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グリ水力発電所(ベネズエラ)の思い出

約45年前にベネズエラに海外出張していました。工期は7年ぐらいかかる予定でしたが、最初の2年半を務めて、同僚に引き継ぎました。

この2年半で様々なことがありましたが、その中で、特に記憶に残っているのは、現地の子どもたちに「チーノー」(中国人という意味)という言葉を投げかけられたことです。声のニュアンスからも差別語と感じられたので、「ジョイ、ハポネス」(わたしは、日本人だぞ)とやり返すということを、何度も繰り返した。

いまでこそ、中国はGDPで日本をとっくに抜きさり、アメリカに迫る勢いの経済大国になっているが、当時は、華僑も含めて、なにがなんでも海外に移住して、生計をたてていたためか、ベネズエラ人の大人たちは、中国人をさげすんでいて、子どもたちに刷り込んでいたのだろう、と推測できる。

さすがに、建設現場のオブレロ(労働者)たちからは、この差別語を聞いたことはない。かといって、日本人に敬意を示しているわけでもなかった。だから、子どもたちへの反論も、子どもたちはただ聞き流していただけだろう。

ただ、日本の電化製品は優れていることは、知れ渡っていたようで、日本の製品を注文してくれと、真剣に依頼されて、困惑したことはあった。製品には敬意があったようです。

海外生活は、これが最初で最後だったせいでもあるが、他国の人から差別語を浴びせられたという経験は、この時以外はなかった。

国会議員が人種差別語を堂々と発し、裁判でも敗訴して賠償命令の判決が下されているにもかかわらず、自民党は、辞職勧告すらしないことでSNS界隈では大騒ぎになっている。

人種差別を容認する一定の支持層がいて、彼らの反撥を吹き上がるのを恐れてのことだから、情けないとしか言いようがない。

さて、この差別という考え方はいったいどこからくるのだろうか?

差別の本質とは、階級支配であるとか、差別は悪であるという従来の一般的な考え方がある。だが、これらは、差別の本質というよりその属性にすぎないと考えるべきではないかと思う。

人間は、そもそも競争原理の世界で生きているのであり、そうすると、勝ち組、負け組という区別ができてしまうという事実がいちばん土台にある。

差別という概念は、近代が生み出した現象だ。近代以前は、日本でいえば、士農工商という、身分制度があり、武士も農民もみんな同じだという観念はなかった。

ところが、近代になってはじめて、ほんとうは人間はみな平等で同じ価値をもっているという考え方が生まれてきた。しかしながら、格差があり、世襲のような歴然とした身分がある。そのために、これを差別と名づけた。これは、社会的、歴史的な考察である。

次に、自己の内面を探索してみる。

ベネズエラの子どもたちに、「チーノー」と罵倒されたことそのものには、腹がたつが、相手は子どもでもあるし、日本人がベネズエラ人よりも劣っているとは、ハナから考えていないので、引きずるものではなくて、その場で解消されるたぐいのものであった。

つまり、自分は日本人であることに違和感もないし、当時も、日本人はベネズエラ人よりも劣っているわけではないという世界、社会の通念があったので、差別語を受け止めることもなく過ごせた。

差別語は、相手を「劣等な存在」と見なしたときの言葉だが、相手がそう思わないばあいは、効力はない。それにもかかわらず、しつこく差別語を発する人間は、相手を劣等な存在だと思うことで自分の価値を相手より優位に立ちたいという、つまり、差別する人間のアイデンティティ感覚を相対的に補強する行為だということになる。

差別語を発する人間は、何か自分なりに努力をしたわけでもなく、ただ他者を貶めるためだけの行動なので、はたから見ていると、実に醜い。しかも他者の苦痛を通じて自己の快感を得るという行為だから卑怯な輩だとなる。

人種差別語を発する国会議員は、こうした、浅ましく、さもしく、みっともない人たちに支えられているということになりますね。






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