タナトフォビアについて

死んだらどうなるかを考えてみましょう。

1. 天国へ行く
天国へ行くとすでに死んだおじいちゃん、おばあちゃん、家族や友達と楽しく過ごせるでしょう。しかし、私から見た「天国で一緒に楽しく過ごしたい人」は、彼らにとって「天国で一緒に楽しく過ごしたい人」とイコールではありません。私はおばあちゃんと一緒に過ごしたいと思っていても、おばあちゃんは、若い頃の姿で、おばあちゃんのおばあちゃんと一緒に楽しく過ごしたいと思っているかもしれません。若い頃のおばあちゃんとおばあちゃんの姿をしたおばあちゃん、どちらも同時に成り立つのでしょうか?私が天国で一緒に楽しく過ごしたい人たちはクローンとして、天国で私の周りに集まってくれるのでしょうか?クローン人間は果たして、その人自身と言えるのでしょうか?
天国の容量が有限である場合、天国の人口爆発によりメタ・天国に飛ばされることがあるかもしれません。もしくは、現世に転生するかもしれません。これはすなわち天国における「死」です。結局、生死のサイクルから我々は逃れられないのです。

2.転生する
昨今流行りの転生モノですね。時間軸は必ずしも進んでいるとは限りません。転生したら中世ヨーロッパかもしれません。戦時中かもしれません。人間に生まれる保証もありません。虫かもしれない。ブンブン飛びまくって死ぬだけの生物に生まれて命ってなんだろう。たかが電気回路ごときに意識が生まれることは悲しいことです。
輪廻転生というのは元々苦しみの象徴です。オタクの皆様は輪廻転生という概念を、さも推しカプの永遠の愛の象徴であるかのように使いがちですが、仏教は輪廻転生から解脱することを目的としています。生きるから死ななければならない、それならばそもそもこのサイクルから抜け出したい。永遠に生きて死んで生きて死んでを繰り返すこの途方のない無限空間のことを考えると頭が痛くなってきますね。

3.永劫回帰
輪廻転生畜生バージョンですね。永遠に私の人生をそっくりそのまま繰り返します。貧しい時代ですが平和主義・戦争放棄を行なった今の日本に人間として生きることが確定しています。イキって余裕こいてたら受験に失敗し後期で受かった別に行きたくない大学に通い、学歴と引き換えに200万の負債を抱えながら中小企業の平社員として安月給で働く人生を無限に繰り返すことになります。死んでも虫や畜生に生まれ変わりたくないと思っている私が一番安心できる考え方ですね。ルサンチマンには一生勝てず超人になる未来も見えませんが、この中途半端な人生を永遠に繰り返す確定性が非常に安心させてくれます。

4.無になる
無、いい響きですね。無が存在するって矛盾してません?便宜上言語化しなければいけないが言語化したらズレてしまう「無」という概念。もはや何も語ることはできません。

5.幽霊になる
未練があったら幽霊になるって言うじゃないですか。私は洒落怖とか心霊が子どもの頃から大好きでした。幽霊になりたいですよね?私はなりたいです。科学が全てではないので、死ぬまでに幽霊に出会いたい。金縛りにあって髪の長い女に上から押さえつけられたことはあるけど、こういう「髪の長い女」っていうのが私の脳みそが作り出した、経験からくる固定観念に塗れた妄想なんだなって思う。this manと同じです。


ここ最近、体調が悪く死が身近なものに思われてきました(ちなみに今年の健康診断はほぼ異常なしでした)。丁度趣味で死刑囚や殺人事件について調べたり、追っていた闘病中の漫画家さんがついに亡くなったりと、誰でも明日死にうるという事実に気付かされ自分の死について考えるようになりました。もともと幼少期から死について考えることは好きで、死ぬことは嫌いでした。伝記を読めばまずは死亡年から生誕年を引いた数を計算し、その数字が若ければ若いほど喜ぶような嫌な子どもでした。人が悲惨な死に方してたら嬉しいので伝記を読むときは結末から読んでいました。オーラの泉を見てはマヤの予言について熟考し、世界が滅亡することを考え、怖くなって親に泣きつくようなガキでした。スプラトゥーンで鮭をシバいても鮭の命の儚さに思いを馳せ、自分の貴重な生命を、鮭をシバいてキレ散らかすことに費やしてしまったことに対する途方のない虚無感と無駄さに襲われます。死の不可逆性を恐れ、あらゆる生命の残り時間が今この瞬間も減っていくことに勿体なさを覚えます。眠ると二度と目覚めないことが怖く、太陽が照るまで一睡もできないこともあります。どうせ死ぬのに何かを頑張る意味がわからない。死んだ後の功績とかその世界に私はいないからどうでもいいです。現在名前が残ってる偉人が私の前世だったとしても、私には分からないしどうでもいい。名誉欲が本当にない。
人生はだんだん体感時間が早くなると言います。私ももう大人なので、気がつけば1週間が経過し気がつけばひと月が経過している。私はもう体感時間的に人生の半分は過ぎているように思っています。このまま気付いたらババアになって、死を待つだけの人生になっていることが恐ろしくて仕方がない。まあ、ライフステージ的にいえばまだ青年期なんですが。明日突然死んで、ババアになることはないかもしれません。

ここ1ヶ月ほど上記のようなタナトフォビアに襲われていましたが、もう考えることに疲れてどうでもよくなってきました。そもそも死んでも分かんないし。夢の中で死んだことあるんですけど、死ぬときはめっちゃ苦しかったけど死んだあとはすごい楽でした。考えるのは杞憂かもしれませんね。SnowManのMVでも観ながら寝ます。電気つけっぱにして寝ればタナトフォビアに襲われることはないのでオススメです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?