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末期をめぐるトラブルについて

先日ふじみ野市で、人質になった医師が死んだ。ニュースを知ったのは立て篭もりが始まった翌朝のことで、犯人確保の速報テロップが出るのを確認してから慌ただしく出勤した。第六波の真っ最中で、その日も朝から発熱外来の予約がぎっしり詰まっていた。仕事の合間にTwitterを確認すると、医療ミスがあったから殺されたんだとか、ワクチンの副反応で亡くなった患者の遺族が恨みを持って発砲したんだとか、憶測の域を出ないどころか侮辱レベルのツイートがいくつも検索に引っかかった。遺族の家を訪れた医師が殺されてしまったということだけがその時点では事実で、背景にどんな事情があったとしても、医師として働く身としては大きな衝撃だった。

犯人と医師の間に何があったのか明らかになってくるにつれ、恐らく医師側には責められるべき理由がなかったことがニュースで報道されるようになり、侮辱レベルのツイートも(私の観測範囲内では)すっかり姿を消した。

私が訪問診療に携わったのは、研修医2年目の地域実習と、専門に入った後の3ヶ月程度の短い期間だけだ。研修医2年目の実習は上級医の後にくっついて、1ヶ月間色々な家に上がり込んだ。訪問先の中には、いわゆるゴミ屋敷のような家もあった。実習が終わって家に帰ると、いつも靴下の裏が黒く汚れていた。地域実習は夕方5時には終わったので実動時間は大したことはなかったのだが、他人のテリトリーに出入りすることで感じるストレスは思いの外強く、毎日ぐったりと疲れていた。研修医を終えると私は訪問診療の道を選ばず、地域の中核病院で勤務医として働くことにした。

これで訪問診療とはきっぱりお別れだと思っていたのだが、研修を終えて専門に入ったまさに初日、前任のT先生から訪問診療の患者であるOさんを引き継ぐことになった。当時勤めていた総合病院では細々と訪問診療も行っており、9割以上の医師がそれに携わることはないものの、ごく稀に担当を引くケースがあり、研修医から上がったばかりだった私に何故か白羽の矢が立った。

前任の医師であるT先生は5年以上Oさんを担当しているベテランだった。92歳のOさんが外来に通院していた頃から診療を担当していた経緯もあり、信頼も篤く、T先生が家を訪れるのをOさん一家はいつも心待ちにしていたとのことだった。

初めて訪問に向かう車の中で、いかにT先生が人格的にも能力的にも素晴らしい医者だったかを担当の看護師から聞かされ、私は震え上がった。私は専門に入りたてで、医師としての威厳皆無のただの若造だった。がっかりされるだろうなあ、申し訳ないなあ、と思いながら初回の診療に向かったが、Oさんの娘さんたちは嫌な顔もせず優しく出迎えてくださったので恐縮した。Oさんの奥様はすでに他界しており、娘さん2人が交代でOさんの世話をしていた。前任のベテランT先生と比べれば、まっさらな状態から関係を築いていかねばならず、娘さんたちからすれば不安な対面だったと思う。

Oさんに対して、私がして差し上げられることはほぼなかった。病状は92歳の高齢者なりの落ち着き方をしており、訪問時に簡単な診察をしたり、たまにビタミン剤の入った点滴を落としたりするくらいだった。

専門に入ったばかりの頃はとにかく仕事が忙しかった。研修を終えて主治医という立場を初めて背負う責任は重く、上司に助けを求めることもできないひとりぼっちの夜間救急外来は常にパニック寸前の精神状態で仕事をしていた。院内にいればPHSで呼び出され、帰宅後は帰宅後で自前のスマホに病棟から電話がかかってくることも多く、気の休まる暇がなかった。

Oさんの家に着くのはいつも午後2時くらいで、気持ちの良い日差しが窓から差し込んでいた。専門に入ったばかりの若造である私と92歳のOさんには共通の話題もなく、たまに口を開くと前任のT先生の話をした。T先生から私に担当が変更になって、Oさんとしては随分気落ちしただろうが、優しい方で、そんな素振りを見せることもなかった。T先生の話が終わると、あとは点滴の落ちる間、黙って2人、窓から見える庭を眺めていた。庭はいつも綺麗に整えられていて、季節の花々や立派な松の木が見えた。

Oさんとの間には何か思い出になるような決定的な一言はなく、ただ穏やかな時間が流れていたことだけを記憶している。人生で一番仕事が辛かった時期だから、その穏やかさだけが際立って、交わした言葉がどんなものだったのか覚えていないのかもしれない。

訪問診療を担当するようになってから3ヶ月目の日曜日、私は呼び出しを受けてOさんの家に向かった。娘さん2人に見守られながら、Oさんは陽の当たる庭が見える一番良い部屋で息を引き取った。死亡確認は私が行った。担当する患者が急変すると、主治医は休日や深夜でも必ず呼び出しを受ける。つまり、担当する患者がいる限り医師には完全な休暇というものが存在しない。

主治医が死亡確認を行うことで遺族にとって心の整理がつけやすかったり、医師が診療に最期まで責任を持つという意味合いがあったり、様々な事情が絡んでそういうことになっている。勤務時間外に病院から呼ばれることは、医師にとっては(ひどい言い方だが)特にメリットはない。基本的に手当は全くつかないし、時間外に仕事をした分、翌日の勤務時間が減るわけでもない。

それでも他の医師に最期を託さないのは、自分の中に医師としての誇りや責任感があるからだと思っていた。しかし、ふじみ野市の事件を受けて、私の中に自然に芽吹いたと思っていた医師としての誇りや責任感は、患者さんやご家族が医師に向けて下さる信頼で成り立っているだけだと思い知った。Oさんやそのご家族に限らず、私が担当してきた患者さんたち全員が、私に向けてくださった信頼のことを思い返すと胸がいっぱいになる。

胸に抱いた医師としての誇りや責任感が無惨にも撃たれたように感じるから、今回の事件は他人事として突き放すことができずにいる。亡くなった医師の冥福を心からお祈りする。

Big Love…