"君"とは… Episode 6
7月に入り、目下には夏休みが控えている。
今日も朝から雨だ。
席に荷物を置いて、すぐに手を洗いに行く。
忌々しいウイルスの流行以来のルーティン。
クラスへの帰り際。
賀喜:●●、おはよ〜。元気?
●●:おはようございます。…って、だからあなた先生なんだってば。
賀喜遥香先生。
国語の先生で、3年生の副担任をしている。
進学校では古めかしい考えの持ち主も多く、生徒と年が近く、価値観が似ている賀喜先生は人気というか、安心感というか、そういうのがある"生徒側"の最後の砦的な存在。
特に井上と仲が良く、タメ口で話し合う仲。
去年辺りまではよく井上を注意していた記憶がある。
その影響は勿論のこと、自分にとっても話しやすく、良い先生なので気づけば親密になった。
賀喜:まあまあ…。あと2週間で夏休みだけど調子は?
●●:模試も多くて疲れてますよ。…あと夏休みに入っても1週間は特別補習あるし。
賀喜:まあね笑。私は1組だと…古典持つし、もちろん満点ね?
●●:大学受験の国語を満点取れるとお思い?
賀喜:嘘嘘笑。まあ体調には気をつけて。
●●:はい。
今ではこうやって敬語を崩して、ふざけ合う仲までにはなっている。
賀喜先生は良い先生で大好きだ。
しかし…
この人こそが"想いを伝えること"を妨げる理由を作った。
〜〜〜
2年の春頃だったろうか。
ある放課後、自クラスに忘れ物を取りに行った時だった。
自クラスの向かい側にある小教室。
そこで井上と賀喜先生が話していた。
井上:…ほんと鬱陶しいんですよ!!
賀喜:まあ授業で前から見てても分かるぐらいイチャついてるし笑。
井上:目の前でしないで欲しい…。こっちは授業に集中したいの。
賀喜:私もあんな青春あればなあ…。
井上:え!!先生あんな感じがいいの?
賀喜:そういうことじゃないけど!…彼氏の1人ぐらい。
井上:先生、彼氏いないの?
賀喜:いない。…悪かった?
井上:そんなに優しくて、可愛いのに?
賀喜:そう言ってくれるのは和ちゃんだけ!!
井上:そんなことない笑。
賀喜:そういう和ちゃんは?好きな人いないの?
井上:…今は全然恋愛したい気分じゃない。
賀喜:え〜。意外。●●くんとかといっつも居るじゃん。
井上:…ん〜●●は恋愛対象って感じじゃないかな〜。いつも一緒にいて何しても許し合える仲間って感じ。
賀喜:そっか。一緒にいて楽しそうにしてるのに。
井上:●●とはなんか何も考えなくていい。たまに言いたい放題になってたりする時あるけど…そんな存在かな。
賀喜:へぇ〜。というか、和ちゃんこそ男子とそこそこ話してる姿見るから人気なんじゃないの?
井上:そんなことないと思うけどな笑。まあ…でも、ずっと女子だけと居ても疲れちゃう。
賀喜:和ちゃんも色々あるねぇ〜。
聞きたくなかった。
いや…でも…。
そんな気はしていたし、改めて言葉にされただけではある。
そこからの記憶はあまりない。
ちゃんと家には帰れたはず。
〜〜〜
賀喜先生は何も悪くない。落ち度は全くない。
でも結果的にこのことが大きな重荷となった。
クラスに戻ると、郁也が話しかけてきた。
山口:〇〇さ、来週の学級委員会議のプリント持ってる?
●●:え…郁也が貰ってないなら、多分無いぞ。
山口:またか〜、肝心なこといつも忘れる担任よ…。
●●:言っとくわ。あと席替えのタイミングも相談しとく。
山口:じゃ、くじは作っとくわ。
●●:サンキュー。
学級委員の特権…席替え。
くじと座席表を作る。皆が待ち望むそれを担う大切な役割だ。
だからと言って不正をする訳ではない。
もっとも、何かをしてまで隣になりたい人は…居ない。
ーーー
午前の授業は卒なくこなし、昼休み。
教室の自席で食べる弁当。
去年は生徒会だったため、昼によく会議が入っていた。
教室でゆっくり食べる習慣は無かった。
誰かと話しながらでも大丈夫になったが、クラスと若干の距離があったことが災いしてか、いつも1人。別に全く苦ではない。
女子は他クラスの人間も混ざって4つぐらいのグループになっている。
見ているだけで気分が悪くなる。
池田:●●〜、おはよう。
●●:池田さん、あなたもう昼ですよ。
池田:へへ。あの〜…ちょっとだけ古典のプリント貸してくれない?
●●:池田…また寝てた?
池田:違う違う!前回休んだところを見たいだけ。
●●:あ〜そんなこともあったな。ちょっと待ってよ……はい。
池田:感謝!
クラスメイトの池田瑛紗。帰る方向と乗る電車が同じだと最近まで知らなかった。
というのも自分は生徒会で朝早く夕方遅く帰宅するのに対し、池田は朝が弱く、また帰宅部のため朝遅く夕方早く帰るので会わなかった。
去年、生徒会が休みだった日に初めて知った。
以来仲良くなり、タイミングが合えばたまに一緒に帰ることもある。
ーーー
終礼の時間。
担任と相談して、今日席替えをすることになった。
新しい席は…窓側で左端の真ん中あたり。
隣は…。
池田:これで心置きなくプリント借りられる。
●●:…ちゃんと授業受けろよ。
池田:もちろん。
担任:じゃあこの席で、大丈夫だな。えっと●●、いつまでこの席だ?
●●:あ、えっと…夏明けまでで。9月に入ったらまた席替えします。
担任:そういうことらしいんで、よろしく。はい、じゃあ日直号令。
ーーー
座席表の変更など席替えの後始末をする。
山口:思ったよりスムーズにいったな。
●●:な。まさか今日になると思ってなかったけど。
山口:まあそういう人間だからなぁ。よし終わり!
●●:郁也、次までくじ保管しといてくれるか?
山口:了解。あ、来週の学級委員プリントちゃんと送っといて!
●●:へいへい。
ーーー
席替えという一仕事を終え、新しい席に座る。
ここからの景色に見覚えがある。
階は違えど、クラス教室の作りはどこも同じ。
《そうか、1年の時はこの席の後ろに…》
賀喜先生の話を聞かなければ何か変わったか。
同じクラスだったら何か変わったのだろうか。
君はもう部活に行っているだろう。
窓側へ向かい、空を見上げる。
紅く染まった空が眩しい。思わず目を瞑った。
君がいない、君と会わなかった今日。
瞳の奥で君を想い浮かべる。
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