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カール・マルクス 著『資本論 』第一巻 第一篇 商品と貨幣 第二章及び第三章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第一巻 第一篇 第二章と第三章に目次をつけたものを再掲載します。。

第一巻 資本の生産過程

第一篇 商品と貨幣


第二章 交換過程


商品 は、自分自身で市場に行くことができず、また自分自身で交換されることもできない。

したがって、われわれはその番人を、すなわち、商品所有者を探さなければならない。商品は物であって、したがって人間にたいして無抵抗である。

もし商品が従順でないようなばあいには、人間は暴力を用いることができる。言葉を換えていえば、これを持って歩くことができる。

これらの物を商品として相互に関係せしめるために、商品の番人は、お互いに人として相対しなければならぬ。

彼らの意志がそれらの物の中にひそんでいる。したがって、ある一人は、他人の同意をもってのみ、したがって各人は、ただ両者に共通な意志行為によってのみ、自身の商品を譲渡して他人の商品を取得する。

したがって、彼らは交互に私有財産所有者として、認め合わなければならぬ。契約という形態をとるこの法関係は、適法的なものとして進行するかどうかは別として、一つの意志関係である。

この関係に経済的関係が反映されている。この法関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2598). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 は、 それ が 価値 として実現されうる前に、使用価値であることを立証しなければならない。

なぜかというに、商品に支出された人間労働は、それが他人にたいして有用な形態で支出されるかぎりでのみ、かかる人間労働の性質を受取るからである。

その労働が他人に有用であるか、したがって、その生産物が他人の欲望を充足させるどうかは、だが、諸商品が交換されてはじめて証明しうることである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2689). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

わが 商品 所有者たちは、困りはてて、ファウストのように考える。初めに行いありき。

したがって彼らは、彼らが考える前にすでに行っていたのである。商品性質の諸法則は、商品所有者の自然本能の中に活動していた。

彼らは、その商品をただ価値としてのみ、それゆえにまたただ商品してのみ、相互に相関係せしめることができるのであるが、それをなすのに彼らは商品を、対立的に、一般的等価としてなんらかの他の商品にたいして相関系せしめていたのである。これを商品の分析は明らかにした。

しかし、ただ社会的行為のみが、一定の商品を一般的等価となすことができるのである。したがって、すべての他の商品の社会的行動は、諸商品が全般的にその価値を表示する一定の商品を除外する。

このことによって、この商品の自然形態は、社会的に用いられる等価形態となる。一般的な等価であることは、社会的の過程によって、この除外された商品の特殊的に社会的な機能となる。こうして、その商品はーーー貨幣となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2705). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:ここで、『資本論』に記述されていることを踏まえて、商品と貨幣の関係を整理してみる。

労働者が工場で生産した物は、売れなければ、使用価値は無となり、つまり売れ残りとなって、廃棄される。

しかしながら、売れるのかどうかの判断がつかぬまま、鉄鋼、車、家電製品、IT製品、化学製品、農産物、食料品等々が、自働機械で、次々と生産されている。

ファウストのように、売れるかどうかを考える前に、まず、生産してしまえとなっている。その結果、売れなくなると、在庫品が溢れて不況状態となる。

ところが、貨幣という商品については、他の商品と違って、あるゆる商品と交換可能な商品であるために、一部の資本家たちのみが、守銭奴のごとく、銀行の金庫に貯め込んでしまい、また企業の内部留保も莫大な量となっており、経済が回っていない。

そして、労働者の賃金は30年以上も沈滞していて、貧富の格差が拡大するばかりで、労働者の購買意欲も減衰し、あらゆる経済的な指標は、どんどん下がっている。もはや、日本は先進国という看板を外さなければならない状態となっている。

そうなると、共産主義のように、分配を強化するとなるが、この政策については、すでに過去にソ連が破綻していて、何処にも行き場のない、ドツボにはまっている。】

貨幣 結晶 は交換過程の必然的な生産物である。交換過程で、種類のちがう労働生産物がお互いに事実上等しく置かれ、したがってまた、事実上商品に転化される。

交換の歴史的な拡がりと深化は、商品性質の中にねむっている使用価値と価値対立を展開させる。この対立を、交易のために外的に表示しようという欲求は、商品価値の独立形態の成立へとかり立てる。

そしてこの独立形態が、商品を商品と貨幣とに二重化することによって終局的に確立されるまでは、安定し憩うことを知らない。

遊牧民族が、最初に貨幣形態を発展させる。

というのは、彼らの一切の財産は動かしうる、したがって直接に譲渡しうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式は、彼らをつねに他の共同体と接触させ、したがって、生産物交換を引起こしていくからである。人間は、しばしば人間自身を、奴隷の姿で最初の貨幣材料にした。しかしまだかつて、土地を貨幣材料にしたことはない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2776). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 商品 の使用価値は二重となる。商品としてのその特別な使用価値、例えば、金は、むし歯を充填するためとか、奢侈商品の原料等々に用いられるほかに、その特殊な社会的機能から生ずる、一つの形式的な使用価値を得るのである。

すべておいての他の商品は、貨幣の特別の等価にすぎず、貨幣はそれらの一般的な等価なのであるから、それらの商品は、一般的商品としての貨幣にたいして、特別の商品として対するわけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2801). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

すべての他の商品は、貨幣の特別の等価にすぎず、貨幣はそれらの一般的等価なのであるから、それらの商品は、一般的商品としての貨幣にたいして、特別の商品として対するわけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2804). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣形態は、ただ、他の一切の商品の関係が、一商品に固着して反射されているものであるにすぎないことを知ったのである。

したがって、貨幣が商品であることは、その完成した姿から出発して、後からこれを分析する人にとって、一つの発見であるにすぎない。

交換過程は、貨幣に転化する商品は、その価値を与えるのではなく、その特殊な価値形態を与えるのである。両規定を混同すると、金と銀の価値を想像的なものと考えるような誤りにおちいる。

貨幣は一定の機能においては、それ自身の単なる機能においては、それ自身の単なる標章によって置き換えられうるのであるから、貨幣が単なる標章であると考えるような、他の誤りも生じた。

他方において、この誤りの中には、物の貨幣の形態は、物自身にとっては外的なものであり、その背後にかくれている人間関係の単なる現象形態であるという予感がはいっていた。

この意味では、あらゆる商品は一つの標章であろう。というのは、価値としては、ただ商品に支出された人間労働の物財的の外被にすぎないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2809). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかしながら、人は、物財が一定の生産様式の基礎の上に得る社会的性格、または労働の社会的規定が一定の生産様式の基礎の上に得る物財的性格、これらのものを、単なる標章と称えることによって、同時にこれらのものを人間の恣意的な想像の産物と称することになるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2819). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

困難は、貨幣が商品であるのを理解することよりも、商品は、いかにして、なぜに、何によって、貨幣であるかを理解することにある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2884). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一 商品 は、他の諸商品が全面的にその価値を、それで表示するから、そのために貨幣となるのであるようには見えないで、諸商品は、逆に一商品が貨幣であるから、一般的にその価値をこれで表すように見える。

媒介的な運動は、それ自身の結果を見ると消滅しており、なんらの痕跡をも残していない。諸商品は、自分では何もするところなく、自分自身の価値の姿が、彼らのほかに彼らと並んで存在する商品体として完成されているのを、そのまま見出すのである。

これらのもの、すなわち、土地の内奥から取出されてきたままの金と銀とは、同時にすべての人間労働の直接的な化身である。このようにして貨幣の魔術が生まれる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2920). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三章 貨幣または商品流通  

第一節 価値の尺度

私 は 説明を簡略するために、この著作ではどこでも、金が貨幣商品であると前提する。

金の第一の機能は、商品世界にたいして、その価値表現の材料を供し、または商品価値を同分母をもつ大いさ、すなわち質的に等一で、量的に比較できる大いさとして、表示することにある。

こうして、金は価値の一般的尺度として機能し、この機能によってはじめて金という特殊的な等価品が、まず貨幣となる。

諸商品は貨幣によって通約しうべきものとなるのではない。逆だ。

すべての商品は、価値として対象化された人間労働であり、したがって、それ自体として通約しうるものであるから、その価値を同一の商品で、共通に測り、このことによってこの商品を、その共通尺度、または貨幣に転化しうるのである。

価値としての貨幣は、商品の内在的な価値尺度である労働時間の必然的な現象形態である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2933). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 の 一般的な相対的価値形態は、いまや再びその本源的な、単純な、または個々的な相対的価値形態の姿をとるにいたっている。

他方において、拡大された相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の特殊に相対的な価値形態となっている。しかしながら、この列は、いまやすでに商品価格で社会的に与えられている。

物価表を逆に読めばいいのだ。そうすれば、可能な、ありとあらゆる商品における貨幣の価値の大いさが、表示されていることを知るのである。これに反して、貨幣は価格をもっていない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2965). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

金 における 商品価値の表現は、観念的なものであるから、この表現を実際に行うためには、また観念的の、または理念としての金が用いられればいいのである。

どんな商品番人も、自分が商品の価値に価格の形態を、または観念となった金の形態を与えても、まだ決して彼の商品を金化しているのでないということ、そして金で幾百万の商品開智を評価するためには、一片の現実の金をも必要としないということを、知っている。

したがって貨幣は、その価値尺度の機能においては、ーーーただ観念となった貨幣、または理念的の貨幣としてのみ用いられる。この事情は、きわめて馬鹿げた理論を考え出させるにいたった。

観念となった貨幣のみが価値尺度に用いられるとしても、価格は全く実在的な貨幣材料に依存しているのである。価値、すなわち、例えば一トンの鉄の中に含まれている人間労働の一定量は、同一量の労働を含んでいる一定の観念化された貨幣商品の量の中に表現される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2977). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

価値 の 尺度として、また価格の尺度標準として、貨幣は二つのまったくちがった機能を行う。貨幣は、人間労働の社会的化身として、価値の尺度である。

確定した金属重量としては、価格の尺度標準である。貨幣は、価値尺度としては、雑多にちがっている商品の価値を価格に、すなわち、観念化された金量に転化するために用いられる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3056). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
  

第二節 流通手段

a 商品の変態


商品 の 交換 過程は、矛盾したお互いに排除し合う関係を含んでいることを知った。商品の発達は、これらの矛盾を止揚しないで、 それが運動しうる形態を作り出している。これがとりもなおさず、一般に現実の矛盾が解決される方法である。

例えば、ある物体が不断に他の物体に落下しながら、同じく不断にこれから飛び去るというのは一つの矛盾である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されてもいる運動形態の一つである。

交換過程は、諸商品を、それが非使用価値である持ち手から、使用価値となる持ち手に移すかぎり、社会的な物質代謝である。

交換過程は、諸商品を、それが非使用価値である持ち手から、使用価値となる持ち手に移すかぎり、社会的な物質代謝である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3256). 株式会社 岩波書店. Kindle 版

ある 商品の形態変化は、すべて二つの商品、すなわち、普通の商品と貨幣商品の交換において行われるということである。

この素材的要素である商品と金との交換のみ固執すると、人は、まさに見なければならぬもの、すなわち、形態について起こることを看過する。

金は単なる商品としては貨幣ではないということ、そして他の諸商品自身がその価格を金で表すことによって、金は商品そのものの貨幣態容となっているということ、人はこれを見逃す。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3267). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

交換過程は、商品の商品と貨幣とへの二重化を生じしめる、すなわち、一つの外的な対立を生ぜしめる。この対立の中に、商品は、使用価値と価値の内在的対立を示しているのである。この対立において、諸商品は使用価値としての貨幣に相対する。

他方において、対立の両側は商品である。したがって、使用価値と価値の統一である。しかしながら、この差別の統一は、両極のおのおのにおいて逆に表示されている。そしてこのことによって、同時に、両極の相互関係が示されているのである。

商品は現実に使用価値である。その価値たることは、ただ観念的に価格に現れる。価格は、商品を、その実在的な価値態容として対立する金に、関係せしめる、

逆に、金材料は価値体化物として、貨幣としてのみ働いている。したがって、貨幣は現実に交換価値である。その使用価値は、ただ観念的に相対的な価値表現の序列の中に現れるにすぎない。

この表現において貨幣は、相対する諸商品に、これをその現実的な使用態容の全範囲として関係する。商品のこれらの対立的な形態は、その交換過程の現実的な運動形態である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3277). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この商品の交換過程は、二つの対立した、そして相互に補足しあう変態ーーー商品の貨幣への転化と貨幣から商品への反転ーーーとなって遂行される。

商品 変態の契機は、同時に商品所有者の取引ーーー売り、すなわち商品の貨幣との交換、買い、すなわち貨幣と商品との交換、さらにまた買うために売るというこの両行為に統一ーーである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3291). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 価値の商品体から金体への飛躍は、私が他のところで名づけたように命がけの飛躍である。この飛躍が失敗すれば、商品は別にこまることもないが、商品所有者は恐らく苦しむ。

社会的分業は、彼の労働を一方的に偏せしめると同時に、彼の欲望を多方面にする。まさにこのゆえに、彼の生産物が彼にとって用をなすのは、交換価値としてだけである。

しかしその生産物が一般的な社会的に通用する等価形態を得るのは、貨幣としてだけである。そしえ貨幣は、他人のポケットの中にあるのである。

これを引出すためには、商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。すなわち、この商品にたいっして支出された労働は、かくて社会的に有用なる形態で支出されていなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3310). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 は 何 と交換されるのか?自分自身の一般的価値態容と。そして金は何と交換されるのか?その使用価値の特別な態容と。

なぜ金は亜麻布にたいして貨幣として相対するのか?亜麻布の二ポンドという価格、またその貨幣名が、亜麻布をすでに貨幣としての金に関係せしめているからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3378). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は、これまで人間の経済関係を、ただ商品所有者の関係としてだけ見てきた。これは、商品所有者たちが、もっぱら自己の労働生産物を手放して、他人のる労働生産物を取得する関係である。

したがって、一方の商品所有者にたいして、他方の商品所有者は、ただ貨幣所有者としてのみ、相対することができる。

それができるのは、彼の労働生産物がほんらい貨幣形態をとっており、したがって貨幣材料であり、金等々であるからであるか、あるいは彼自身の商品がすでに脱皮して、その最初の使用形態を脱ぎ去ったからであるかである。

貨幣として機能するためには、金はもちろんいずれかの点で、商品市場にはいりこまねばならない。この点は、その生産源にある。ここで金は直接の労働生産物として、同一価値の他の労働生産物と交換される。

しかしながら、この瞬間から、たえず、金は実現された商品価格を表している。商品と金のその生産減における交換を別とすれば、金はすべての商品所有者の手中で、彼の売渡した商品の脱皮した姿となっている。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3391). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

金が観念的な貨幣、または価値尺度となったのは、すべての商品がその価値を金で測り、かくてこれをその使用態容の観念化された反対物、すなわち、その価値態容となしたからである。

金が実在的な貨幣となるのは、諸商品がその全面的な売渡しによって、金を諸商品の現実に脱皮した、または転化した使用態容となすからである。

その価値態容においては、その自然発生的にもっている使用価値、そしてその成立を負っている特別な有用労働の、あらゆる痕跡をはらい落している。こうして、無差別な人間労働の一様な社会的な体化物に蛹化していくのである。

したがって、人は貨幣にたいしては、貨幣に転化された商品がどんな種類のものかということを、少しも顧みない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3402). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通は、生産物の時間的、場所的および個人的な限界をうち破るのであるが、それはこうしてである、すなわち、流通そのものが、二分の労働生産物を交換に出し、他人のそれと交換してくるという生産物交換に存する直接の一致を、売りと買いの対立に分裂させることによってである。

独立的に相互に相対する過程が、内的統一をなすということは、同じくその内的統一が、外的の対立をなして運動するということを意味する。

相互に補足し合うのであるから、内的には非独立的である者が、外的に独立している。この独立が一定の点まで進展すると、統一は強力的に一つのーーー恐慌によって貫かれる。

商品に内在している対立、使用価値と価値、同時に直接的に社会的なる労働を表さなければならならない私的労働、同時にただ抽象的に一般的な労働となされる特別な具体的労働、物の人格化と人の物化ーーーというようなこの内在的矛盾は、商品変態の対立の中に、その発展した運動形態を保持している。

したがって、これらの形態は、恐慌の可能性を、だがまたその可能性のみを、含んでいる。この可能性の現実性への発展は、単純な商品流通の立場からは、まだ少しも存在していない諸関係の全範囲を、必要とするのである。(中略)

商品 流通の媒介者として、貨幣は流通手段の機能を得る。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3516). 株式会社 岩波書店. Kindle 版

b 貨幣の流通


労働 生産 物の物質代謝が行われる形態変化W-G-Wは、同一の商品として過程の出発点をなし、同一点に商品として帰ってくるということを、かならず含んでいる。したがって、商品のこの運動は循環である。

他方において、この同じ形態は貨幣の循環を排除する。その結果は貨幣がその出発点からたえず離れていって、その出発点に帰らないということである。

売り手がその商品の転化した姿である貨幣を手許にもっているかぎり、商品は第一の変態またその最初の所有者の手から離れる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3546). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 はつねに売り手の側にあり、貨幣はつねに買い手の側にある、購買手段として。貨幣は、商品の価格を実現しつつ、購買手段として機能する。貨幣は、価格を実現しつつ、商品を売り手の手から買い手の手に移行させる。

他方において、貨幣は、同時に買い手の手から、売り手の手へと離れていって、同一の過程を、他の商品について繰り返す。貨幣のこの一方的な形態が、商品の二重の形態運動から発生することは、隠蔽されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3564). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品の価格総和が、このように昂騰するか、低落するかにしたがって、流通する貨幣の量を同じ比例で増大したり、減少しなければならぬ。

流通手段の量におけるこの変化は、この場合、もちろん貨幣自身から生じるのであるが、流通手段としてのその機能からではなく、価値尺度としてのその機能から生ずるものである。商品の価格は、まず貨幣の価値と逆に変化するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3620). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は、商品の流通部面が一つの穴をもっていて、ここから金(銀、要するに貨幣材料)が一定の与えられた価値をもった商品として、流通部面に入ってくるということを知っている。

この価値は、価値尺度としての貨幣の機能、したがって価格規定においては、前提されている。そこで例えば、価格尺度自身の価値が低落するれば、このことはまず、直接に貴金属の生産源で、商品としての貴金属と交換される商品の価格変動に現れる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3631). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

新た な 金鉱源および銀鉱源の発見のつづいたいろいろな事実を一方的に観察して、17世紀ととくに18世紀では、商品価格は、より多くの金と銀が流通手段として機能するにいたったから騰貴したのであるという
謬った結論におちいった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3642). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 量を与えられたものと前提すれば、流通貨幣の量は、商品の価格動揺とともに増加したり、減少したりする。

流通貨幣量は、商品の価格総和が、その価格変動のために増大するか、または減少するかしたために、増加したり減退したりする。

そのためには、すべての商品の価格が、同時に昂騰したり、低落したりする必要は少しもない。あるばあいには、ある数の主な品目の価格が昂騰するか、他のばあいには、その価格が低落すかすれば、すべての流通商品の実現さるべき価格総和を引上げ、または引下げるのに充分である。

したがって、またより多くの貨幣、またはより少量の貨幣を、流通に投じておくに足るのである。

商品の価値変動を反映するのか、市場価格の単なる動揺を反映するのか、いずれにしても、流通手段にたいする影響は同一である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3652). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 流通ということは、一般に商品の流通過程、すなわちその循環が、相対立した変態を通じて行われるだけのことであるように、

貨幣流通の速度ということは、商品の形態変化の速度、すなわち、変態序列の継続的なかみあい、はやい物質代謝、商品の流通部面まらの急速な消失と、新たな商品によるその同じく急速な代置が、行われることなのである。

すなわち、使用態容の価値態容への転化および価値態容の使用態容への再転化、言いかえれば、売りおよび買い両過程、これらの流動的な統一が、示されているのである。

逆に、貨幣流通が緩慢化した場合には、これらの過程の分離と対立的独立化、すなわち、形態変化の、したあってまた物質代謝の梗塞が現われる。

この梗塞がどこからくるかということは、もちろん、流通自身について看取することはできない。流通はただ現象自体を示すだけである。

貨幣流通の緩慢化とともに、貨幣が流通場面のあらゆる点に現れる頻度が少なくなって、ついには消失するという通俗的な見解にとっては、この現象を流通手段の量の不足から解決しようとする見解が、もっともらしく見える。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3704). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

c 鋳貨 価値標章


貨幣 の 流通手段としての機能から、その鋳貨態容が生まれる。商品の価格または貨幣名に観念化されている重量部分である金は、流通において、同名目の金片、あるいは鋳貨として商品に相対しなければならぬ。

価格の尺度の確定と同じく、鋳造は国家の仕事となっている。金と銀が鋳貨として身につけたり、世界市場でまた脱ぐことになったりする各種の国民的制限に、商品流通の国内的または国民的部面と、その一般的世界市場部面との間の分離があらわれる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3854). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

金 は 流通手段 として は、価格の尺度標準としての金から、偏差をもつようになる、そしてこのために、その価格を実現する商品の実際の等価ではなくなる。

18世紀にいたる中性や近世の鋳貨史は、この混乱の歴史である。本来金である鋳貨を金の仮象に、または鋳貨をその公称金含有量の象徴に転化しようとする流通過程の自然発生的傾向は、金属摩損の程度にかんする、最も近代的な法律によって承認さえされている。

この程度如何によって、金片が流通不能なものとされたり、貨幣の性質を剥奪されたりする。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3863). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

銀 徴 標 または 銅 徴 標の金属含有量は、随意に法律によって定められる。通用している間にそれらのものは金貨よりもっと急速に摩滅する。

したがって、その鋳貨機能は事実上は全く、その重量から、すなわち、すべての価値から独立したものになる。

金の鋳貨実在は、全くその価値実体から分離される。こうして、相対的に価値のない物、紙幣が、金のかわりに鋳貨として、機能しうるのである。

金属的な貨幣徴標では、純粋に象徴的な性格がなお多少とも、かくされている。紙幣では、それはあらわに出てくる。

だから、難しいのは、第一歩をふみ出すことだけであることがわかる。

ここで問題となるのは、ただ強制通用力をもっている国家紙幣だけである。それは、直接に金属流通から生長してくる。

これに反して、信用紙幣は、われわれにとって単純な商品流通の立場からは、まだ全然わかっていないはずの諸関係を前提とする。

だが、ついでながら述べておけば、本来の紙幣が、貨幣の流通手段としての機能から生ずるように、信用貨幣は、貨幣の支払手段としての機能に、その自然発生的の根源をもっているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3906). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一 ポンド、 五 ポンド等々というように、貨幣名が捺されている紙券は、外部から、国家によって流通過程に投ぜられる。

それが実際に同一名目の金総額のかわりに流通するかぎり、その運動には、ただ貨幣流通自身の諸法則が反映される。

紙幣流通の特殊法則は、ただその金にたいする代表関係からしか出てこない。そしてこの法則は、単純にこうである、

すなわち、紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表示されている金(ばあいによっては銀)が、現実に流通しなければならぬ量に限定さるべきであるというのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3938). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

紙幣は金標章または貨幣標章である。その商品価値にたいする関係は、ただ次のことにある。

すなわち、商品価値は、紙幣によって象徴的に感覚的に表示されていると同じ金の一定量に、観念的に、表現されているのである。

ただ紙幣は、他の一切の商品の一定量と同じようにまた価値の一定量でもある金の一定量を代表するかぎりにおいて、価値標章である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3961). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:人類は、物々交換から始まり、貝殻、貴金属(金、銀)、紙幣などを媒介とした、取引を営んできた。現在では、キャシュカード、クレジットカード、電子マネーなどで支払うために、財布を持参しなくてもよいという、一見便利な社会となったように思える。

ところが、2023/03/17に投稿した記事で示したように、ある著名人が、三菱UFJネットバンキングアプリから、急ぎの送金しようとしたが、アプリがロックされるというトラブルが発生する危険性をはらんでいる。

最近、シリコンバレー銀行の破綻やクレディスイス銀行で取付け騒ぎがあり、銀行界は不穏な空気が流れており、この著名人は、預金封鎖かなどと、いささか妄想気味なとも思われる発言をしているが、妄想とは言えないのではという気がしている。

なぜならば、長年、低金利が続いていたが、昨年末から、利上げに転じており、上記にあげた銀行は、一気に債務超過に陥っており、いずれ日本の銀行にも影響しないとは言い切れないだろうと思われるからである。

マルクスの時代は、金銀を流通貨幣とした場合、金銀の摩滅していくので、金銀の含有量は減少する。したがって、貨幣名も変わっていた。ましてや、流通貨幣として、紙幣とするためには、かなり慎重に行っていたことは伝ってくる。

ところが、現在では、金本位制すら廃止して、金の所有量に関係なく、紙幣を無限に刷っている。その上、まるでゲーム感覚のようにして、ディーラーたちは、株取引で、マウスのドラッグアンドドロップのスピードだけで、莫大な貨幣を得るという金融システムとなってしまった。

さらには、コンピューターを利用してアルゴリズム自動計算による株取きとなると、ただ単に、コンピューターの性能競争という世界となっている。

これでは、金融界だけの株取引であり、実体経済は、まったく反映されていない。こうした金融システムはマトモなシステムなのだろうか?

リーマンショックですでに、こうした金融システムは破綻しており、そして、今回も銀行の破綻が起きているのだから、マトモなシステムではないと考えるのが普通なのでは?】

第三節 貨幣


価値 尺度として機能し、したがってまた身みずから、あるいは代理を通じて、流通手段として機能する商品は、貨幣である。

したがって、金(ばあいによっては銀)は貨幣である。金が貨幣として機能するには、一方では、その金製の(ばあいによっては銀製の)肉体をもって現れなければならず、

したがって貨幣商品として現われなければならぬから、単に価値尺度におけるように観念として存すればいいというわけでもなく、流通手段におけるように、代理可能であるというわけにもいかない。

他方では、金自身が、いまや自分の身をもって行うか、代理を通じて行うか、いずれにしても、その機能が、金を唯一の価値態容として、または交換価値の唯一の妥当は存在として、単なる使用価値としての他の一切の商品にたいして、固定するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4002). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

a 貨幣退蔵


二つ の 相 対立する商品変態の継続的な循環、または売買の流動的回転は、貨幣の不休の通用に中に、または流通の永久運動としての貨幣の機能の中に現れる。

貨幣は、変態序列が中断され、売りがこれに続く買いによって捕捉されないようになると、ただちに不動化する、あるいはボアギュベールがいうように動的なものから不動的なものに、鋳貨から貨幣に転化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4013). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 を買うためでなく、商品形態を貨幣形態で置換えるために、商品は売れれる。この形態変化が、物質代謝の単なる媒介から自己目的となる。

商品の脱皮した態容は、その絶対的に譲渡しうるべき態容、または瞬過的にすぎない貨幣態容として機能することを妨げられる。

これをもって、貨幣は退蔵貨幣に固定する。そして商品の売り手は貨幣退蔵者となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4022). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

まさに 商品 流通の当初に貨幣に転化されるのは、使用価値の剰余だけである。金と銀とは、このようにして、おのずから剰余または富の社会的表現となる。

貨幣退蔵はこのような幼稚な形態は、伝統的な、そして自給自足的である生産様式とともに、欲望の範囲もせまく固定しているような諸民族において、永久化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4030). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品生産がもっと発達するとともに、すべての商品生産者は、何よりも先立つものを、すなわち「社会的質権」を、確保しなければならぬ。

彼の欲望は不断に更新され、他人の商品を不断に買入れることを命ずるのに、他方では、彼自身の商品の生産と売却とは、時間を要するようになり、偶然に依存するようになる。

売ることなくして買うために、彼はあらかじめ、買うことなくして売っておかねばならない。この操作が一般的な規模で行われることは、それ自身矛盾しているように思われる。

だが、貴金属は、その生産源で直接に他の商品と交換される、ここでは売り(商品所有者の側における)は、買い(金および銀所有者の側における)なくして行われる。

そしてその後の売りは、これに続く買いがないばあいには、単に貴金属が、すべての商品所有者の間に、さらに分配されるのを媒介するだけになる。

このように交易のすべての点に、種々の規模をもった金と銀の退蔵が成立する。商品を交換価値として、交換価値を商品として掌握しておく可能性とともに、黄金欲もめざめてくる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4043). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

使用価値としての商品は、特別の欲望を充足させ、素材的富の特別の要素をなしている。

しかしながら、商品の価値は、素材的富のすべての要素にたいする商品の吸引力の度を、したがってその所有者の社会的富を示している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4138). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

金を貨幣として、したがって貨幣退蔵の構成分子として固定させるためには、流通うることを、または購買手段として、享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。それゆえに、貨幣退蔵者は、黄金神のために自分の肉欲を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4151). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

b 支払手段


これ まで 考察した商品流通の直接の形態においては、同一の価値の大いさが、つねに二重に存した、すなわち、商品の一方の極に、貨幣が反対極にあった。

したがって、商品所有者は、相互に存する対価の代表者として、接触するようになっただけであった。

だが、商品流通の発達とともに、商品の売渡しは、その価格の実現から時間的に分離されるという関係が、発展してくる。

ここでは、これらの諸関係のうち最も単純なものを示唆するだけでよかろう。ある商品種は、その生産により長い時間を、他の種はより短い時間を必要とする。

商品の種類によっては、その生産は、いろいろの季節と結びついている。ある商品は、その市場の或る場所で生まれるし、他のそれは、遠隔の市場まで旅しなければならない。

したがって、ある商品所有者は、他の商品所有者が買い手として現われる前に、売り手として現われることある。

同一個人の間に、同じ取引がつねに繰返されるばあいには、商品の販売条件は、その生産条件にしたがって規制される。

他方において、ある商品種、例えば一家屋の利用は、一定の期間にたいして売られる。この期間の経過後はじめて、買い手は商品の使用価値を、現実に受取ったことになる。したがって、彼は、これを支払う前に買っている。

ある商品所有者は、現存する商品を売り、他は貨幣の単なる代表者として、あるいは将来の貨幣の代表者として、買っている。売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。

商品の変態、またはその価値形態の発展は、ここで変化しているのであるから、貨幣もまた一つの他の機能を得る。貨幣は支払手段となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4194). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

古代 世界 の 階級闘争は、主として債権者と債務者の間の闘争という形態で動いている。そしてローマでは、平民的債務者の没落で終わっている。彼らは奴隷によって置換えられたのである。

中世では、この闘争は封建的債務者の没落で終わっている。この債務者は、その政治的権力を、この権力の経済的基礎とともに喪失している。

だが、貨幣形態ーーーそして債権者と債務者の関係は貨幣関係の形態をとるーーーは、ここではただもっと深いところにある経済的諸条件の敵対関係を反映しているにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4217). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通手段 は 退蔵貨幣 に 転化される。というのは、流通過程は第一の段階で中断されたから、または商品の転化した態容は流通から引き去られたからである。支払手段は流通にはいる。

しかし商品はすでにここから脱出した後である。貨幣はもはやこの過程を媒介しない。貨幣は、この過程を、交換価値の絶対的存在、または一般的商品として、独立的に閉じるのである。

売り手は欲望を貨幣によって充たすために、貨幣退蔵者は商品を貨幣形態で保蔵するために、債務者たる買い手は支払いうるために、それぞれ商品を貨幣に転化した。彼が支払わなければ、彼の財産の強制処分が行われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4232). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:税金の未払い者に対しては、滞納金を加算してさらに、支払う条件を困難な状態にしたあげく、強制的に、財産没収措置の宣告する税務署の存在は情け容赦のない、おそろしい組織だと、つくづく感じる。

ズルをして未払いするような悪人は、どれほどいるのだろうと、考える。大半は、税金も払えぬほど、貧困にあえいでいるがゆえだと思うからです。】


買い手 は貨幣を商品に再転化させる。しかし、彼はその前に商品に転化させることをしてはいけない。別の言葉でいえば、彼はおそらく第二の商品変態を、第一のそえの前に遂行している。

売り手の商品は流通するが、ただ貨幣に対する私法的な請求権において、その価格を実現するだけである。商品は、貨幣に転化にするまえに、使用価値に転化する。その第一の変態の完遂は、後になってはじめて続く。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4240). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

支 払 手段としての貨幣の機能は、媒介なき矛盾を含んでいる。支払いが相殺されるかぎり、貨幣はただ観念的に計算貨幣、または価値の尺度として機能するだけである。

現実の支払いを行うかぎり、貨幣は流通手段として、すなわち、ただ物質代謝の消滅する、そして媒介的な形態として現われるのではなく、社会的労働の個性的な化身として、交換価値の独立の存在、すなわち、絶対的な商品として現われるのである。

この矛盾は、貨幣恐慌という生産および商業恐慌のある局面で頂点に達する。貨幣恐慌が発生するのは、支払いの継続的連鎖とその決済の人工的組織とが完全に発展しているところだけである。

この機構が比較的一般的に攪乱されるとともに、それがどんなところから発生しようと、貨幣は突然かつ媒介なしに、計算貨幣という観念的にのみ存した態容から、硬貨に転換する。

貨幣は、卑俗な商品によっては、代えられなくなる。商品の使用価値は、無価値となり、その価値は、それ自身の価値形態の前に消失する。

ほんのいま先までブルジョアは、好景気に酔いしれて得々として、貨幣など幻想だと称えていた。商品こそ貨幣だ。ところが貨幣こそ商品となった!
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4273). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

信用貨幣 は、直接に支払手段としての貨幣の機能から生ずる。というわけは、売られた商品にたいする債務証券自身が、再び債権の譲渡のために流通するのである。

他方において、信用制度が拡大されるにしたがって、貨幣の支払手段としての機能も増大する。このような性質のものとして、貨幣は独自の存在形態を得る。

この形態をとって、貨幣は大きな商業取引の部面を住まいとするようになる。他方、金貨または銀貨は、主として小取引の部面に追われる
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4339). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ヨーロッパ の 強制 で開かれた日本の外国貿易が、現物地代の貨幣地代への転化という結果をもたらすとすれば、それは、その模範的な農業の破滅となる。
【私見:日本は、戦後アメリカの属国となって、農業は破滅状態となったが、今に限ったことではなく、マルクスの時代から外国勢力からの強制によって、農業は破滅させられていたわけだ。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4359). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

支 払 手段 としての貨幣が発達してくると、満期日の債務額のために、貨幣蓄積を必要とするようになる。

貨幣退蔵は、ブルジョア社会の進歩とともに、独立の致富形態としては消失するが、他方、逆にこの進歩とともに、支払手段の準備金の形態で増大する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4410). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
 

c 世界貨幣


貨幣 は、 国内 流通 部面から外に出るとともに、その国で生長していた価格の尺度標準、鋳貨、補助貨および価値標章の地方形態を再びぬぎすてる。

そして貴金属の本来の地金形態にかえる。世界商業においては、商品はその価値を、世界的に展開しなければならぬ。

したがって、それらの商品の独立した価値態容は、商品にここで世界貨幣として、また相対する。世界市場ではじめて、貨幣は、充分な範囲で商品として機能する。

そしてこの商品の自然形態が、同時に人間労働一般の直接に社会的な実現形態である。その存在様式は、その概念に相当したものとなる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4415). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

世界 貨幣 は、一般的な支払手段として、一般的な購買手段および絶対的な社会的な富一般(普遍的な富)の体化物として機能する。国際貸借の決済のために、支払手段としての機能がおもなものである。

だから、重商主義の標語はーーー貿易差額!それまでの各国民間の物質代謝の均衡が、突如攪乱されるごとに、国際的購買手段としては、金と銀とが主として用いられる。

最後に富の絶対的な社会的な体化物として用いられる。このばあいには、問題は、買いにも支払いにもかんするところないものであって、富の一国から他国への移動にある。

そしてこのばあいには、このような商品形態の移動が、商品市場の景気変動か、または充足さるべき目的自身によってか、できなくなっているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4467). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

その 国内 流通にたいすると同じように、各国は世界市場流通にたいしても、予備基金を必要とする。このようにして、退蔵貨幣の機能は、一部は国内流通手段および国内支払手段としての貨幣の機能から、一部はその機能から、生ずるのである。

後の方の役割においては、つねに現実の貨幣商品、肉体をもつ金および銀が必要とされる。それゆえに、ジェイムス・スチュアートは、金と銀とを、その地方的代理物にすぎないものから区別して、明白に世界貨幣として特徴づけている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4504). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

金銀 の 流れ の動きは、二重である。一方では、それは、その源泉から全世界市場の上にひろがり、ここで、それぞれの国民の流通部面によって、それぞれの分量に捕捉されて、その国内流通路にはいり、摩滅した金銀貨に代わり、奢侈商品の材料を供し、さらに退蔵貨幣に凝結するに至るのである。

この最初の運動は、商品に実現されている国民労働と貴金属に実現されている金銀を生産する諸国の労働との、直接の交換によって媒介される。

他方において、金と銀は、たえず各種の国民の流通部面の間を、あちこちと流れている。すなわち、為替相場不断の振動につづく運動である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4525). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.




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