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エレガンス・クリスマス



第一部



 街に出ると、冷ややかで澄み切った大気の中にぴかぴかとLEDが青白紫に光る。誰もいない広場に光り続ける電光の木を見ると、もうそんな季節なんだなと実感が湧く。主要駅前のダサいディスコのようなイルミネーションよりも、寂れた駅前のこじんまりとした大人しいクリスマスツリーの方が上品である。それは、深夜徘徊中に存在しない車に対して「進め」を命令し続ける信号機の光のごとく、駅のホームを照らす青色LEDのごとく。
 クリスマスとはパリピたちが酒を飲んで暖をとり、ゲロにまみれながら裸で歩くような季節では無い。クソダサい、ネオン看板のような下品で"作られた映え"に喜ぶ市民の知能はいかほどか。せめて御堂筋のイルミネーション、博多のイルミネーションを見習った方が良いと思う!駅前のビルの、ピクセル画のような稚拙なリースの光にもし血税が使われているのであれば、来年度は今年度にもましてふるさと納税活動を推進させていただこうと思う。
 さて、この間クリスマスと聞いて私はある記憶を思い出した。それは小学生の頃まで遡る。
 地方の小学校は全校生徒が200人程度であった。1学年1クラスが当たり前、40人いれば2クラスに分かれのびのび教育を受けてきた。少子高齢化の先駆けであった我が町は住民の層も様々で、部落差別っぽいものもありつつ(私も「𓏸𓏸地域の子とは遊ぶな」と言われたことがあります)、でも小学生はそんな事情は知らないし、ほとんどの子は幼稚園のときから知っているので普通にクラス全員それなりに仲が良かった。イジメっぽいのもあったけど普通に先生に見つかって怒られるし、靴を隠すとか陰湿なものはない。長期にわたるハブりは無く、ガキの気まぐれのような人間関係を6年間形成していた。
 私の学年は問題児が多く、ヤンチャな兄を持った男の子たちが近所の人の家の窓ガラスを割ったり、モデルガン?かなんかをぶっぱなしたりして頻繁に廊下に呼び出され教師に説教されていた。片や教育熱心な家庭の子もおり、「ぼくは将来京大に行くんだ」と小学生ながら宣言している子もいた。
 エレガンス階級の女友達がいた。彼女もちびまる子ちゃんの花輪くんのようにエレガントであった。彼女は私にトゥースフェアリーという文化を教えてくれた。曰く、抜けた歯を小瓶に入れて寝ると妖精が現れて歯を1セント硬貨に交換してくれるのだそうだ。「抜けた上の歯は2階から下へ、下の歯は庭から上へ投げましょう」という因習(笑)しか知らなかった土人は衝撃を受けた。その日、母親にトゥースフェアリーの話をしたが、渋い顔をされ、その後因習が止むことはなかった。冷静に考えて、歯を盗む代わりに金を置いていく妖精はどう考えてもペドロリのキモジジイとしか思えないのは私がエレガンス階級ではなかったからだろう。
 その友達がある年のクリスマスに家でクリスマスパーティーを開いた。招待客は、学年の女子全員。一般家庭の女子にも、母子家庭の女子にも等しく招待状を送り、「チョコレートケーキとショートケーキどっちがいい?」と希望を聞いてくれた。クリスマスパーティーで何やったかは覚えていないが、みんなでケーキを食べて楽しく談笑した(と思う)。ふと、その子が家のウォークインクローゼットに入り、ディ𓏸ニープリンセスの女児用ドレスを見せてくれた。ドレスなんて七五三のときの写真館でしか見たことなかった庶民の我々に「好きなドレス着ていいよ!」と言ってくれた。私もベルだかオーロラだかのドレスを着てはしゃいだような気がする。
 エレガンス階級の友達は、小学生ですでに中学の数学をやっているような子であった。実際勉強に躓くことなんてなく、テストでいつも100点を取っていた。しかし、教育一家の子どもあるある・性格が歪む、なんてことはなかった。私は、その友達と中高を共にした。その子は、今どき稀有なくらい素直で性格がよく優秀だった。小学生のとき勉強しなくても余裕っすわ(笑)みたいな神童タイプのガキが中高で勉強に躓き堕落していくのはよくあることだが、友達は中高でもひたすら文武両道であり続けた。その類稀なる性格の良さ・優秀さに周りが引いてしまうこともあり部活で多少疎まれたこともあったようだが、やっぱりそれを経ても歪んでいなかったように思う。教育熱心一家の子どもあるある・自我が弱いという点は多少あったかもしれないが、あまりに教育成功事例すぎるなと思った。
 友達は、初志貫徹をした。小学生のときから宇宙に興味があり、将来は某世界的宇宙機関に就職したいと言っていた。大学受験で第一志望(最高学府)に落ちて滑り止めの私立に言ったという話を聞いて、小学生のときからずっと夢のために勉強し続けた人ですら第一志望に落ちるのだと諸行無常を感じた。
 大学を卒業し、社会人となった。この間、ふとLINEのステータスメッセージを見たら英語4文字。興味本位で調べてみたら、元第一志望の宇宙の研究をする院が出てきた。その瞬間、私は鳥肌が立った。HPのお知らせには卒論修論発表会の記事が載っており、そのなかで友達の修論が賞をとっていた。 

第二部

 私は趣味で死刑囚について調べている。死刑囚の生い立ちはほとんどが酷いもので、まともな家庭で育った人はあまりいない。生まれながらのサイコパスはあまりおらず、その大半は近くに暴力団がいたり、半グレがいたりして元々生命に対する倫理観が狂ってしまっている。また、虐待を受けて育った死刑囚も多い。だが、たまに教育熱心な家庭で死刑囚を産んでしまうこともある。秋葉原通り魔殺人の犯人がそうであり、彼は教育ママによる束縛・監視により対人関係が上手く築けず、孤独感に悩まされネットに居場所を求めた。その居場所が脅かされたとき、犯行に至った。死刑囚のみならず、子どもの教育に熱心である余り虐待をしてしまい、時には殺人事件に発展するという事例は数多く存在する。
 湊かなえの夜行観覧車?高校入試?は都会のお受験戦争をモチーフにしていた気がするが、私はドラマでそれを見て、そこまでして良い学校に入れて何になるんだろう?と思った。親のメンツのために、年端も行かない子どもに「京都大学に行くんだよ」「医学部医学科に入りたいよね?」と洗脳し、「キョーダイに行くんだ!」「オイシャサンになるんだ!」とシンボルだけを唱えさせる。それをさも、子どもの意志であるように語らせて……子どもの自我をなんだと思ってるん?自己決定権って何歳から認められるか知ってる?やってること、日本○習支○機構と同じじゃないですか?「奨○金は借金だから、借りる必要が無い人は借りないでください」借りざるを得ない人だっているんですよ。それをさも、「あなたは自分の意志で奨○金を借りた」認定しやがって。高校生を騙して、保護者の署名を得たからと言って自己を正当化する悪徳集団を、許さない。別に借りたくなかったけど仕方なく借りてやってるだけだから。そこ履き違えないでもらえますか?奨○金という名前やめてもらっていいですか?
 話を戻すと、親の洗脳により「優秀な大学に行く」という目的を設定して何も考えずに勉強している子どもたちは割といると思う。考えなくていいことは楽だけど、自我なし人間になってしまう。自分が京大で何をしたいのか、医者に本当になりたいのか分からないままとりあえず点を取り、どこの学部でもいいから引っかかるところに入って得た学歴・職はただの「ゴール」である。だが、マラソンでゴールをしても人生は続き、本当にやりたかったのかよくわからない勉強や仕事をこなし、でも何がやりたいのか、どうしたいのかよくわからないから惰性でやり続ける、というケース、あるのではないでしょうか。
 私は、エレガンス階級の友達と一緒に地元の魑魅魍魎教育から逃げ出し、中高一貫の自称進学校(笑)に入った。そこは、両親が医者、公務員などエレガンスで(田舎にしては)教育熱心な家庭の子が多かった。「ぼくは将来キョーダイに行くんだ」層が増え、大丈夫かこいつ?と思うことも増えた。例えば、優等生の文武両道な男の子が、受験期に問題に間違えたら頭を掻きむしってパニックになって発狂しだしてヒステリック担任に逆に心配され宥められることがあった。良い奴なんだけど、良い奴すぎてメンタルが弱い。問題間違えただけで死にはしない。大学に落ちたところで死にはしない。だが、「ぼくはキョーダイに行くんだ」層にとっては受験が人生のフィナーレである。ここを挫いたら死ぬんだろう。大学受験を科挙だと思っている生徒達の目は血走り、とても怖かった。ちなみにその子は浪人してた。


エレガンス友達が歪まなかった原因は!?

 さて、エレガンス友達とぼくキョー層との違いを分析しよう。エレガンス友達がなぜぼくキョー層のように歪まなかったのか。


教育虐待を受けていない

 彼女は、あくまで「自発的に」やりたいことを決めていた。勉強も強制されていたわけではないのだと思う。たまたま勉強が得意だったから、勉強を後押しするためにくもんとか入れたんじゃないかなと思う。本人じゃないから知らんけど、くもん行きたくないな~と言ってるのを1ミリも聞いたことないし、勉強嫌だなって言ってるところを見たことがない。
 宇宙物理だって親に「NASAに入りたいよねえ?」とか言われて目指したわけじゃないと思う。両親の職業は研究者とかじゃなかったはずだ。部活だって運動部に入っていた。教育熱心な親は勉強だけをさせるために放課後友達と遊ぶのを禁止したり部活を禁止したりするが、そんなことは無かった。

マジで頭が良かった

 文武両道できる要領のよさ、彼女は高校まで学年一位を取り続けていた。並びに、学級委員長なども務めていた。普通にポテンシャルがバカほど高かったのではないか。

親の倫理観と財力

 我が町は、因習村とまではいかずとも老人まみれで部落差別っぽいものがある。また、母子家庭や貧乏な家も多く、子どもながら茶髪だったりピアスがあいていたりすることもあった。エレガンス階級の方々は普通そういう"格が違う"家庭の子はうちの子に悪影響を及ぼすから近づかないでほしいザマス!などと毛嫌いしそうなものであるが、彼女の親はむしろそういう子どもたちを分け隔てなくクリスマスパーティーに招待し、自腹でケーキを振る舞うような真っ当な人権意識と余裕を持っていた。そういった、半ば慈善活動のような意識を持つ家庭で真っ当に育てられたからこそ、類稀なる稀有な聖人君子が生まれる一因となったのだと思う。

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 教育というのは非常に難しいものである。いくら家庭環境が良かろうが、インターネットに影響されて、ネットで女叩きしてシコって寝るだけの内弁慶弱者男性に育ってしまったり、盗んだバイクで走り出す人間に育ってしまったりする。逆に、死刑囚役満みたいな育ちでも真っ当に生きている人もいる。人間の出来というのは【生育環境】と【生来の性格】の掛け合わせであり、【生来の性格】に応じて環境を提供する必要がある。生まれながらにしてサイコパスなガキも一定数生まれるので、環境を整えてもどうしようもならないこともあるが、大変申し訳御座いません。厳しく改善指導致します。


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