフッドと呼ぶのはやめるべきだと言いたい。
(中略)
あらゆる差別と抑圧の打破を志向し、背中合わせに理念を共有し、フラットなまま小目標ごとに離合集散を繰り返す独立攻性の連帯こそ、今必要とされるシスターフッドであると、私は信じる。”
ー『文藝』2020年秋号 蜂起せよ、〈姉妹〉たちより引用

女性だからという、ただそれだけのことで連帯するのはとても無理だと諦めていた私にとって、『文藝』に掲載されたエッセイは衝撃的だった。女同士、ずっとべったり一緒でなくても、離合集散してもいいんだと知ったとき、すっと気が楽になり、初めてフェミニズムについて学びたいと思った。

男社会で男並みに働くことを良しとしてきた私は、いわば”おんなぎらい”の女であり、フェミニズムについて語る資格はないと思っていた。今でも、育児が辛いと思うたびに心のどこかで医師の仕事と比べてしまう。どちらが辛いかな、と天秤にかけて、育児のほうが辛いな、と思うとほっとする。男並みの働きよりも辛いのだったら、育児だって立派な仕事だと思って安心する。それは私の中に、経済的な価値に還元されづらい育児や家事に対する侮りがあるからで、自分のそんなところに心底がっかりする。馬鹿馬鹿しい、何の意味もない比較だ。しかしそれほど、私という女が”おんなぎらい”と和解するのは難しいのだと思う。

フェミニズムとは、弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想だ、と上野千鶴子は言った。それは恐らく男社会への要請なのだと理解しているが、何よりも私自身はまず、自分の中にある”おんなぎらい”と戦わねばならない。

”実のところ、私は拙文の中でシスターという呼びかけを繰り返し用いながら、迷いを捨てきれずに来た。シスターと呼びかける営みが、自らをシスターであると思えない誰かを排除するのではないかという懸念があったためであり、同時に自分自身がシスターへの同期に対して相当の痛みを覚えていたからである。女性性と集団について、私はいつまでも違和感を持っている。
その上で、私はやはりシスターフッド概念の利用価値は今も存在していると言いたい。すでに社会のあちこちに存在するシスターに対して私が呼びかけているのではなく、私の呼びかけが読者をシスターにするのだと言いたい。”
ー『文藝』2020年秋号 蜂起せよ、〈姉妹〉たちより引用

参考文献:
上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』朝日文庫
上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』文春新書
遥陽子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』ちくま文庫

Big Love…