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書ける場所書けない場所

こんばんは〜!木曜日のnote更新だよ。
"週に4回も書くことがあるわけないだろ"期が訪れたので、退勤後職場近くのカフェに寄っている。書くことがない時に家に帰ると碌なことにならないから…。

執筆は孤独な作業なんです(キリッ)と言いたいところだが、実はそうでもない。家にひとりでいる時に思いつくアイデアって大抵は使いものにならない。夜に書いたラブレターを翌朝読んでみると即屑籠に投げ捨てたくなるアレと同じ仕組みだと思う。

ひとりぼっちで部屋にこもって書いているとき、そこにはリアリティが介入する隙が全くなく、どんどん文章がひとりよがりになっていく。もちろんそれが良い時もあるんだけれど、自分の中にまともなアイデアが無い時はなるべく1人になるのを避けた方が良いと思っている。

海老アボカドが恋しくなったので、今日の昼頃、サブウェイに入った。サブウェイの注文方法って結構煩雑だ。パンの種類、トーストの有無、ドレッシング、野菜を入れるか抜くかなど、決めなければいけないことがとにかく多い。
それなりに混んでいる店内で注文待ちの列に並んでいたら、クールな感じのお姉さんが"トマトとピーマンとあとレタス抜いてください"みたいなことを言っていた。サブウェイに来たら野菜を食うもんだと思っている私としては"Youはどうしてサブウェイへ…?"という気持ちになったが、そんなのは人の勝手である。

あすけん(栄養管理アプリ)の機嫌を取るためだけに野菜を食べる人をタイムラインで複数人知っている。あのクールなお姉さんも、自分が食べられるなけなしの野菜であすけんの機嫌を取るために来店したのかもしれない。

どんなに店内が混んでいても、パンの種類を聞き、野菜の有無を聞き、おすすめのドレッシングをいちいち客に教え続ける店員さんを健気だなと思った。海老アボカドは美味かった。

で、退勤後の現在カフェにいるのだが、わざわざカフェにまで寄ったのに書くことを全然思いつかなくてヤバい。隣の席のお姉さんがコーヒーを飲みながら咳をしまくっていて迫力がある。ちょっとでも咳が出ると気まずくなって席を立ってしまうタイプなので、皮肉抜きでこういう図太さが羨ましい。

最近読んだ本の話をするか。

料理に関する知見をまとめた本。年末のオモコロの記事でダ・ヴィンチ・恐山さんが勧めていたので読んだ。料理をあんまりしない人が勧める料理本ってどんなもんかなと思って。

これがかなり面白かった。私は今までレシピに"茄子を炒めたら一旦フライパンから取り出し、肉を炒めたら茄子をフライパンに戻しましょう"みたいなことが書いてあっても、ダルいから完全に無視していたのだが、この本にはそのあたりの料理工程にまつわる理屈がきちんと書いてある。は〜、あのよくわからん工程にはそういう意味があったのか、と不精者の私も納得し、今はきちんと茄子を一旦取り出すようになった。

あとはドレッシングの作り方とかカツレツの語源とか、料理にまつわる面白エピソードが多岐に渡って語られている。かと言って全く説教臭かったり偉そうということもなく、基本の理屈さえ押さえれば料理は好き勝手やって良いもんなんだと思えて、全ての料理をする人にお勧めの本である。

と、ここまでを夕飯のチリコンカンを煮込むフライパンの前で書いた。煮物は手を離しているあいだに書き物が出来るからいいね。台所って案外書き物に向いていると思う。基本的に座ってじっとしている時より立って何かしている時の方がアイデアは生まれやすい。

最初のほうはカフェで書いていたんだけど、隣に座っていた女性が連れの友達に自分の子どもがダンスしているムービーを嬉々として見せ始めたのでしんどくなって退店した。自分の子どもがダンスしている動画を"善きもの"として堂々と他人に見せられる、そういう親として当たり前であろう感性を目の当たりにすると、"あ〜〜私には無いものを持ってる親だ…"と思ってシュンとなってしまう。

明日は仕事の予定が詰まっていて忙しい。無事に終わったらとっておきのワインを開けてやろうかなと思っている。

Big Love…