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カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第二篇 第十三章~第十七章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第二篇 第十三章~第十七章に目次をつけたものを再掲載します。


第二巻 資本の流通過程

第二篇 資本の回転

第十三章 生産期間

労働 期間 は つねに 生産 期間 で ある、すなわち、資本が生産部面に拘束されている期間である。とはいえ、その逆に、資本が生産過程にあるすべての期間が、必ず労働期間であるとは限らない。(中略)

ここで問題にされるのは、労働過程の長さに依存しない、生産物とその生産との性質そのものによって条件づけられた中断であって、そのあいだに、労働対象は、長短の期間持続する自然過程の下に置かれて、物理的、化学的、生理的な諸変化を経ねばならず、そのあいだ労働過程は、全部的または部分的に停止されているのである。

たとえば、搾られた葡萄液は、一定の完成度に達するためには、まずしばらく発酵の過程を経て、次にまたしばらく放置されねばならない。

製陶業におけるように、生産物が乾燥の過程を経ねばならない産業部門、あるいは漂白業におけるように、生産物がその化学的性状を変えるために、特定の状況に曝されねばならない産業部門も多い。(中略)

すべてこれらのばあいには、生産期間の一大部分のあいだ、ただときどき追加労働が付加されるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6309). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 すべて これら の ば あい には、前貸資本の生産期間は、二つの期間から成っている、資本が労働過程にある一つの期間と、資本の存在形態ーーー未完成生産物という形態ーーーが労働過程にあることなしに自然過程の支配にまかされてある第二の期間と。

この両期間が、ときに交錯し合い割込み合うかどうかは、少しも事柄を変えるものではない。労働期間と生産期間とは、このばあいには一致しない。生産期間は労働期間より大きい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6330). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一定 の 大 なり 小 なりの 量 の 潜在的 生産資本、 すなわち、漸次的生産資本、すなわち、漸次に生産過程に入るために、大なり小なりの量をもって貯えられていなければならない。生産用に予定された生産手段が必要である。

与えられた一企業または特定規模の一資本経営にあっては、この生産用在庫の大きさは、その更新の困難の大小、購入市場の相対的遠近、運輸交通手段の発達程度等にかかっている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6487). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産 期間 と 労働 期間 との 差異 には、われわれが見たように、きわめて種々に異なるばあいがありうる。

  • 流動資本は、本来の労働過程に入る前に、生産期間に入っていることがある(靴型製造)。

  • 本体の労働過程を通過してしまった後に、なお生産期間にあることがある(葡萄酒、穀物の種子)。

  • 生産期間のところどころに、労働期間がはさまる(耕作、造林)。

  • 流動可能な生産物の一大部分が能動的生産過程に合体されたままであって、はるかに小さい一部分が年々の流通に入る(造林、牧畜)。

流動資本が潜在的生産素本の形態で投下されねばならない期間の大小、したがって、この資本が一度に投下されねばならない量の大小は、一部は生産過程の種類から生じ(農業)。一部は市場の遠近その他、要するに流通部面に属する諸事情にかかっている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6505). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

これ まで 考察 し た 回転 循環 は、生産過程に前貸しされた固定資本の持続によって、与えられている。この回転循環は、多かれ少なかれ若干の年数を含むものであるから、それはまた固定資本の年々の回転、または一年内に繰返される回転のいくつかを含むのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6516). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十四章 流通期間

流通 期間 の 長 さが 異なれば、それが回転期間を、したがって回転周期の長さを異ならしめるということは自明である。

このことがもっとも明瞭に示されるのは、回転に変化を与える他のすべての事情が同じで、流通期間だけが異なる二種の資本投下を比較するばあいか、または、与えられた一資本をとって、固定資本と流動資本からの構成や労働期間などを与えられたものとし、ただ流通期間だけを仮に変化させてみるばあいである。

流通期間の一節ーーーそして相対的にもっとも決定的な一節ーーーは、販売期間から、すなわち資本が商品資本の状態にある期間から成っている。

この期間の相対的大きさの如何によって、流通期間が、したがってまた回転期間一般が、あるいは延長され、あるいは短縮される。保管費などのために、追加投資が必要となることもありうる。

完成商品の販売に必要な時間が、同じ事業部門の中でも、個々の資本家にとって甚だしく異なるものでありうることは、言うまでもなく明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6548). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一般 に、 種々 の 事業 部門 に投ぜられた諸資本の回転期間における差異を生ぜしめる一切の事情は、それらが個別的に作用するばあいには(たとえば一資本家がその競争相手よりも迅速に販売する機会をもつばあい、労働期間を短縮する方法を一資本家が他の資本家よりもより多く応用するばあい等には)、その結果として、同じ事業部門に巣くう種々の個別資本の回転における差異をも生ぜしめるということ、これである。

販売期間、したがってまた回転期間一般の差異を生ぜしめることにたえず作用する一原因は、商品の販売される市場と商品の生産場所とが隔たっていることである。資本は、市場への旅の全期間を通じて、商品資本の状態に拘束されている。

注文で生産されるばあいには引渡し瞬間まで。注文ではなく生産されるばあいには、市場への旅の時間に、なお商品が市場で売れるまでの時間が加わる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6562). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

比較的 大きい 販売 市場自体からの生産地の相対的距離が変えられることもあり、運輸交通機関の変化にともなう古い生産中心地の没落と、新たな興隆とは、このことから説明される。

【私見:交通機関の発達によって、生産地の興隆が決まってしまうということは、新幹線の建設過程を見ることで、確認できる。東海道新幹線が開業した1964年から約60年経過したが、四国は、いまだに建設すらされていない。

航空機やらインターネットが普及している時代となっているので、これらで、補っている部分もあるものと、思われるが、どうしたことなのだろうか?陸続きではないという面もあるが、橋梁で、本州とつながっている。トンネルで繋がっている九州地区は、1972年には開通しているにもかかわらずにです。すでに北九州工業地帯が発展していたからだろうな。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6577). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十五章 回転期間が資本前貸の大きさに及ぼす影響

固定資本の 平均 磨損 によって生産物に付加された価値部分と、生産過程で生産物に剰余価値とを、いずれもしばらく考慮外に置くとすれば、この生産物の価値は、その生産のために前貸しされた流動資本の価値に、すなわち労働賃金とこの生産物の生産に消費された原料および補助材料との価値に等しい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6746). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第一節 労働期間が流通期間に等しいばあい

この ば あい は、 現実においては、偶然の例外であるにすぎないとはいえ、考察の出発点として役立つに相違ない、というのは、ここでは諸関係が、もっとも単純に、また明瞭に現われるからである。

二つの資本(第一の労働期間に前貸しされる資本Ⅰと、資本Ⅰの流通期間中に機能する追加資本Ⅱ)は、それらの運動において、交錯し合うことなく交代する。したがって、第一期間を除けば、両資本は、いずれもそれ自身の回転期間についてのみ、前貸しされている。(中略)

ここでわれわれが一年と仮定する51週間のうちに、資本Ⅰは、まる6労働期間を完了して6x450=2700ポンドの商品を生産し、また資本Ⅱは、まる5労働期間に5x450=2250ポンドの商品を生産した。

さらに、資本Ⅱは年末の1週間半(第50週の半ばから終わりまで)に150ポンドの商品を生産したーーー51週間の総生産は、5100ポンドとなる。(中略)

しかし、現実の回転を見るならば、資本Ⅰは、第51週の終わりに、なおその第6回転期間の3週間を余しているので、5回と3分の2回転したわけである。
5 3/2x450=2550ポンド。

また資本Ⅱは、その第6回転期間の1週間半を完了しただけで、残りの7週間半は、翌年に属するのであるから、5回と6分の1回転したわけである。
1/6x450=2325ポンド。
現実の総回転は、4875ポンドである。
【マルクスは、この章に限らないが、実に細かな検討をするものだ!】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6973). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は、 資本 Ⅰ と 資本 Ⅱ とを、相互に全く独立した二つの資本として見よう。それらの運動において、両資本は全く独立している。これらの運動が補足し合うのは、それらの労働期間と流通期間とが、直接に交替し合うからにすぎない。量資本は、異なる資本家に属する二つの全く独立した資本として考察されうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7008). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【以下、第二節、第三節、第四節、第五節、第十六章については省略します。】

第二節 労働期間が流通期間より大きいばあい

省略

第三節 労働期間が流通期間より小さいばあい

省略

第四節 結論

省略

第五節 価格変動の影響

省略

第十七章 剰余価値の流通

一 年間 に 生産 さ れる 剰余価値 の 量 が 同じ で ある ば あい にも、回転期間における差異が、剰余価値の年率における差異を生ぜしめるということは、われわれが、これまで見てきたところである。

しかしさらに、剰余価値の資本化、すなわち蓄積において必然的に差異が生じ、またそのかぎりでは、剰余価値率は不変であっても、一年間に生産される剰余価値量における差異が生ずる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8312). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

信用 の 発達 が 入っ て くれ ば、最初に前貸しされた資本と資本化された剰余価値との関係は、さらにいっそう複雑になる。

たとえばAは、彼が事業を開始または一年間続行するに用いる生産資本の一部を、銀行家Cから借入れる。彼は、事業を遂行するに足りる自分の資本を、初めからはもっていないのである。

銀行家Cは彼にある金額を貸すが、それは、Cのもとに預金された産業家D、E、F等の剰余価値から成るものにすぎない。Aの立場からは。蓄積された資本は、まだ問題にならない。しかし実際には、D、E、F等にとっては、Aは、彼らの取得した剰余価値を資本化する一代理人にほかならないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8341). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

現実 の 蓄積、 すなわち 生産資本 への 剰余価値 の 転化(およびそれに対応する拡大された規模における再生産)と並んで、貨幣蓄積が行われる、すなわち、後にある程度の大きさに達してから初めて、追加的能動資本として機能すべき潜在的貨幣資本としての、剰余価値の一部の堆積が行われる。

個々の資本家の立場からは、事柄はかように示される。しかし、資本主義的生産の発達とともに、同時に信用制度が発達する。資本家が彼自身の事業ではまだ充用しえない貨幣資本は、他の資本家たちによって充用され、そのかわりに、彼は彼らから利子を受取る。それは彼にとっては、特殊の意味における貨幣資本として、生産資本からは区別された種類の資本として、機能する。

しかし、それは他人の手中で資本として作用する。次のことが明らかとなる、すなわち剰余価値の実現がより頻繁となり、それの生産される規模の大きくなるにつれて、新たな貨幣資本または資本としての貨幣が、貨幣市場に投ぜられ、そこから少なくとも大部分は再び拡大生産のために吸収される割合が増大する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8364). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

現存 資本 の この 一見 巨大 に 見える 量 を、あるいはむしろ、それによって獲得された、年々の労働の生産物にたいする支配と独占を、その現在の強制的分割の状態において維持し永久化するためには、この怖ろしい全機構が、不安から生ずる悪徳や犯罪や苦痛が、永久化されねばならない。

まず必要は欲望が充足されていなければ、何ものも蓄積されえない、そして人間の性向の大きな流れは、享楽に向かって流れる。それゆえ、与えられた各瞬間における社会に現実の富の額は、比較的僅少なものである。

それは生産と消費との永久の循環である。年々の生産と消費のこの巨大な量においては、一握りの現実の蓄積などは、なくてもほとんど困らないである。しかもなお、おもな注意は、かの巨大な生産力ではなく、この一握りの蓄積に向けられてきたのである。

しかし、この一握りは、わずかばかりの者の手に押さえられて、大衆の労働のたえず年々繰返される生産物を領有さるための道具に転化されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8426). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

大衆 の 目 は、 蓄積 さ れ た 大量 に、 ことにそれがわずかばかりの者に手に集中されているばあいは驚異をもって向けられる。しかし、年々生産された大量は、大河の永久に止まぬ無数の波のように、流れ去っては、消費という忘却の大洋に消える。しかも、この永久の消費こそ、あらゆる享楽の条件であるのみではなく、全人類の生存の条件である。

この年生産物の量と分配とが、何よりもまず考量の対象となされるべきであろう。現実の蓄積は全く第二次的な意義のものであり、そしてこの意義も、ほとんどもっぱら、年生産物の分配に及ぼす影響によって与えられるのである。

【現実の蓄積と分配について、ウィリアム・トムスンは下記のように述べている。】

この現在の分配の維持に比べれば、たえず繰返される全人類の困苦または福祉の如きは、一顧にも値しないもとされている、暴力と欺瞞と偶然との結果を永久化すること、人々はこれを安全と名づけた。そしてこの虚偽の安全の維持のために、人類のあらゆる生産諸力が、無慈悲に犠牲にされてきたのである。

ウィリアム・トムスン『富の分配原理の研究』440-443ページ

【私見:現代では、世界の全人口中の、わずか1%の金満家たちが、世界を支配している。この連中が、暴力と欺瞞と不安を煽って、戦争へと駆りたてている。台湾有事などと叫びたてている輩は、この1%の連中の操り人形にしか見えない。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8439). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第一節 単純再生産

単純再生産のばあいには、年々に、または年数 回 の 回転 によって 周期的 に、生産され実現される剰余価値が、その所有者なる資本家によって、個人的に、すなわち不生産的に、消費される。

生産物借りが一部は剰余価値から成り、他の一部は、生産物価値のうちに再生産された可変資本と、それにおいて消費された不変資本との和によって形成される価値部分から成るという事情は、商品資本としてたえず流通に入り、また同様にたえずそこから引上げられて生産的または個人的消費に帰する、すなわち生産手段として役立つ、総生産物の量にも価値にも、全然影響を及ぼさない。

不変資本を考察外に置けば、労働者と資本家とのあいだの年生産物の分配が、それによって影響を受けるだけである。

したがって、単純再生産を想定するばあいにも、剰余価値の一部は、たえず貨幣として、そして生産物としてではなく、存在せねばならない。そうでなければ、剰余価値は、消費のために貨幣から生産物に転化されることができないからである。

この、初めの商品形態から貨幣への剰余価値の転化が、ここでは、さらに進んで考察されねばならない。事柄を簡単にするために、問題のもっとも単純な形態が想定される、すなわち、もっぱら金属の貨幣のみが、現実の等価である貨幣のみが流通するものと想定される。

国内に存在する金属貨幣の量は、商品を流通させるに足るものでなければならないが、それだけではない。それは、一部は流通速度における変動から、一部は商品の価格変動から、一部は貨幣があるいは支払手段としてあるいは本来の流通手段として機能する比率の差異と変動から生ずる貨幣流通の諸変動にたいしても、充分でなければならない。

現存貨幣量が退蔵貨幣と流通貨幣とに分割される比率は、たえず変動するが、しかし貨幣の量は、つねに、退蔵貨幣として現存する貨幣との合計に等しい。この貨幣量(金属量)は、次第に蓄積された社会の退蔵貨幣である。

この退蔵貨幣の一部が摩損によって消耗するかぎり、それは、すべての他の生産物と同様に、年々新たに補填されねばならない。それは、現実には、年々の国内生産物の一部を、直接または間接に金銀生産国の生産物と交換することによって、行なわれる。

しかし、取引のこの国際的性格は、取引の単純な経過を隠蔽する、それゆえ、もっとも単純な、もっとも見通しやすい表現に戻すためには、金銀生産が国内で行なわれ、したがって金銀生産が各国内の社会的総生産の一部となるものと前提されねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8456). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産 の 立場 からすれば、確かに特殊な一問題をなすかのような外観が存する。すなわち、ここでは、貨幣が流通に投ぜられる出発点として現われるものが、資本家だからである。

労働者がその生活手段の支払いのために支出する貨幣は、あらかじめ可変資本の貨幣形態として存在し、したがって、元来は労働力の購買手段または支払手段として、資本家によって投ぜられる。

そのほかに資本家は、彼にとって元来彼の不変固定資本と不変流動資本の貨幣形態をなす貨幣を、流通に投ずる。彼はそれを、労働手段と生産材料の購買手段および支配手段として支出する。

しかし、この点を超えては、資本家はもはや、流通内にある貨幣量の出発点として現われない。ところで、出発点は二つしかない、資本家と労働者と。

すべて第三者の人的部類は、労務の代償としてこの両階級から貨幣を受取らねばならないか、または、彼らが反対給付なしに貨幣を受取るかぎりでは、地代、利子などに形態における剰余価値の共同所有者であるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8665). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

問題 は、 いかに し て 彼 がその剰余価値を貨幣化するか、であって、剰余価値と換えて得られた貨幣が、後からいかに分配されるか、ではない。(中略)

最初に可変資本として前貸しされた貨幣は、労働者はそれを生活手段の支払いに支出するときには、すでにその第二の流通をなしているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8675). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

奢侈 品 にたいする 需要 が 減少 する( 奢侈 品 にたいする 資本家 の 購買 手段 が 減少 し て、 資本家 の 需要 が減少した結果として)のであるから、資本家は奢侈品の価格を引上げるうるという主張は、需要供給の法則の全く奇抜な応用であろう。

単に奢侈品の買い手の置換えが生じて労働者が資本家に代わるだけでないかぎり、ーーーそしてこの置換えが生ずるかぎりでは、労働者の需要は、生活必需品の価格騰貴には影響しない、というのは、労働者は奢侈品に支出する賃金追加部分を、生活必需品には支出しえないからである、ーーー需要減少の結果として奢侈品の価格は下落する。

その結果、資本が奢侈品生産から引上げられて、奢侈品供給が社会的生産過程におけるその役割の変化に相応する程度まで縮小される。

この生産減少とともに、別に価値の変動がなければ、奢侈品は再びその正常価格まで騰貴する。この収縮またはこの平準化過程が行われるあいだ、生活手段の価格が騰貴するば、他の生産部門から引上げられるだけの資本が同様にたえず資本が同様にたえず生活手段の生産に供給されて、需要が飽和させられるまでそれが続く。

次いで 再び 均衡 が 生ずる、 そして 全 過程 の 帰結 は、 社会的 資本 と、 したがって また 貨幣資本が、 変化 し た 比率 を もっ て、 生活 必需品 の 生産 と 奢侈 品 の 生産 との あいだ に 分割 さ れ て いる、 ということである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8849). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式 ーーーその 基礎 は 賃金労働 で あり、 したがって、貨幣をもってする労働者への支払いと、一般に現物給付の貨幣給付への転化でもあるーーーは、流通とそれによって条件づけられた貨幣退蔵(準備基金等)とのために、充分な貨幣量が国内に存するばあいに、初めてより大きな範囲とより深い完成とをもって発展しうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8940). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産 は、 その 諸 条件 の 発展 と 同時に 発展 するので あっ て、 この 諸 条件 の 一つ が、 貴金属 の 充分 な 供給 なので ある。 それ ゆえ に、 一六 世紀 以来 の貴金属 供給 の 増加 は、 資本主義 的 生産 の 発展 史 における、 本質的 な 一 要因 を なす ので ある。

しかし、 資本主義的 生産様式 の 基礎 の 上 における 貨幣 材料 の、 より 以上 の 必要 な 供給 が 問題 とさ れる かぎり では、一方 では、 生産 物 における 剰余価値 が、 その 貨幣 化 に 必要 な 貨幣 なし に 流通 に 投ぜ られ、 また 他方 では、金 における 剰余価値 が、 あらかじめ 生産 物 が 貨幣 に 転化 さ れる こと なし に、 流通 に 投ぜ られる のである
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8945). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 に 転化 さ れ ね ば なら ない 追加 諸 商品 が 必要 な 貨幣 量 を 見出す のは、 他方 で、諸 商品 に 転化 さ れ ね ば なら ない 追加 の 金( および 銀) が、 交換 によって では なく、 生産 そのもの によって、流通に投ぜられるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8951). 株式会社 岩波書店. Kindle 版

第二節 蓄積と拡大再生産

拡大 さ れ た 規模 における 再生産 の 形態で蓄積が行われるかぎりでは、それが貨幣流通にかんして新たな問題を提出するものではないことは明らかである。

まず第一に、増大する生産資本の機能のために必要とされる追加貨幣資本について言えば、それは、実現された剰余価値のうち、資本家が収入の貨幣形態としてではなく、貨幣資本として流通に投ずる部分によって、供給される。貨幣はすでに資本家の手中にある。ただその用途が異なるだけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8954). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 商品 量 の 価格 総額 が 増加 し て いる こと は、 一定 の 商品 量 の 価格が騰貴したからではなく、いま流通している商品の量が以前に流通していた商品の量よりも大きく、しかも、それが価格の下落によって相殺されるようなことがないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8966). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 後 の 方(退蔵形態から流通形態への貨幣の転化) の こと に 含まれるのは、遊休貨幣資本が購買手段または支払手段として機能を始めること、あるいはまた、すでに準備基金として機能している貨幣資本が、その所有者にためには準備基金の機能を果たしながら社会のためには能動的に流通し(たえず貸出される銀行預金のように)、したがって二重の機能を果たすというこのみではなく、さらにまた、停滞している鋳貨準備基金が節約されるということも含まれている。

【私見:資本家たちよ、貨幣を退蔵していないで、どんどんと流通形態へと転化、つまり購買手段や支払手段に参加しなさい、という当然のことをマルクスは言っている。しかしながら、資本家たちが購買意欲をかきたてるような商品がないのが、問題なのでは?

なかには、宇宙旅行に興味を抱いているCEOたちがいるようだが、将来は別として、現実の流通形態に、影響を及ぼしているようには思えない。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8972). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 用具 として の 金銀 の 年々 の 生産 で 支出 さ れる 労働力 と 社会的 生産手段 との 総額 は、 資本主義 的生産様式の、一般に商品生産を基礎とする生産様式に、必要空費中の厄介な一費目をなしている。

それは、それに相当する額の可能的な追加生産手段と消費手段を、すなわちそれに相当する額の現実的富を、社会的利用から奪い去る。

生産の規模が一定不変であるばあい、またはその拡張の程度が一定であるばあい、この高価な流通機構の費用が減らされるならば、そのかぎりでは、これによって社会的労働の生産力が高められる。

したがって、信用制度とともに発達する諸種の補助手段がかような効果をもつかぎりでは、それらは、直接に資本主義的富を増加させる。

すなわち、それによって、社会的生産過程と労働過程の一大部分が、現実の貨幣の一切の介入なしに遂行されるにせよ、現実に機能する貨幣量の機能力が高められるにせよ、そうなるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8995). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

信用 制度 が なけれ ば、 むしろ 資本主義 的 生産 は、 貴金属 生産 の 範囲 によって 限界 を 与え られたであろう。しかし、他面、貨幣資本を提供し、あるいは流動させるかぎりでの信用制度の生産的な力について、神秘的な観念を抱いてはならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9006). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

事柄 を、 現実 に 現われる まま に 見る なら ば、 後 の 使用 の ため に 蓄積 さ れる 潜在的 貨幣資本 は、 次 のものからなる。

  1. 銀行預金:ここでは、ただ名目的に貨幣資本が蓄積されているにすぎない。現実に蓄積されているものは貨幣請求権であって、それは、引出される貨幣と払込まれる貨幣とのあいだに主ずるがゆえにのみ貨幣化されるものである。貨幣として銀行の手にあるものは、相対的に僅少な額にすぎない。

  2. 国債証券:これは決して資本ではなく、国民の年々の生産物にたいする単なる債権である。

  3. 株式:詐欺的なものでないかぎり、それは、一会社に属する現実の資本にたいする所有名義であり、またこの資本から年々流出する剰余価値にたいする、配当請求権である。

すべてこれらのばあいには貨幣の蓄積が行われるのではなく、一方で貨幣資本の蓄積として現われるものは、他方では貨幣の不断の現実の支出として現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9061). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【本章によって、kindle版の4冊目を終了しました。次回からは5冊目となります。】

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