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無花果のアレ

2018年に途中まで書いて、RIFFに公開した記事がある。
途中というのは、本題が解決しないままに公開したからだ。

夢は予期せず突然に、叶えられた。

 家族でA_RESTAURANTで一通りディナーを楽しみ、食後のエスプレッソを飲もうとした時に、当レストランのパティシエでチョコレートメーカーであるSena Kanekoさんがこちらを見ていて、厨房越しに目があった。
同時にいつも彼女が作ってくれる食後のチョコレートと、見慣れない一皿が運ばれてきた。

こ、これはもしかすると…。

私は食べる前に口だけ動かして厨房のSenaさんに「いちじく?」と聞いていた。客席に出てきてくれた彼女は「そうです、作ってみたんです!」と微笑んでいた。いつか話したいちじくの話を覚えていて、この季節に作ってくれたのだろう。

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まさにこれ。

気がつくと私は子供の頃と同じように素手でそれをつまみ口に運んでいた。
驚いたことに祖母が作ってくれたそれと、全く同じ味がしたのだ。
最後に食べたのが恐らく45年前だというのに、一瞬にして記憶が蘇った。
前回のシュークリームより前の記憶で、仙台の祖父母の家の庭にあった無花果の木から無花果の実を摘み、祖母が鍋一杯のこれをこしらえ、家族で過ごした夏休みのこと、八木山ベニーランドに連れて行ってもらったこと、祖母と二人で近所のジャスコに行ってバネを弾いて10円玉をゴールまで運ぶゲームに熱中していたこと。あれは4つ目ぐらいのバネが難しかったことなど、どうでもいいことまで思い出してしまった。

しかし、どうして彼女は食べた事も無いこれを作る事が出来たのだろうか?
恐山からイタコでも呼んだのだろうか?
聞いてみると、色々と調べてくれたという事だった。
なんでも山形や宮城の家庭料理の一種なのだという。
なるほど、道理でお店では売っていない筈だ。
とは言え、よくぞここまで同じものを作れたものだと感心した。
もちろん彼女も初めて作ったということだった。

私はこれが食べたくて、何十年待ったのだろうか。
名残惜しみながら最後のひとくちを口に入れ、センチメンタルな気持ちになりながら「もうひとつあるの?」と聞いてみると「4つしか作っていなくて、ひとつは自分で食べちゃいました」と。
そりゃそうですよね。
私の目の前に座っている娘のお皿にひとつ乗っているが、流石にそれを奪うような大人気ない真似は出来ない。
妻にも結婚した当初からこれの話を散々してきたので、食べさせないわけには行くまい。
娘にこの料理の話をして「食べてごらん」と言うと、とても嬉しそうな顔をして美味しいと言ってくれた。やはり奪わなくて良かった。

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娘がその存在すら知らない曽祖母の味を、このレストランとパティシエの彼女の優しい気持ちを通じて、家族にも食べさせてあげることが出来た。

私にとって今夜は忘れられない夜になったし、素晴らしい仲間達に心から尊敬と感謝をしている。

それにしても、味の記憶というのは本当に凄いし、料理人というのは魔法使いなのかもしれない。

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