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働くということ

先日、相談することがあって、或る施設の施設長となっている85歳の従叔父と会うことにした。さすがに足は少しヨタヨタとしていたが、施設長を務めているだけあって、頭脳は、極めて、明晰であった。

妻も同席し、約20年ぶりに、お互い会うことになったが、69歳でまだ働いている妻とプータローしている76歳の私の顔を見比べて、働いている妻は、あまり老けているようには、見えないが、私は老けているということだった。

日頃は、「あんたは、ちっとも老けないね」という、褒め言葉を唯一の自慢としていただけに、老けているねという言葉には、軽いショックを受けた。

さて、このショックのことは、脇におくことにして、この働くということを今さらながらではあるが、考えてみる。

当然のことではあるが、働くこととは、端的に言えば、当人を含めて、家族の生計維持にある。それに加えて、働くことに、面白さを感じるのであれば、なおさら意味あることになるのでしょうが。

収入を得ることにプレッシャーを感じることは無論のことだが、会社勤めの場合、単独で仕事をするより、組織だって仕事することが効率が良いということになるので、必然的に、他者との接触することが増えてきて、そのことによるストレスが、徐々に溜まってくる。

若い頃、海外出張時に、最初は、人手が足りないということで、技術屋であった私に、物の調達のために、工具や材料類は勿論だが、例えば、車のタイヤを購入するために、町の出かけるという業務を指示されたこともあった。

ところが、そうした分野の人手も増えたことで、技術の仕事に専念することになった。このことは、不満ということではなく、自分自身の仕事に専念する環境が整ったということで、喜ばしいことではあった。

後になって考えたことだが、一つの組織がカオスな状態から刻々整っていくというのが会社なんだと思う反面、カオスな状態を懐かしむ気持ちもあった。解放感と自由さを感じていたということだろうか。

この体験が原点となり、日本に戻って、会社組織内で、働くようになってから、違和感を常に抱いていた。カオス状態を経験することなく、完全に凝り固まり、整った組織でしかなかったからだろう。

できるだけ、早く、こんな拘束された組織から離れて、自由となりたかった。だから、現在、読書三昧に耽り、読書メモや、時事ネタなどをnoteに投稿するというような生活をするのが望みであった。しかし、85歳でも働いている従叔父にとっては、76歳でも社会で働けとなるわけだ。

ゴータマ・ブッダのことばとして、『スッタニパータ』という経典に「田を耕すバーラドヴァージャ」の話がある。
魚川裕司著『仏教世界のゼロポイント』から引用する。

ある 時 ブッダ は 托鉢 で 食 を 受ける ため に、 田 を 耕す バラモン・バーラドヴァージャ が、 食物 を 配給 し て いる 傍ら に 立っ た。 これ に対してバーラドヴァージャ は、「 私 は 耕作 し た 後 に 食べ て いる。だからあなたも耕作して後に食べなさい」と言う。(中略)

この批判に対して、ゴータマ・ブッダは驚くべきことに、「私も耕作してから食べているのだ」と応ずる。「それはどういうことですか」と問い返すバーラドヴァージャに対して、ゴータマ・ブッダは「私にとっては、信仰が種子であり、苦行が雨であり云々」と詩(偈)をもって解説した。

要するに、「自分にとっては宗教的実践が耕作である」と答えたわけだ。(引用終わり)

バーラドヴァージャはこの詩(偈)に納得して、そのお礼として乳粥を鉢に盛って、差し出すと、ゴータマ・ブッダは断った。「私は詩を唱えた報酬として得たものを食べてはならない」というわけである。つまり、ゴータマ・ブッダは、一般的な意味での労働(何かしらの仕事を提供して対価を受け取ること)を拒絶している。

このように、ゴータマ・ブッダの世界観は、一般社会での、働くという意味とは、まったく真逆になってしまう。

と言って、ゴータマ・ブッダの言葉を取り上げて、プータローしていることを自己正当化するつもりではない。しかし、プロの作家が、執筆して収入を得ているわけだから、収入こそはないが(実は、社会学者の宮台氏から100円サポートしてただいたことはある。つまり約9か月で100円の収入となる)働いていることにはなると、言いたいだけである。


















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