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[無明」について

仏教学者佐々木閑氏は、仏教用語「無明」について次のように述べています。

一口 に 煩悩 と 言っ ても、 強欲 とか 傲慢 とか 嫉妬 とか、いろいろなものがあるわけです。なかでも、釈迦が一番おおもととなる煩悩だと考えたのは無明です。無明とは智慧がないこと、つまり愚かということです。

それは単に知識がないとか学がないといった表層的な意味ではなく、物事を正しく合理的に見ようとする力が欠如している、本質的な暗愚を死しています。本質的な暗愚とは、すなわち縁起的世界を正しく見ることができない愚かさです。

佐々木閑; 宮崎哲弥. ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す―(新潮選書) (p.128). 新潮社. Kindle 版.

ソクラテスは、政治家や知識人たちに、「勇気」「正義」「徳」について、尋ねると、分かったつもりでいるが、その本質については、分かっていない。

ところが、ソクラテスは分かっていないことを知っている、つまり「不知の自覚」(無知の知)と言っている。

ソクラテスが言う、不知(無知)は仏教用語の「無明」と通底しているようだ。

今回、「無明」をテーマとしたのは、X(旧Twitter)のタイムラインを眺めていると、れいわ新撰組代表山本太郎氏が、被災地に出かけたことについて、あまりにも騒々しいからです。

すでに投稿しましたが、ヘーゲルは『精神現象学』で人の意識が時間とともに、成長していく様子を次のように描いていたので、再掲します。

自己意識の自由(他者とかかわらない自由)

ストア主義:自分だけで自己意識を満たそうとし、他の人が認めてくれないので、自分の中だけで自由を得ようとする。(思春期によく見られる)

スケプシス主義(懐疑主義):自分のことを認めないのは、他者が愚鈍だからであると常に、他者の批判ばかりすることで、自分の価値を相対的に高めようとする。(X(旧Twitter)のタイムラインでワンサカ流れている。)

不幸の意識:有名人を知っているとか、何か偉大なものと繋がることで自己意識を満足させようとする。この自己意識は、理想と自己の未熟さに引き裂かれて悩む。この引き裂かれの意識が「不幸の意識」である。

理性(他者と関係性の中で得る自由)

快楽と運命:恋人との関係性によって得る自由である。しかし、ここには必ず運命が待っている。子供が生まれると、世間が関わってきて、二人だけの世界に、ひたっているわけにはいかない。

心胸の法則:自分の心の法則が誰にも当てはまると考える。単なる思い込みでしかない。

徳の騎士:自分の正義をかかげて、自分だけが絶対に正しいと独善的に強弁すること。(イデオロギーに捉われている人たちは、こうした主張を述べたてることになる)

良心
ヘーゲルが言う良心とは、相互承認の精神のことである。お互いを認め合う精神のことであり、ここに人間精神の最高境地があるという。

良心の心境に到達した人間は「事そのもの」を目指すようになる。「事そのもの」とは、芸術・学問といった文化的な表現の領域と考える。音楽や文学の何らかの作品に出会って、「これぞほんものだ!」と思うようなとき、最高の自由を感じる。

この良心を次に二つに分けて対立させる。

行動する良心:正しいと思ったことをそのまま具体的に行動しようとする、いわば素朴な正しさの意識である。例えば、貧困問題を無くすことこそが、自分にとって事そのものだと考えて、他の人々にも投げかけて、この問題に取り込もうと、すぐに行動する人のことを言う。

批評する良心:行動という具体的場面に踏み込む代わりに、ひたすら正しさの普遍性を理論的に吟味しようとする良心である。たとえば、貧困問題に取り組んでいる行動する良心に対して、名誉欲からとか、目立って、皆から認められたいからではないのかなどと、冷や水を浴びせかけるようなこと。

批評する良心も、批判はするが、ちゃんと相互承認を得られることを、考えているので、行動する良心と目指すところは一致しているわけだから、それに気づき、お互いに和解して、より高い良心にたどりつくことが必要であるとヘーゲルは主張している。

2023年9月22日付投稿記事より

山本氏は、今回に限らず、10年前から、災害があれば、すぐに被災地に出かけていた人である。ヘーゲルの意識区分けから判断すると、行動する良心に該当するものと思われる。

一方、日本維新の会 音喜多駿氏は、彼の行動を真向から批判している。

彼の場合は、良く言えば、批評する良心となる。そうであれば良いがという意味も含めています。

いわゆるネトウヨ系の批判となると、被災者からカレーをもらって食べたという、もはや、どうでもよい批判であり、「無明」のレベルである。

金沢は、ほとんど被害がないのに、客が誰もこなくて、店の人が困っているということもタイムラインに流れており、情報が錯綜している。

菅野保氏も被災地に出かけ、渋滞しているところは何処もない、とポストしている。

特に、山本氏を支持しているわけではないが、彼の行動力には一目を置いている。何の衒いもなく偽善心というものを吹き飛ばしているからです。

音喜多氏も、相手に冷や水を浴びせるようなことばかりをするのではなくて、リスペクトすべきところは、ちゃんとリスペクトすべきでは、と思っています。

大被害を受けた輪島には2回ほど旅行で出かけたことがありますので、朝市が一刻も早く復興できることを望みます。

私も、阪神淡路大震災を体験しており、終戦直後のような焼野原となっているのを目の当たりにしました。輪島の震災後の映像を見ると、デジャブ感があって、その当時の様子が蘇ってきます。






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