見出し画像

パステル画というやっかいなやつにはまっている

パステル画というやっかいなやつにはまっている。

どうやっかいかというと、「あれを描こう」と思って描き始めると描けないのである。それもそのはず。わたしは生まれてこのかた絵を描きたいなんて思ったことがなかったのだ。描けるようになったらいいなあと思ったことは何度もあるけれど、思うだけで描き始めることはない人生だった。そんな人間が急に描こうとして描けるわけがない。

だが、すっかり「パステル画を描く」ことにはまっている。

どうやって描いているのかというと、「今わたしは手をどう動かしたいかな」とか、「なんか今日はこの色をたくさん塗りたい気分」とか「ここなんとなくもうちょっと濃くしたいなあ」という感じだ。ゲーテの三原色を用いて開発されたシュタイナー教育の「パステル画」なので、基本的には3色(薄いのと濃いのを合わせて6色)しか選択肢がないというのも選ぶ負担が少なくて良い。考えるという行程がほとんど必要ない。

画像1

まちさんと描いたことがきっかけで存在を知り、次の日には家で1人でも描きたくなってパステルを買いに行った。絵を描きたいなんて思ったのは人生で初めてだった。

パステルの色をコットンに移して紙に色をつけるなんてやったことがなくて、どうやったらどんな風に色がつくのかの予想もつかなくて、どういう絵を描きたいというビジョンもないまま描き始めて、周りと比べて下手かなんて考える余裕もなくて、だけど描き進める自分にはなぞの確信があって。そうして描きあげたものへの満足感がすごかった。本当に自分が描いたのか?と思うような、山がそこにはあった。わたしは山が好きなのだけど、自分だけの山があるというのはそれだけでこんなにも幸せを感じられるのかと思った。(左から2番目)

画像2

パステル画を描いている時、完成図なんて想像せずに、一手ずつ、その瞬間の気持ちと感覚を信じて描いていて、それがおだやかで気持ち良かった。そして描き上がったものに満足している。整体と似ていた。

こたえは自分の中にしかなくて、しかもそれは完成形として、未来として、存在は感じるけれど完璧に想像できるものではなく(少なくとも今のわたしには)、一瞬一瞬の小さなこたえや手を動かすことの積み重ねで表れる。なんてことを帰宅してお風呂に入っている時に思った。

それで、それ以来一人でも描いている。2度と同じものが描けないというのもいい。

最後までありがとうございました。