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わが青春のフェルナンデス

私がエレキベースを弾き始めたのが中学1年生の頃。
時代でいうと1981年だった。

楽器のことなど右も左もわからず、とりあえず近所の三鷹楽器に行っては店頭に並ぶ楽器を眺めていた。

もちろんフェンダーもギブソンも理解すら出来ておらず、色と形が違うことぐらいしか分からなかった。

なにしろ現代と違い、知識を蓄えるメディアが圧倒的に少ない時代だったのだ。楽器の知識は楽器屋の店員に聞くのが手っ取り早いし、それぐらいしか手段が無かった。

楽器屋に通い詰めると顔見知りの店員さんが、ドラクエのように少しずつ色々なことを教えてくれるようになった。

どうやらエレキギターの本場はアメリカであり、この店にある殆どの楽器は日本製のコピーモデルであるという事が分かってきた。その中でも度を越したコピーモデルを大量に製作していたのが【フェルナンデス】だった。

当時はどのメーカーもロゴまで本家に似せていて、子供ながらに「怒られないのかな?」と思っていた。
しかし、初心者やキッズにとっては大変ありがたい存在であり、本家フェンダーやギブソンなど高すぎて買えるわけもなく、貯めたお年玉やお小遣いで買えるとしたら日本製コピーモデルが関の山だし、そもそも何が違うのか分かるほどの技量も無いので、むしろコピーモデル一択と言っても過言ではないほど魅力的な存在だった。

フェルナンデスの他にはグレコ、トーカイ、ヤマハ、イバニーズ、アリアあたりが主流で、レス・ポールやストラトキャスター、プレシジョン・ベースやジャズベースのコピーが、さもオリジナルのような顔で店頭に並んでいた。要するに、ミッキーマウスそっくりのキャラクターが各社から登場していたような状況だった。

しかし、やはり怒られたのか、どのメーカーも途中から独自モデルに軸足を置き、個性的でメイド・イン・ジャパンの高品質を売りにしたラインナップに変化していった。

そんな状況の中でも独自設計の素晴らしい機構を矢継ぎ早に発表しながらも、異彩を放つほどコピー商品に情熱を傾けていたメーカーが【フェルナンデス】だったのではないかと私は思っている。
否定しているのではなく、むしろギターメーカーとしては最も楽しい現場だったのではないかとさえ思う。

公開されている過去のカタログの中で1982年のカタログを是非ご覧になって頂きたい。こんな手書きのメモみたいな内容を印刷して配布していたのだ。

1982 Fernandes カタログ

これを見るだけでも、いかに情熱的に名作を研究して楽しくギターを製作していたのかと想像させてくれる。そして随所に「完璧にコピーしたのだ!」という自信満々に言い切ったフレーズも散見される。

私もスタンリー・クラークに憧れ、いつかはアレンビック社のショートスケールベースを手に入れたいと考えていた時期があり、そんな時にフェルナンデスのカタログに【FAB-170】なるモデルを発見し、「こ、これは!」と興奮した。例の手書きのカタログにも、さも自分が考案したかのような自信たっぷりの解説まで詳細に書かれている。

モデル名のFAB-170は「FernandesのAlembic Bassの17万円のやつ」という意図が見て取れる。

本家アレンビックのベースは高嶺の花だったが、高校生の私にとっては17万円でもすぐに手が届く価格ではなかった。そして楽器屋の店頭に並ぶような機種でもないので、試奏させてもらえる機会もなく、手に入れるには本気で注文して買うしかなかった。なので早朝のゴミ清掃車のバイトとケンタッキー・フライド・チキンのバイトを掛け持ちをして何とか資金調達をして買ったのが、このAB-170だった。それまでヤマハBBの一番安いモデルで練習していた「School Days」が、一気に本物っぽい音になった。

ただし当時はベースの弦でショートスケール用も売ってなければ、スタンリー・クラークが使用しているピッコロベース用なんてのは何処にも売っておらず、そもそもピッコロベースって何やねん?とモヤモヤしながらひたすら練習に励んだ。

後にこのベースはフェルナンデスが企画をして河合楽器が製造していたことを知る。ちなみに河合楽器も同時期にアレンビックに似たF-IIBというモデルを出しており、恐らくこれと同じ製造ラインでOEM生産してもらっていたのではないかと推察される。

本題のフェルナンデスから脱線するが、ちなみに、このF-IIBベースの音色はマイルス・デイビスのライブでRichard Pattersonが見事なベースソロを披露している。

私はこれ以降、フェルナンデスの楽器を購入したことは無いが、私の音楽生活の中でフェルナンデスは語らないわけにはいかないメーカーだったことは事実ではあるものの、特別好きなメーカーかというと、そうでもない。この二十年ぐらいは楽器屋で見かけても弾いてみたくなることも無ければ、話題に出るのはあの当時の思い出話に登場するぐらいだった。

そのフェルナンデスが倒産してしまったというニュースを見ると何とも寂しい気持ちになる一方で、フェンダーの売上高が過去最高というニュースを見ると、やっぱり象徴的なオリジナルは強ぇんだなと、改めて感心するのであった。

まだフェルナンデスのWebが残っている今のうちに、過去のカタログをダウンロードしておきたい(PDFで公開してくれているだけでもありがたい話)。フェルナンデスのカタログは分厚くて読み応えがあるので、学生だった頃は毎年楽しみにしていた。

カタログのダウンロードはこちら

私が三鷹楽器でもらってきて穴が開くほど眺めていたのは1982年あたりからだろうか。84年、85年とナイト・レンジャーのブラッド・ギルスが表紙を飾っていたのもよく覚えている。カタログは様々なミュージシャンの写真で飾られており、私が知ってる当初は海外ミュージシャンの写真が多く、前述のブラッド・ギルス、レゲエバンドのサード・ワールド、ミック・テイラー、ビリー・アイドル、スティーブ・スティーブンス、国内では44マグナムのジミー(本名は知らない)ブリザード、ハウンド・ドッグ(確かフォルテシモがヒットした頃)、ZIGGY、そして代表格のBOOWYの布袋さんと松井さん。


Night Ranger "Rock in America" Official MV

Floyd RoseのトレモロとEMGピックップも掲載されていて、高額パーツを眺めているだけでもワクワクしたもんだった。

フェルナンデスはちょくちょくロゴを変えることでも知られており、私が知るだけでも数種類は存在する。

先ずは70年代初頭のフラワーチャイルド的なフォントでデザインされたロゴ。
まさに時代といった感じだろうか。
これが施された楽器は見たことは無いので、カタログ上だけだったのかもしれない。
ちなみにこの頃のストラトキャスターモデルやベースのヘッドにはフェンダーのトランジションロゴを真似たFernandesロゴがデザインされていた。
次に登場するのが、フェンダーの通称スパゲティ・ロゴと呼ばれるデザインを模したロゴ。
二度も続くと本家から怒られても仕方ないレベル。
そしてマニアの間では「石ロゴ」と呼ばれる初のオリジナリティあるデザイン。
ヤフオクでも「石ロゴ期」と言われて人気が高い。
そしてこのあたりから自信が漲ってきたのか、ゴシックボールドの力強いデザインが登場する。
ただし、この時期は複数のロゴが混在して扱われており、フワフワ感は否めない。
近年ではこのロゴに統一され落ち着いたようだ。

んで、フェルナンデスといえばギターそのものよりも、サスティナーが有名ですよね。歪ませたギターの弦振動を延々と持続させるピックアップとサーキットのセット。エリック・クラプトン、エドワード・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ヴァイ、ニール・ショーン、スラッシュなどが使用していました。ギターのドーピング剤みたいなものですね。

数年前にニューバージョンのクラファンもやっていたようで、ファンディングも成立していたようです。

昭和、平成、令和にかけて、こういう面白くて実用的なモノも製造していた、ある意味で個性的なメーカーで、プロフェッショナルからアマチュアまで、世界の音楽シーンにとても貢献してくれたメーカーだったんだと思います。

最後に、矢沢永吉さんがキャロル時代に使用していたフェルナンデスの矢沢永吉モデルのベース(通称琵琶ベース)を弾いているライブ映像。
矢沢さんのベースのフレージングってカッコいいんですよね。


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