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すこしの絶望

死はいつだって突然目の前にあらわれて
存在を主張して
私たちの体をかたくして
心に、鉛のように重たい、とろみのある水をそそいで、
それなのにいつのまにかなくなる。

そしてまた突然目の前にあらわれる。

その繰りかえし。

顔を知っていて、話したことがあって、
だけど何年もあっていなかった、
人が亡くなった。
可愛がってくれているオバのお母さんが亡くなった。
昨日の昼間、
たまたまオバと1年ぶりにゆっくり話をして。
もう長くないと言われているから、
急に亡くなるよりは
心の準備ができていい、
と言っていた。
その夜に亡くなった。

たとえ、もし、心の準備ができていたとしても
急に誰かがいなくなって
もう2度と話すことも触れることもできなくなるなんて
想像できない。

その想像できない状況になっているオバのことを思って
勝手に体に力をいれている。
わたしには何もできない。

少し絶望しながら東京に帰る。
絶望していることは私の勝手。
オバを手伝うというのは、
自分のためでしかない。
絶望から逃げるためだ。

通夜やお葬式は近い家族だけでするらしい。
だから、手伝うこともできず
すこしの絶望を抱えたまま東京に帰る。

誰かのために何かをするのは
自分のためだ、
というのは葬式も同じことなんだな。

死にたくない、でもなく
悲しい、というのとも違う
この感情はなんなんだろう。

きっと明日になったら忘れてしまう
感情。

絶望に似た。すこしの絶望。

静かに涙が出る。
とろりと。じわりと。

ああ、はやく整体がしたい。
こんな時に、頭をからっぽにできる方法を
もっている私はらっきーだ。

最後までありがとうございました。