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下町兄弟@BEAMS

Motomyと私がまだ二十代の頃に結成した音楽ユニット「下町兄弟」の三十周年に合わせて、BEAMS JAPANさんでポップアップを展開してくれることになり、このコロナ禍の中、とても多くの方々にわざわざ足を運んで、グッズまで購入して頂き、この場を借りて皆さんには心からありがとうの感謝を述べさせて頂きます。

※新曲制作までの経緯についてはこちらを参照

そもそも何故、BEAMSが下町兄弟なのか?

確かにBEAMSと言えば、ファッションを中心に様々なカルチャーを展開しているセレクトショップの老舗中の老舗なので、違和感は無いとは思うのですが、よく分からないままご来店頂いたと思うので、気にもしていない方が殆どだとは思いますが、ちょっと説明をしておきたいと思います。実は関係で言うと下町兄弟結成とほぼ同じかそれよりも長い歴史があるのです。

旅人と永井さん

私の中学時代の友人で「旅人」という男がいまして、旅人(たびびと)ではなくて、旅人(たびと)と言います。
彼のお父さんは民芸の世界では著名な某有名美術大学の学長で、中学生の頃の私は彼の家に遊びに行っては家に飾ってある子供にはよくわからない民芸品をこねくりまわして遊んだりして、とても温厚なお父さんから優しく「だめだよー」と怒られたりしていました。
崖のところに建つとても素敵な家で、私が「ピスタチオ」というものを初めて食べたのも旅人の家でした。オシャレなお母さんがおやつに出してくれた正体不明の木の実に狼狽えたことをよく覚えています。
ポテトチップスみたいなものは出てこないウェルネスな家庭でした。

サッカー少年だった旅人は、部活が終わると土手や道路に巨大な落書きをしている少年でもありました。高校卒業後はデザインの学校に進学し、キラー通りにあったキース・ヘリングのポップショップでバイトをしていたのですが、その頃からBEAMSで働きたいと思っていたようで、渋谷の店でアルバイトを始めましたが、気がつくといつの間にかBEAMSに就職をしており、静かに野望を実現していく男なんだなと思ったものです。
彼の仕事はショップの店員ではなく、ユニフォーム・サーカスBEAMSというオーダーメイドでユニフォームのデザインをする事業部で、大学のスポーツチームや企業のユニフォームなど、多岐にわたるチームオーダーウェアのデザインを担当していました。

その頃は渋谷の丸井の裏あたりにあったBEAMSの倉庫の一角みたいな場所がオフィスで、お店に行くとゴチャゴチャにサンプルが積まれた場所でクセの強そうな数名のスタッフが働いていました。私は渋谷に行くたびに旅人の仕事場に寄り、バックヤードで昼寝をさせてもらったり、下町兄弟の曲を録音したカセットテープを持ち込んで店の中で流したりしていたのですが、その事業部の責任者が永井さんでした。
責任者だったら普通は部外者が昼寝していたり遊んでいたら文句の一つも言いそうなものですが、ゲラゲラ笑っているだけでした。
BEAMSってそんな会社なんでしょう。いい会社です。

で、しょっちゅうお会いしていたので、永井さんとも親しくなり、どういうわけだか私は、BEAMSの社内報に4コマ漫画を連載するにまで出世していました。実に下らない漫画でした。うろ覚えでは私の前任者はリリー・フランキーさんだった気がします。

何年かして彼らのオフィスも渋谷から原宿に移り、私のオフィス兼スタジオも渋谷のファイヤー通りからキラー通り沿いに移転したこともあり、たまにメシ食ったり遊んだり一緒に何かを作ったりしていました。

私が金沢に移住してからも二人には色々と協力してもらっていて、seccaで器を作った時も真っ先にBEAMS JAPANで取り扱ってもらったり(現在も販売中です)、Singularでエレキベースを作ったときもBEAMS JAPANで取り扱ってもらいました。

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旅人は、ヤクルトスワローズや名古屋グランパスのユニフォーム、Pokemon by BEAMSなどのデザインを手掛け、現在はBEAMS GOLFのデザイナーとして活躍しています。

※旅人について(外部リンク)
https://toyota.jp/information/campaign/crown_golf2/sp.html

「ポップアップやらせてよ」

そして永井さんはユニフォーム・サーカスの後は、クリエイティブ・ディレクターとしてBEAMS-TやTokyo Cultuart by BEAMSなど、アート系の事業を次々と立ち上げ活躍しているのですが、私がインスタで下町兄弟三十周年で久々の新曲発表のことを投稿すると、すぐに永井さんから「BEAMS JAPANでポップアップやらせてよ」と連絡を頂きました。
※永井さんについて(外部リンク)
https://www.lumine.ne.jp/classroom/interview/024/

ちょうど三十周年記念グッズを作りたいとも考えていましたし、BEAMSでやれるのであれば願ったり叶ったりと言いますか、とても嬉しい提案ですし、長年の関係の賜物なのか、まさに以心伝心というものでしょう。
それから永井さんとオンラインで何度かやりとりをさせてもらって、途中で開催した下町兄弟のClubuhouseも聴いてもらったりしながら企画準備を進めて行きました。

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相方のMotomyにBEAMSポップアップの事を伝えると、なんと結成当時からの資料をスクラップして保存してあるというではないですか。
何が保存してあったのか、取り急ぎ写メで送ってもらったところ、そこには雑誌で取材してもらった記事から、ほんの小さな紹介記事、チラシやレコード屋さんに送ったプロモーションのファックス原稿など、あらゆる資料が綺麗に保存されていました。そもそも几帳面な人だとは思っていたものの、Netflixのドラマで見る猟奇犯罪者とかが壁一面にターゲットの写真や資料を貼りまくっているシーンを思い出しました。
誤解のないように言いますが、もちろん褒めているんですよ。
自分でも忘れていたような資料が山ほど残っていたので、これは是非ポップアップで使わせて頂こうと思い、現物を送ってもらって全てスキャンし、その一部を額装して展示用に加工しました。

今回は展示こそしませんでしたが、関西方面に営業にいった時の写真も残っていました。これは神戸キッスFMの仕事でプレンティというショッピングモールのラジオCMをラップで制作し、それをライブでやるという営業仕事だったと思います。真ん中にいるのは当時の弟子でマルチプレイヤーの原田くんです。恐らく今も音楽家として活躍しているんだと思います。

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RUN DMCのようにお揃いのジャージを着ています。
原田くんの上履きには私が「ポン助」と書いたことを思い出しました。
ゼッケンには「下町」と「兄弟」と書いた気がします。
ジャージの色はビリジアンでした。
左にいる私は胸に帝釈天の御守りをぶらさげています。
面白いと思っていたのでしょうね。

そんなこんなの資料を展示用に加工し、いくつかの新しい下町兄弟ロゴをデザインして、永井さんに送り届けました。

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一週間ほどで、BEAMSがデザインしたTシャツが2型4色とベースボールキャップ2種類のスケッチが上がってきました。
文句のつけようもなく、すぐにOKの返事をして製造に入って頂きました。
展示のレイアウトもBEAMS JAPANのスタッフの方々が素敵なデザインを施してくれました。

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下町兄弟のファースト・アルバムの周囲にレイアウトされたジャケットは、1991に発売されたものや下町兄弟と同期のヒップホップアーティスト達のジャケットです。BEAMS JAPANの粋な計らいで下町兄弟もレジェンド感がグッと増した印象を受けます。

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初めてプレスした芝浦レコードの誤植盤「芝蒲レコード」も堂々と展示してもらいました(※これを売って欲しいというお客様が居たそうです)

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こちらが雑誌記事などの貴重な資料です。
ちなみに額装された右上段は当時のデラ・ベッピンの裏表紙です。

BEAMSオンラインショップ

これらのグッズはBEAMSオフィシャルのオンラインショップからお買い求め頂くことも出来ます。

https://www.beams.co.jp/news/2496/

この年齡になってBEAMSのWebサイトのトップページに自分達の顔が出る事になるとは、長生きはしてみるもんですね。

SMKDオフィシャルショップ

BEAMSでは取扱いのなかった下町兄弟オフィシャルグッズは、こちらからお買い求め頂けます。

https://suzuri.jp/SMKD

謝辞

私は、娘が生まれた頃には既に他の仕事で忙しくしていて、ミュージシャンの姿を見せてあげること事が出来なかったので、こうして音楽をやっている姿を何となく感じてもらえることが出来て良かったです。

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会期終了直前で、ようやく私も現地に行くことが叶いまして、永井さんに直接お会いして御礼を伝えることも出来ました。旅人にはまだ会えていませんが、次回は永井さんと三人でメシでも行きたいと思っています。
忙しいスケジュールの合間を縫って、わざわざ私の上京に合わせて来店してくれた放送作家の木南くんファミリー、出張中に用事も無いのに来店してくれた日本料理銭屋の髙木シェフ、長年の下町兄弟ファンだと言い張る中井くん、変なスニーカーを作っているOrpheの菊川くん、他人のメシの心配ばかりしているキッチハイクの山本くん、立体的なことばかりを考えているA440の金丸くん、オンラインまで大人買いをしてくれたコピーライターのコニタン、素敵な写真作品を提供してくれた高橋さん、菱川さん、あと連絡をもらっていないけど行ってくれたり買ってくれた皆さん、本当にありがとう。

最後に

なにしろ永井さんとは何だかんだで三十年以上の付き合いですし、きっと永井さんは、下町兄弟と私へのお祝いのつもりで声をかけてくれたに違いありません。あとはきっと、あの頃のようにゲラゲラ笑って面白がっていたのだと思います。

三十年も解散せずに付き合って待っていてくれた、相方のMotomyに経緯と感謝を込めて、ありがとう。

次の新曲は、いつ作りましょうか。
あと、ライブやりましょうね。


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