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【不思議の国のアリス①】ロリコン小説でしょ?否!とても美しい小説です。

読む前はロリコン作家の書いた小説だと思っていました。それがディズニー映画によって、かわいい感じになって人気あるんだろうと。(すまないキャロル)
でも全然そんなことなかった。とっても美しい小説でした。

アリスはキャロル自身?

主人公のアリスはルイス・キャロルが実際に親交のあった家のお嬢さん(当時10歳)だそうです。穿った読み方をすればロリコンで片付けられますが、そうじゃない。ぼくの解釈になりますが、主人公のアリスの姿見は実際のアリスでも、投影しているのはルイス・キャロル自身だと思います。

その理由として、穴に落ちた最初の場面です。
狭い空間から出られずに泣き出すアリス。涙はたちまち湖になり、沢山の動物たちが溺れます。心配したアリスはそこに駆けつけますが、逆にわけの分からないことをされたり、言われたりしてどうにもならない。それは体の大きさの変化を自分でコントロールできないからそうなったのです。

その後は芋虫の入れ知恵によって、体の大きさを変える術を覚えます。
子供と接するときに嫌になって投げ出した過去がある。でも、投げ出すと余計ひどいことになる。だから、子供と接する術を覚えて、上手くやっていこう、愛していこうと努力していく大人の姿を表現しているのではないか。そんなふうに思えました。

話が通じない残酷なキャラクターたち

不思議の国に迷い込んだアリスを待ち受けるのは、話も通じないし、思い通りに動いてくれない動物や虫や人間たちです。答えのないなぞなぞを出したり、何をきいても「なんで」と言ったり、すぐに「首をはねよ」と言ったり。これは社会の不条理を表現しているという解釈もできます。

でも、そうじゃくなくて、子供のわがままや残酷性ではないでしょうか。赤ちゃんが泣けば、親はどんなに忙しくても、眠くても駆けつけます。電車の中で泣き出してしまって、周りに迷惑だから泣き止むようにあやしてるのに更に激しくなったり。少年少女になれば、会話の揚げ足をとって喜んだり、意味のない遊びに価値を見出したり。世話をする大人が手を焼くことばかりです。でも、その瞬間に見せる純粋性や子供らしさに大人は可愛らしさや愛おしさを感じるのではないでしょうか。

ティム・バートン版のアリス

ティム・バートンが映画化した『アリス・イン・ワンダーランド』は、原作と全然違います。何が違うかと言えば、物語の最初と最後の登場するお姉さんがいません。

お姉さんの存在はとても重要です。お姉さんはアリスの見た不思議な夢を肯定してくれます。悪夢で起こされたときに優しく見守ってくれる親のような存在。ティム・バートン版のアリスではお父さんがその役目を果たしていますが、途中で死んでいなくなってしまいます。つまり、不思議な夢を誰も肯定してくれなくて、アリスはずっと自分の胸に肯定されない思いを貯め続けたまま19歳になってしまう、というお話なのです。

どんなにおかしなことをアリスが言ってもそれを肯定してくれるお姉さんの存在。この場面があるだけで、『不思議の国のアリス』からとても優しい愛を感じました。

〜続く〜


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