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父・正之さんと母・麗子さん

せっかくnoteをやっているので、
この事について書かせていただきます。

6月は両親の命日です。

母・麗子さんは1992年の6月17日、
父・正之さんは2002年の6月20日でした。

母の麗子さんは自分が9歳の時なので、
実は思い出があまり無いんですよねぇ。

しかも自分は不登校だったので、
(幼稚園の頃からちょっと始まっていた)
母とは対立していたんですよねぇ。

母・学校行きなさい!
自分・やだ、行かない!

毎朝このやりとりをしていました。
そしたらある日、母が体調を崩して入院、病名は白血病。
入院してわずか2ヶ月で亡くなりました。

当時、うちはセーブオンという知る人ぞ知るコンビニを経営していて、
父が店長、母が副店長だったんですけど。
当時は24時間営業ではなく、7時開店・23時閉店でした。
まあ、自分が不登校だったので心身の負担は大きかったと思います。

母が亡くなる時、自分も8つ離れた兄も看取る事はできませんでした。
母が本当に危ないという時、病院にいた兄は急いで家に戻って、
家で寝てる僕を起こして、二人で急いで病院に向かったんですけど、
間に合わなかった。

今だからここに書けますけど、母が亡くなったのは
自分のせいなのかなと、思っちゃうんですよねぇ。

ちなみに麗子さんは、周りに「私は50になったら死ぬんだ」と
言っていたらしい。
毎日が完全燃焼、悔いなく生きて行く感じですよね。
で、亡くなった時が51歳か52歳なので、
まあ言った通りになったんですよねぇ。
自分がその事を知るのはだいぶ時間が経ってからです。

で、父・正之さん。
正之さんはリサーチ会社のニールセンと言う所で働いていました。
新潟県内の視聴率だったりそのほかの事であったり、
調べていたそうです。

ちょっと僕は父がニールセンをやめた理由はわからないですけど、
その後セーブオンなどやってもなかなか上手くいかず。
仕事を変え、確か営業職になって、それが合わず。
酒に逃げるようになり、フィリピンパブに通います。
(市内にフィリピンパブがある事をこの時初めて知りました)
仕事が上手く行かず、稼げなくなって、生活費を確保できなくなり、
ついには消費者金融で借金をし始め、気がつけば

600万だったかな?

の借金を抱え、ここから自己破産へと向かいます。

母親が生きていていれば親父を支えてあげたり、
自分達がもうちょっと親父に寄り添ってあげられればよかったんですけど、
兄は普通に働いて、僕は不登校で道から外れていて、
僕も兄も親父を支える事はできなかったですね。

この時、自分は17歳。
この年は1999年・ノストラダムスの大予言の年で、
世間では「結局何もなかったじゃねえかよ」なんて言われてましたけど、
こちらでは「当たったんじゃねえの?」と思うような状況でした。

父は自殺未遂を3回やりました。
確か当時契約していた生命保険が自殺でも保険金が
おりるものだったらしいです。
ただ、3回とも未遂に終わってるので、
兄が父に「もう親父は自殺できないんだから」と
諭したことがあったとか。

自分は不登校なのでアルバイトもろくに見つけられず、
戦力になれず、どんどん借金は膨らんでいきました。

で、借金で大変な時に新潟市の方で弁護士さんの
無料相談会みたいなものがあって、そこに父と兄は
相談しに行って、自己破産する事になったんですよねぇ。

確か自己破産って、貸した側が
「お金を返してくれません」と言う話になり、
借りた側が「返すお金がありません」と言うことで
自己破産が決まるんですけど。

それを自分達が住んでる市内の裁判所で
ちゃんと裁判が行われるんですけど、父と兄はそこに行かなくても
いいんですよ、弁護士さんが相手とやってくれるので。
でも、行かなくていいのに二人とも行ったんですよねぇ。

それで父が

「いやー裁判所が本当に映画とかドラマで見るような感じなんだよな」

とか言ってて、「そこ?」と思いました。
まあ、自己破産が決定するのはわかっていたので、
思っちゃったのでしょう。

で、弁護士費用が必要なので、父と僕で土木系のバイトを
1週間だけやりました。

確か兄の友人がその土木系の仕事を紹介してくれたんですよ。
で、父と僕が兄の友人の運転で事務所みたいなところに
連れて行ってくださったんですけど、
その道中に兄の友人さんが

「ちゃんと働かないとダメですよ」とか父と僕に言うんですよ。
その後兄の友人さんの携帯が鳴って、出たら友人さんの
お父さんらしいんですけど。
で、友人さんが
「いやー今親父から電話あったんですけど、
なんか今日仕事に行かなかったみたいで」って言ったんですよね。

その後色々あって家に戻ってきた時に、うちの親父が

「うちらにはちゃんとしなきゃダメだとか言って、
自分の親父には何も言わないんだな」

と言っていて、「確かに」と思いました。
こういうところは正之さんの好きなところですね。
まあ、実際は家に帰って親父さんにひとこと言ってるのかもしれませんが。

そして自己破産が終了して、さあこれからと言う時に、
父は肺結核で入院するんですよねぇ。
(厳密に言うと小児結核が治りきってなくて、
体力の衰えにより体に残っていた結核菌が復活してしまった形)

レントゲン写真を見ましたけど、肺の半分ぐらいに白い影が
出てたんですよねぇ。

少し続く


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