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「これだけは押さえよう、和歌山市中心部」



Ⅰ.和歌山市の歴史と現状

①城下町の都市構造が下地の街

 和歌山市はその都市構造に城下町の特性を色濃く残しています。明治6年には日本で8番目に人口の多い都市であり,横浜に次ぎ,仙台の上位に位置していました。
 和歌山市の上級武士のお屋敷跡地は国・県・市の官庁用地として現在も利用されており,重要な行政機能を担っています。和歌山城の北側には商業地区が広がり,賑わいを見せていました。南側には寺町があり,宗教的な拠点としての役割も果たしていました。
 また,和歌山市の特徴的な要素として水路(市堀川・真田堀川・和歌川)の存在が挙げられます。これらの水路は防御の役割を果たすだけでなく,水運の重要な手段としても機能していました。水路は街全体の物流や交通を支え,和歌山市の発展に寄与していました。

京橋周辺の様子

より詳しく知るには・・・
公益財団法人和歌山県文化財センター:シンポジウム・和歌山城と城下町の風景 発表資料,2015.3
sympo_20150308.pdf (wabunse.or.jp)

和歌山市:第2章 和歌山市の景観の現況,和歌山市景観計画,pp.19ー21, 2018.3
https://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/240/menu_1/gyousei/toshisaisei/about_keikan/pdf/keikankeikaku2-all.pdf


②脆弱な河岸や海岸,丘地はオープンスペース

 城下町にあっても,脆弱な紀ノ川河岸や丘地は開発されていませんでした。こういった場所は自然の要素が強く,岡公園や和歌山城公園・紀ノ川河岸・和歌川河岸など,現在は公園として都心に潤いを与えています。
    一方,紀ノ川河岸や海岸に近い周縁部は近代化に利用されました。米国製の鉄橋(紀ノ川橋梁・日本土木遺産)が紀ノ川にかけられ,鉄道路線が引かれました。紀和駅(現JR)・南海和歌山市駅の走る路線は城下町のエッジ部分に当たります。


③近代化と和歌山大空襲

 1945年6月に空襲を受け,和歌山城天守を含めて城下町の建物のほとんどが焼失しました。戦後復興時には区画整理が行われ,道路拡幅も行われています。和歌山市は城下町の下地の上にありますが,城下町としての面影をほとんど失っています。
 鉄道駅が周縁部にでき(南海和歌山市駅・JR和歌山駅),モータリゼーションが進むと人の集まる場所が分散化していきました。和歌山大学・和歌山県立医科大学が郊外へ移転し,商業の中心地だった「ぶらくり丁商店街」も衰退します。2014年に国道バイパスで郊外と結ばれると郊外に和歌山イオンが開業し,中心市街地の空洞化が決定的となりました。

1967年4月1日 紀ノ川大橋開通

地域について・・・
【市駅前】
 現在目にすることができる和歌山市駅の姿は,実は和歌山市駅街区第一種市街地再開発事業の一環で建設された複合施設「キーノ和歌山」の駅部分です。この事業の背景には人口減少・モータリゼーションの普及等の要因とする中心市街地の衰退が隠されています。
 カフェや物販スペースを含んだ図書館や屋上広場,ホテルが併設しているだけでなく,駅前の広場空間では学生の出店出店に活用される事例もあり、多くの地域住民に利用されています。

しえきのいま: COLUMN「和歌山市駅120年物語:国内最古の『市駅』の歩みを振り返る」,2023.3
https://shiekiggp.com/topics/shieki_120th_anniversary/


④中心市街地の活性化

 空洞化したぶらくり丁を活性化するために市が進めたのが,和歌山大のキャンパス誘致でした。観光学部をブラクリ丁の中心にし,旧丸正百貨店に据え,若者を街に組み込むこと,特に「地域再生学科」の存在に期待がもたれました。しかし計画は頓挫し,移転は実現しませんでした。

 和歌山市の次の手は「リノベーションスクール」の導入でした。計8回実施され,具体化したプロジェクトでは国内で開催されたリノベーションスクールの事例でも最も成功した事例のひとつだと言われています。その際に「家守会社」として幾つかのまちづくり団体(家守会社NPOなど)が生まれ,現在それらの団体がそれぞれのフィールドでまちづくりを行なっています。

 特に「水辺プロジェクト」は市堀川を中心に水と街のあり方をこれらの若い人々が知恵を出したもので,中心市街地活性化の方策として和歌山市の計画の中に位置付けられたものとなっています。本町公園は「紀州まちづくり舎(吉川誠人)」がPark-PFI(指定管理制度)を利用して「the Public」を中心に,賑わいの場所を作り出しています。同様に,大新地区のエリアリノベーションを行っているのが「ワカヤマヤモリ舎(宮原崇)」で,「GuestHouse Rico」を拠点に周辺のリノベーションを行なっています。そのほかにも遊休物件と事業者をマッチングするなどエリアマネジメントを手掛けており、元砂糖屋さんの「窓話」は事例の1つです。北ブラクリ丁商店街の活性化に取り組んでいるのが「サスカッチ」です。北ブラクリ丁は3つに区切られる商店街の中でも,特に新しい試みがなされている商店街だと言えます。

 南海和歌山市駅周辺はぶらくり丁とは異なる核となる場所ですが,近年行政による大きな開発が行われました。駅舎の建て替えが行われると同時に,駅ビルに市立図書館を移転させました。図書館はCCC/Tsutayaが指定管理者となる民営の公共図書館です。また市駅に隣接する市民会館が和歌山城前へ移転し,その跡地をインターナショナルスクールやホテルにする計画(KNOT wakayama)が進められています。一方,「市駅グリーングリーンプロジェクト」は市駅周辺のまちづくりにコミットし,市民側からの視点として提案が行われました。

 中心市街地では児童数も激減しました。和歌山市は周辺の4つの小中学校を統合して小中一貫の「伏虎義務教育学校」とし,3校の跡地の活用をはかり医療福祉系の3つの大学が入りました。さらに市民会館を移転させた和歌山城ホールはその計画でも象徴的なものです。また,地元の優良企業(島精機)が旧丸正百貨店(フォルテワジマ)を再生,近くに複合ビル(wajima十番丁ビル・日建設計/谷弘明)を建てるなど,投資も行なっています。

より詳しく知るには・・・
旧市民会館跡地利用:impress Watch,和歌山市,市民会館跡地にホテル・商業・ステージの複合施設,2024.1
https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1559865.html

地域について・・・
【大新】
 大新公園新通商店街を擁し,歓楽街アロチに隣接するエリア。江戸時代は商業の中心地,戦後は繊維関係の問屋が軒を連ね,にぎわいを見せていましたが,高度経済成長期に入ると暴力団が事務所を構え,環境が一変しました。


Ⅱ.和歌山市の水と木

水辺環境

【紀ノ川】
    
和歌山市を二分するほどの,400m以上の幅を持つ大きな一級河川。紀の川を挟む形で和歌山市駅の裏手付近とその対岸では野球・テニス・陸上などができる施設が整備されており,市民の生活にアクティビティの機会を支えている。
 源流部には絶滅危惧種のイヌワシ・クマタカが,上流部には準絶滅危惧種のオオタカなどの希少な生物が多く生息している。多くの生態系が存在する豊かな自然環境となっている。

より詳しく知るには・・・
国土交通省「紀の川」:https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0604_kinokawa/0604_kinokawa_00.html


【内川】
 和歌山市の中心を流れる有本川・市堀川・真田堀川・大門川・和歌川の5つの川を総称したものを「内川」と呼ぶ。戦前は人が泳げるほどの水質であったそうだが,戦後に水質が著しく悪化した歴史がある。現在は地元の有志が水質の改善に取り組み,今我々が目にする川に繋がっている。
 街を活性化させるための策として,これらの川を利用した社会実験やワークショップを開催している。

より詳しく知るには・・・
「内川をきれいにする会」HP
https://w-uchikawa.com/

まいぷれ「和歌山市」:「和歌山・内川で水上レストランや船の運行,
SUPも!80人以上のアイデアで未来へつなぐ『第1回ミズベ会議』」https://wakayama.mypl.net/mp/ichioshi_wakayama/?sid=55464


木との関わり

 和歌山県(紀伊国)は豊かな森林資源と運搬用河川を有しています。吉野材や紀州桧などは,紀伊半島山間部からいかだを使用して川を下り運搬されていました。和歌山県の沿岸では大阪と江戸を結ぶ廻船が頻繁に行き来し,さらには寄港地となりました。森林資源豊かな国である事と同時に,江戸や大阪に多くの木材を送り出すことから紀伊国は「木の国」と呼ばれました。
 製材業中でも,小割製材技術が発達したことから建具業などが集積しています。紀ノ川を利用して運搬された吉野杉や紀州桧の端材を利用したのが始まりです。大阪に隣接するという立地条件にも恵まれ,和歌山市は建具の一大産地となりました。
 以上のことから和歌山市の製材業は発達し,現在も内川沿いや河口付近では製材所が多数存在します。

より詳しく知るには・・・
和歌山県:紀州材の歴史,2024.3.31
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070600/kisyuzai/history.html

地域について・・・
【築港】
 築港はかつて鼠島と呼ばれていました。紀の川の河口では,早くから製材・木工・家具・建具等の工業がおこり1919年の主要な工場は市内に10を数えました。
 昭和の初め頃まで木材は吉野材が多く,紀の川を筏で下り,河口や内堀川に運ばれました。水軒川の河口や土入川の紀の川合流点付近には貯木場が整備され,木材が保管されました。
 築港はその集積地として貯木場や製材業者が,大正時代以降は海運業者や中規模の工場などもここに集まっていました。現在,築港の周辺でも製材所や建具屋が集まり当時の名残が残っています。

より詳しく知るには・・・
和歌山県,紀ノ川水系和歌山市域河川整備計画,2011.08,P12
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080400/keikaku/seibikeikaku_d/fil/wakayamashiiki-keikaku.pdf


Ⅲ.和歌山の建築スポット

おすすめ

・念誓寺(相田武文,2001)
 とてもモダンな仏教寺院
・和歌浦アートキューブ(地域文化施設,下吹越武人,2003)
 地域景観と文脈に配慮した現代建築
・和歌山県立近代美術館・博物館(黒川紀章,1994)
 和歌山城と呼応するモダンデザイン。中銀カプセルタワービルA908がある

機会があれば行きたい

・和歌山市立図書館(RIA・CCC,2020)
 参考:旧 和歌山市民図書館(岡田新一,1981)
・ILMA社屋(村松基安,2002)
・和歌山城(外観復元:藤岡通夫,1958/御橋廊下復元,2006)
・和歌山県庁南別館(高松新・梓設計,2007)
・和歌山城ホール(和歌山市民会館)(基本設計:梓設計,2021)

郊外のおすすめ

・雑賀崎漁村集落
・紀伊風土記の丘・松下資料館(浦辺鎮太郎,1970)
・紀三井寺ケーブル山麓駅(清水建設,2022)
・A-Girls本社(竹山聖・アモルフ,2022)

歴史的建造物(国宝・重文)

市内はお勧めしませんが,となりの岩出市(根来寺・大塔)や海南市(善福院・長保寺),あるいは高野山はおすすめです。伝建地区であれば高速で20分の湯浅町があります。

その他
広谷純弘,本多友常,岸和郎,木村博昭,泉幸甫,村松基安,髙砂正弘,毛綱毅曠などの住宅作品があります。

サマータイムレンダの舞台となった和歌山市加太は東大川添研のラボがあった。友ヶ島は砲台跡がラピュタ的景観としてレイヤーに人気です。

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