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刺されれば痛い

先日、3歳児の授業参観に行ってきた。3歳児クラスは大体20人くらいで、体操のクラスを見学させてもらった。

4人ずつのグループに分かれて、各グループに赤や青、黄色などのボールのセットが同じ数だけ配られた。グループの中で指定の色のボールを最初に取れるのは誰かな?というゲームだった。色の名前が分かることと、反射神経を問われるようなゲームだった。

子どもたちを観察していると、いろいろな性格の子がいることに気づく。ルールを理解して勝とうとする、負けん気の強い子は3歳児クラスなのでまだあまりいない。が、他の子を押しのけてまで正解のボールに手を伸ばすガッツのある子が何人かいて、おおっすごいぞ…と思った。

前述したように、そもそも色の名前がきちんと分かっていないとダメで、なおかつ正解のボールにパッと手を伸ばす反射神経の良さと大胆さが必要だ。じっと見ていると、ルールを理解していそうだが気後れしてしまってボールを取れない子もいた。分かる。私も小さい時、そういうタイプだったから…。

3歳児が一斉にボールに群がるので、時にボールが弾みをつけて転がって、他のグループの方に飛んでいってしまうこともあった。そういう時、ガッツのある子はパッと立ち上がってボールを取りに行く。他の人を押しのける強引さがあるが、その分勝ちたいから脇目も振らずにボールを追いかける。ガッツがあって強引なのも、悪いことばかりじゃないな、と思う。

気後れしてしまうタイプの子は、そういう時に立ち上がりもせず、ぼーっとしていることが多い。分かる(2度目)。私もいまだにそうだから…。私ごときが動いて余計に場を混乱させてしまったらどうしよう…と腰が引けてしまうのだ。こういう時、パッと立ち上がれる子が羨ましい。

戯けてグループを盛り上げている子がいる。ふざけすぎて先生に叱られる。叱られてもすぐに忘れるのか、ふざけるのが性なのか、またすぐに戯けた仕草をする。

ずっと在らぬ方向を見ている子がいる。たまにこちらに向かって手を振る。私の隣にいた女の人が手をふり返す。どうやら母親らしい。手を振った後はにこにこ笑っている。目の前でボールを巡って争いが起きようとお構いなしだ。勝たなければならないという気持ちもないし、その場を支配しているルールにも無関心で、ただずっと穏やかな顔をしていた。

20人全員、どこかに”困った”ところがある。子どもたちを眺めていると、皆それぞれに欠損を抱えながら生きているんだ…という当たり前のことに思い当たる。


最近、自分の診療に関する姿勢を見直す機会があった。医者になってから10年ほどが経つのだが、幸か不幸か、私は患者さんから面と向かって批判的なことを言われたことがなかった。
私がポリシーとして決めているのが、医学的な正しさよりも患者さんの生活や感情を重視することで、可能な限り話をきいて、患者さんの気持ちを汲めるように努めてきた。それで10年うまくいっていた。
医者としてのポリシーを変えるつもりはない。これから先も、私は患者さんの話をなるべくきくだろうし、なるべく一番良い道を選べるよう、一緒に探していきましょう、というスタンスは変わらないだろう。

今回、”もっと優しくして欲しかった(意訳)”というようなことを言われて、正直アイデンティティクライシスに近い精神状態になった。自分の優しさに疑問を抱くのも違う、患者さんを責めるのも違う、おそらく様々な要素が絡み合って(詳細は伏せるが、かなり複雑な経緯を経て私の前に現れた患者さんだった)、優しくして欲しかったという一言が出たんだと思う。

出来ることはしたつもりだ。でも、出来ることはしたんだからどうしようもないじゃん!と開き直るような気分にはどうしてもなれなかった。強い言葉で刺されたから痛い。痛みを何度も反芻して、しかし自分を責めるのはよそうと決めていた。刺されれば痛いが、刺された側に責任があるとは限らない。

数日悩み続けた末に、10年続けてきたやり方に、新しいエッセンスを加える時なんじゃないかと思った。こういうときは賢い先人に頼るに限る。そんなわけで、ここ数日は先日亡くなった精神科医の中井久夫先生の本を読んでいる。

今読んでいる本の中に、こんな言葉があった。

長期的にみれば、病気をとおりぬけた人が世に棲む上で大事なのは、その人間的魅力を摩耗させないように配慮しつつ治療することであるように思う。「人好きのするように治す」。
(中略)
少なくとも、患者の探索行動の描く軌跡を尊重することと患者の寛解してゆく個人的ペースを乱さないことは、患者が、どこか人をひきつけるものを持って社会の中に座を占めるための前提である、と私は考えている。

中井久夫『世に棲む患者』より引用

人間的魅力や人をひきつけるものは、生まれつき誰もが持っている。私は、それは短所にごく近いところにあるのではないかと思う。授業参観で20人の子どもたちを見ていたときに、この言葉を思い出した。

今後どういう心持ちで診療をやっていくのか、全く結論は出ていない。ただ、中井久夫先生の本を読んで、相手を安心させるような声のトーンや会話の舵取りなど、真似したいなと思うところはどんどん取り入れて、日々の診療で密かに使っている。
次に件の患者さんに会う時、付け焼き刃のスキルが役に立つかは分からない。でも、それは仕方ない。医者と患者といえど、相性というものはある。投げやりにならず、過度に失敗を恐れず、自分のできることをやるしかない。

Big Love…