見出し画像

カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第三篇 第十八章~第十九章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第三篇 第十八章~第十九章に目次をつけたものを再掲載します。


第二巻 資本の流通過程

第三篇 社会的総資本の再生産と流通

第十八章 緒論

第一節 研究の対象

資本 の 直接的 生産過程 は、 その 労働 過程 と価値増殖過程であって、商品生産物を結果とし、剰余価値の生産を規定的動機とする過程である。

資本 の 再生産 過程 は、 この直接的生産過程とともに、本来の流通過程の両段階をも包括する、すなわち、周期的過程ーーー一定の期間をもってたえず新たに繰返される過程ーーーとして資本の総循環を包括する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.51). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 総 過程 は、 生産的消費( 直接的 生産過程) と、それを媒介する形態転化(素材的に見れば交換)とを含むとともに、個人的消費と、それを媒介する形態転化、すなわち交換とを含む。

それは、一方では、労働力への可変資本の転化を、したがって資本主義的生産過程への労働力の合体を、含む。ここでは、労働者は、彼の商品である労働力の売り手として現われ、資本家はその買い手として現われる。

しかし他方では、諸商品の販売のうちには、労働者階級による諸商品の購買が、したがってその個人的消費が、含まれている。ここでは、労働者階級は、買い手として現われ、資本家は、労働者への諸商品の売り手として現われる。

【私見:会社組織においては、労働者は、自らの労働力という商品を資本家階級へ、売り手として働きかけると、資本家階級は、それに応答して買い手となる。

一方、生活手段としては、労働者は、会社組織から生産された商品の買い手となり、資本家階級は売り手となる。

つまり、資本主義社会は、基本的には、資本家と労働者で成立っている社会であることを、マルクスは、『資本論』で何度も強調している。

ところが、昔から、資本家のみが、栄えて、労働者は、搾取されて、貧困に喘いでいるのであり、これでは、資本主義が、衰退するということも、マルクスは、述べている。

そのために、共産主義だということであったが、これは、見事に大失敗した。だから、どうするのという見通しすら立てられないので、しょうがなく、資本主義を続けている状態であろう】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.69). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 貨幣資本の役割

個別 資本 の 回転 の 考察 に際して は、 貨幣資本 が 二つ の 方面 から 示さ れ た。

  1. 貨幣資本は、各個別資本が登場して資本としてその過程を開始する際にとる形態である。したがって、それは、全過程を起こす最初に動力として現われる。

  2. 回転期間の長さに異なるしたがって、またその両構成部分ーーー労働期間と流通期間ーーーの比率の異なるにしたがって、前貸資本価値中のたえず貨幣貨幣形態で前貸しされ、更新されねばならない構成部分は、それが運動させる生産資本にたいして、すなわち、連続的生産規模にたいして、異なる比率をなす。

    しかし、この比率の如何にかかわらず、いかなる事情のもとでも、過程進行中の資本価値のうちたえず生産資本として機能しうる部分は、前貸資本価値のうちたえず生産資本と並んで貨幣形態で存在せねばならない部分によって、制限されている。

    ここでは、ただ正常な回転のみが、一つの抽象的平均のみが、問題にされる。その際、流通上の停滞を相殺するための追加的貨幣資本は問題外とされる。

第一の点について。
商品生産は商品流通を前提し、また商品流通は、商品の貨幣としての表示を、貨幣流通を、前提する。商品と貨幣とへの商品の二重化は、生産物の商品としての表示の一法則である。

同様に、資本主義的商品生産はーーー社会的に見ても個別的に見てもーーー、すべての新たに始まる事業の最初の動力としての、まら連続的動力としての、貨幣形態における資本、すなわち貨幣資本を前提する。とくに流動資本が比較的短い間隔で、たえず繰返し動力として現われることを前提する。(中略)

前 貸 資本ーーー 一定 の 与え られ た 価値 額 で あっ て、 その 自由な形態においては、その価値形態においては、一定の貨幣額から成るーーーは、生産資本に転化された後には、その価値限界によって限界を与えれれることなく、一定の活動範囲内では、外延的または内包的に種々に異なる作用をなしうる生産的諸能力を含む、ということだけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.123). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二 の 点 について。
社会の労働と生産手段のうち、摩耗鋳貨を補填するために年々貨幣の生産または購入に支出されねばならない部分が、それだけ社会的生産の範囲を削除するものであることは、自明である。

しかし、一部は流通手段として、一部は退蔵貨幣として機能している貨幣価値について言えば、それはもはや存在するのであり、獲得されているのであり、労働力、生産された生産手段、および富の自然的源泉と並んで存在するのである。それは、これらのものを制限するとは見なされえない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.196). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

回転 期間 が 労働 期間 の 長 さ によって 規定 さ れる かぎり では、回転期間は、他の諸条件が不変であるならば、生産過程の物質的性質によって規定される。したがって、この生産過程の特殊的社会的性格によって規定されるのではない。

とはいえ、資本主義的生産の基礎の上では、より長く継続するより広範囲の諸作業は、より長時間にわたるより大きい貨幣資本前貸を必然的に伴う。

したがって、かような諸部門における生産は、個々の資本家が貨幣資本を支配しうる限界によって左右される。この限界は、信用制度およびそれと関連する共同組織、たとえば株式会社によって破られる。

それゆえに、貨幣市場における攪乱はかような事業を停止させるが、同時にまたこれらの事業そのものが、貨幣市場における攪乱を引起こす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.206). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

社会的 生産 の 基礎 の 上 では、比較的長期間にわたりその期間中は有効効果としての生産物を供給することなしに労働力と生産手段を引上げるこれらの作業が、一年中連続的にかまたは数回にわたり生産手段を引上げるだけではなく、生活手段と生産手段を供給もする諸生産部門を害することなしに遂行されうる基準が、決定されねばならない。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.213). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
貨幣資本 の 必要 が、 労働 期間 の 長 さから 生ずる かぎり では、このことは二つの事情によって規制される、ということがわかる。

第一に、一般に貨幣は、各個別資本が(信用は別として)生産資本に転化されるために現われねばならない形態であるということ。このことは、資本主義的生産の本質から、生ずるものである。

第二に、必要な貨幣の大いさは、比較的長期間にわたってたえず労働力と生産手段とが社会から引上げられて、しかもこの期間中は貨幣に再転化されうる生産物が社会に返還されない、という事情から生ずるのである。

前貸し さ れる べき 資本 が、 貨幣 形態 で 前貸し さ れ ね ば なら ない という 第一 の 事情 は、 この貨幣自体の形態によっては、すなわち、この貨幣が金属貨幣、信用貨幣、価値標章、等々のいずれであるかによっては、排除されない。

第二の事情は、いかなる貨幣媒体によって、またはいかなる生産形態によって、労働と生活手段と生産手段とが、等価を流通に返還することなしに、引上げられるかということによっては、決して影響されることはない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.223). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十九章 研究の対象にかんする従来の諸説

第一節 重農学派

ケネー の 経済表 は、 いかに し て、価値から見て一定した国民的生産の年結果が、他の諸事情に変化のないかぎり、その単純再生産、すなわち同じ規模における再生産が行われうるように、流通によって分配されるか、を少数の大きな線をもって示している。

前年の収穫が生産期間の出発点をなしているのは、適切である。無数の個別流通行為が、ただちにそれらの特徴的社会的大量運動ーーー機能的に規定された、大きな経済的社会階級間の流通ーーーにおいて総括されている。

ここで興味のあるのは、総生産物の一部分ーーー同じ総生産物の他の各部分と同じに、使用対象としては過去の年労働の新たな成果ーーーが、同時に、同じ現物形態で再現する旧資本価値の担い手であるにすぎない、ということである。

この 部分 は、 流通 は せ ず、 その 生産者 なる 借地農業者階級に手中に留まって、そこで再びその資本奉仕を始める。

年生産物中のこの不変資本部分のうちに、ケネーは不適当な諸要素をも含めているが、しかし、農業が人間労働の唯一の剰余価値生産的投下部面であり、したがって資本主義的立場からすれば唯一の現実に生産的な投下部面であるという彼の極限された限界のために、かえって要点をついている。

経済的再生産は、その特殊社会的性格の如何を問わず、この領域(農業)では、つねに自然的再生産過程と絡み合っている。

自然的再生産過程の手に取るように明白な諸条件は、経済的再生産過程の諸条件にかんして蒙を啓き、また、ただ流通の眩惑装置によって引起される思想的混乱を取除く。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.238). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ある 学説 の レッテル が 他 の 物品 と 区別 さ れる のは、 なかんずく、 それ が 買い手 のみ では なく、 しばしば 売り手 をも 欺く という こと による。ケネー自身と彼の直弟子たちは、彼らの封建的看板を信じていた。今日に至るまで、わが学者先生はそうである。

しかし 実際 は、 重 農学 説 は、 資本主義 的 生産 の 最初 の 体系的 把握 で ある。産業資本の代表者ーーー借地農業者階級ーーーは経済的運動全体を指導する。

農耕は資本主義定期に経営される、すなわち、資本家的借地農業者の企業として、大規模に経営される。土地の直接耕作者は賃金労働者である。生産は、使用財のみでなく、それらの価値をも産み出す。しかし、その推進動機は、流通部面ではなく、生産部面を生誕地とする剰余価値の獲得である。

【マルクスは、資本主義を創設したと言われているアダム・スミスを徹底的に批判するが、重農学説を、資本主義的生産の最初の体系的把握である、と評価する】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.255). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 アダム・スミス

一 スミスの一般的観点

一 大国 の 全 住民 の 総 所得 は、 彼ら の 土地 と 労働 の 年 生産 物 全体 を 包含 する。 純 所得 は、第一 に 彼ら の 固定資本 と、 第二 に 彼ら の 流動資本 の 維持 費 を 控除 し た 後 に、 なお 彼ら の 自由 処分 に 残る 部分 を 包含する。

すなわち、 彼ら が 彼ら の 資本 を 侵す こと なし に、 彼ら の 消費 貯 備 に 加え、 または 彼ら の 生計、 便益、 慰楽の ため に 支出 し うる 部分 を 包含 する。 彼ら の 現実 の 富 も、 彼ら の 総 所得 にでは なく、 彼ら の 純 所得 に 比例 する

第二篇第二章190ページ

これについては次のことを注意しよう。
(1)  アダム・スミス は、 ここ で 明らか に 単純再生産 だけを 取扱っ て いる ので、 拡大 さ れ た 規模 における 再生産または蓄積ではない。彼は、機能しつつある資本の維持のための支出について言っているだけである。

「純」収入は、社会なり個別資本家なりの年生産物中の、「消費原本」に入りうるのであるが、この原本の範囲は、機能しつつある資本を侵してはならない。

したがって、個人的および社会的生産物の価値の一部分は、労働賃金にも利潤または地代にも分解されるのである。

(2)アダム・スミスは、総所得と純所得との区別という言葉の遊戯によって、彼自身の理論から逃避する。個別資本家も全資本家階級も、またはいわゆる国民も、生産において消費された資本のかわりに、一つの商品生産物を取得するのであるが、その価値は、一面では消費された資本価値を補填し、したがって所得を形成する。(中略)

また他面では、(中略)価値構成諸部分ーーー日常生活で所得と解されているものーーーを形成する。(中略)しかし、一面では資本所得を、他面ではこれとは異なる「収入」を形成する。

かくして、商品の価値をその諸構成部分に分析するに際しては遠ざけられるものが、裏口からーーー「収入」なる語の二義性によってーーー再び導入される。

しかし、「収得」されうるものは、すでに生産物のうちに存在するその価値構成部分のみである。資本が収入として収得されるというならば、資本はあらかじめ支出されていなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.372). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【アダム・スミスの思考にたいする、マルクスのコメント】

  • 第一に、社会的 資本は、ただ個別的資本の総和に等しいだけであり、したがって社会の年々の商品生産物(または商品資本)もこれらの個別資本の商品生産物の総和に等しく、したがって、各個別商品資本について妥当する商品価値のその諸構成部分への分解は、全社会の商品資本についても当てはまらず、また終局の結果においては現実に当てはまるのであるが、しかしそれにもかかわらず、それらの構成部分が社会的総生産過程において表示される現象形態は、ちがった形態である。

  • 第二に、単純再生産の基礎の上でも、労働賃金(可変資本)と剰余価値との生産が行われるだけではなく、新たな不変資本価値直接的生産も行われる、もっとも、労働日はただ二つの部分から、すなわち、彼が可変資本を補填し、事実上、彼の労働力の購入にたいする等価を生産する第一の部分と、彼が剰余価値(利潤、地代等)を生産する第二の部分とからのみ成るのであるが。
    エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.558). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

二 スミスによるv+mへの交換価値分解 省略

三 不変資本部分 省略

四 アダム・スミスにおける資本と収入 省略

五 要約 省略

第三節 スミス以後の論者たち 省略



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?