次男の出産
次男の出産の時はうって変わって
助産師さんに感謝でした。
静岡に引っ越してきて友達もいない
頼れる人もいない
コロナ禍
での出産だったので
本当に助けられました。
旦那は離婚宣告前だったので
どーしよーもなかったのです。
コロナ禍で旦那のホームである宮城の会社が閉じました。
帰るところなくなってしまいました。
宮城に帰れば友達が沢山待っててくれている。
そう信じて辛くてもワンオペも頑張ってきました。
しかし、その希望が絶たれました。
3年〜5年で宮城に帰れる。ずっとそう思っていました。
普段家にいない旦那が家にいるストレスと、悪阻、宮城に帰れなくなったショック
宮城の実家もコロナだから帰ってくるな
旦那の友達の奥さんの助産師さんもコロナだから里帰り出産しないで!
と言われ絶望…でも、そんな感情に浸ってる暇もなく妊娠中でも、悪阻も終わり頃から働き始めました。
生活しなくちゃ。と午前中は整体院の掃除の仕事、午後は動物病院で働こうとしていました。
長男の幼稚園の送り迎えは毎日三階まで階段を往復、寝てたらおんぶ
長男が幼稚園に行ってる間は整体院の掃除や洗濯の仕事
そしてワンオペ育児
限界が来ました。
切迫早産で子宮頸管がどんどん短くなり流産寸前になり入院。
私が働きすぎたのではなく
ただ単に次男がハナから騒がしい子供だからかも知れません。
子宮外妊娠から大きな病院に行ったり検査したりで受精卵が見つかるまでかなりかかりましたし。
2ヶ月くらい入院しました。
その時に助産師さん達に励ましてもらいました。
誰も話を聞いてくれる人がいなかった私は、かなり救われました。
静岡に来てから不思議な力が開花しました。
そのおかげで入院中、旦那の亡くなった義父さんからメッセージをもらい
ギクシャクしていただい旦那の義実家のイライラにも効きました。
義実家は頼れないので(少し変わっていて)
旦那は一人でワンオペ、ワーパパをしていました。
この時の経験が今とても生きています。
しかし心疾患がある長男には早朝から夕方までの保育に体が耐えれなく体調を崩してしまいました。
母親は介護の仕事をしていたんですがクビ覚悟で3ヶ月休みを取って静岡に来てくれました。
旦那と母親と長男の3人暮らし…
うちの母親もだいぶ変わっているので
旦那も大変だったろな
産後、最終的に母親が旦那にブチ切れて旦那は
私と長男と次男置いて2週間くらい家出するし
火種つけた母親も静岡に居れるの産後1週間までだったし
静岡でもマイナスに冷え込む朝、長男の幼稚園の送り迎え1人でしてたなぁ。
お母さんがいない、園行事に参加できないとか長男には可哀想な思いをさせました。
けど次男は39週で無事産まれました。
ただやはりコロナ禍なので
検査する人がいないやらで
陽性者扱いの緊急オペ室での分娩でした。
助産師さん達と仲良かったからよかったんですが、あれ知らない人だらけで
あーゆー扱い受けたらいやだったなぁ
でも静岡の人って本当に優しい人!
と思った出産でした。
逆に退院してからの方が旦那と母親の修羅場で大変でした(^_^;)
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