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死球について

9回7-0でヤクルトが負けている状態で、阪神の近本選手が、ヤクルト投手に死球をくらったことで、岡田監督が激怒したということが、話題になっていますね。野球ファンの中だけでしょうが。

岡田監督が激怒したのは、試合後の、次の高津監督の謝罪に対してということです。
「あれは申し訳なかった。ぶつけようと思ってぶつけてるわけではない。山本の持ち球がシュートだったので・・・・」

これに対して、岡田監督は
「自分らは投げる方やからな、当てる方やもん。打席で自分らはやられへんからな。野手はそういう痛みが分かるからの。」
と、投手出身の高津監督の謝罪にたいして、怒ったようです。

野球OBたちも、強打者には、厳しいところを攻めるのは、無理もないという意見やら、いや、9回に7-0で負けているという状況ならば、昔は、厳しい球を投げるのは、遠慮していたという意見の人もいた。

9月3日時点でのセリーグ各球団の与死球数は

  1. ヤクルト 58

  2. 巨人   54

  3. 中日   41

  4. 阪神   40

  5. 横浜   36

  6. 広島   34

となっていて、確かに、だんとつではある。特に、直近での死球数が多すぎるので、なおさら、目立つ。

  1. 2023年9月3日 阪神・近本の右脇腹付近

  2. 2023年8月23日 巨人・坂本の右指付近

  3. 2023年8月20日 中日・石川の頭部

  4. 2023年8月13日 阪神・梅野の右手首付近
    となっている。

巨人の坂本選手のばあいには、投球が頭付近に向かっていて、尻もちをつくようにして何とかよけたが、右指に当たる死球となった。

ところが、高津監督は、死球判定に対して、リクエストを出した。坂本選手も、さすがこれには、ムッとした表情をしたようだが、これは当然でしょう。

危険球ということで、投手退場というルールは、頭に当たったときにしか、適用されないようだね。幸いにも、素早い反応で頭に当たるのを避けたから、良かったものの、当たっていれば、選手生命どころか、人としての生命も落としかねないことなのだが、それでも高津監督は、リクエストを出すような神経の持主のようだ。

ググってみると、危険球退場ルールが適用となったのは、これもヤクルトがからんでいた。1994年5月11日のヤクルトー巨人戦で、ヤクルト西村投手の投球が巨人村田選手の側頭部に直撃し、負傷退場となった。すると、巨人の木田投手が西村投手の臀部に当てるという明らかな報復と見なせる行為をした。これが、きっかけで、危険球退場ルールが制定されたようです。

この頃は、報復行為も盛んに、やっていた。死球といえば、1968年9月18日の巨人ー阪神乱闘事件があるが、これは、テレビでの実況中継を観ていたので、はっきりと覚えている。江夏と村山で連勝していたので、バッキーで3連勝できると楽しみしていた。この時の、阪神はエースが3人もいた。打撃は、頼りなかったが、3点も取れば、勝っていた。それでも、優勝は、巨人だった。なにせ巨人9連覇の真っ最中のときだったから。

この試合では、バッキーが王選手の頭部付近にビーンボールを投げたことで、荒川コーチがマウンドに走り出して、蹴りやらパンチやらの大乱闘を、テレビ画面で映し出されたので、こりゃ、野球からプロレスに変わったぞと興奮したものだった。

このころから比べると、こうした乱闘は、激減したように感じる。乱闘を薦めるわけではないが、これがないせいで、投手も、緊張感が緩んで、簡単にコントロールミスして、当ててしまうのでは、と思うこともある。球場内での乱闘の代わりに、球場外で、言葉の乱闘で終わっている。


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