仮講義「松浦寿輝の〈1880年代西欧〉」(Leçon 34)

Bonjour !
さて、本日はですね、一件宣伝がございます。結果的には大してお役にたてませんでしたので、「自分の仕事」というわけでは全くないのですが、共訳者に名を連ねましたクロード・コスト『バルトの愚かさ』(水声社、2022年)の見本を受けとりました。バルトは、もちろん、松浦さんの仕事にも深くかかわる批評家・作家ですので、本日はこれを、推薦図書とさせていただきたいと思います。

この本はですね、わたしが博士課程に進学してから少し経った頃に、当時の指導教員の桑田光平先生から翻訳を任されたものです。すごく正直に言えば、これがなければ博論が仕上がっていたのではないかという恨みも多少なくはありませんが(苦笑)、実質的には、自分の博論などよりよほど貴重な文学研究に関わることができたのではないか、と考えています。

しかし、さらに正直に言えば、「あのバルト」についての極めて洗練された研究者による批評的エセーの翻訳でしたので、当初、わたしなどのフランス語では歯が立たなかったというのも事実です。若手の翻訳者を現場で育てたいという桑田さんのお考えはよくわかりますが、少なくともわたしにとっては、やや負担が大きすぎるものではありました。留学中の院生は時間はありますが、既訳の参照が難しくなる、という難点もあります。

先生方、それぞれ色々な指導法があるとは思いますが、いまは特に、博士号が取れなければ実質的に大学への就職の道が断たれてしまいます。世代的にも、就職が厳しい状況と感じています。特にコロナ禍で先生方の負担が増えていることは想像がつくのですが、その影響が学生や若手研究者にも出はじめていることはご理解いただきたいです。

しかし、それにもかかわらず、『バルトの愚かさ』はとても面白い本だと思います。当時、わたしはサルトルの研究に従事していたわけですが、しばしば対比されるふたりの思想家(実存主義/構造主義)が、実は問題意識を共有していることなどもよくわかりました。また、博士論文のテーマはフローベール論『家の馬鹿息子』でしたので、フローベールの遺産がサルトル・バルト双方に、少し違った仕方で伝承されている様子をみるのもスリリングな体験でした。

フローベールは「愚かさ」(bêtise)という表現を使います。バルトはこれをそのまま継承します。つまり、生粋のフローベール主義者と言っていいでしょう。これに対し、サルトルは初期作品などを手掛かりに「馬鹿さ」(idiotie)という表現を用います。これは、おそらく、ドストエフスキーの『白痴』やフォークナーの『響きと怒り』の語り手ベンジーなども踏まえられています――文学作品ですので、「白痴」という表現を用いることをお許しください(現在では使われない表現です)。また、『家の馬鹿息子』(L'Idiot de la famille)という表現は、すでに、ある大衆小説のタイトルの訳語として用いられていたものでもあるようです。つまり、この評伝はある種の「間テクスト性」が問題になるものでもあったのです――これは、もちろん、クリステヴァらの表現を念頭に置いています。

フローベール的な、フランスの国文学的な「愚かさ」(bêtise)に対し、間テクスト的な、比較文学的な「馬鹿さ」(idiotie)。国文学研究の代表的対象だったフローベールに対し、比較文学的アプローチを試みようというのが、いわば、わたしの挑戦だったわけです――その後、四方田犬彦さんが『愚行の賦』を刊行されたりもしました。

博士論文、途中まではうまくいっていたんですけどね、やっぱり長すぎました、『家の馬鹿息子』。苦笑 その間にトリスタン・ガルシアさんなんかとも出会ってしまい。苦笑 ですので、やはり、博論が仕上がらなかったのはわたし自身の「愚かさ」に起因するものなのでありましょう。後悔もありますけどね、次の人生に向けての反省点にしたいと思います。いつか、別のテーマで博論を書こうかな、という思いもなくはありません。もう少し短い本について、ね。笑

ですので、『バルトの愚かさ』を訳しながら『家の馬鹿息子』についての博論を書き、それこそ蓮實先生の『凡庸な芸術家の肖像』や『『ボヴァリー夫人』論』を読んでいたわけです。それでフローベールについて何かわかったかというと少し疑問ですし、日本にはすでに沢山専門家がいるのにやる意味あるのかな、という思いが常につきまとっていたのも事実です。しかし、やはり「あのフローベール」ですからね。わずか3~4年でしたが、比較的時間があるタイミングで取り組むことができたのは幸福なことだったように思います。やってみるとですね、例えば、蓮實先生のアプローチだけがすべてではないこともわかってきます。

しかしですね、こうしてみると、わたしが散文アレルギーになった理由も多少わかっていただけるかなと思います。苦笑 ラブレーしかり、フローベールしかり、散文は「批評」の言語でもあります。鋭く速いんですね。また、「パラノ的」でもあるように思います。こうした言語を今日のような状況でどう使うべきか、少し考えてみる必要がありそうです。

博論がダメになった段階で、きっぱり「文学」とは縁を切ってもよかったんですけどね。ちょうどその頃、妙な成り行きで松浦さんと再会し、ベックさんと遭遇したわけです。そこでわたしの中で何か「変化」があったのか、もともと「韻文」の方が性にあっていたのか、少し微妙ですけどね…。いずれにせよ、世の中全体がある種「散文中心主義的」ですので、言語の別の可能性を考えてみたいと思うのかもしれません。

別に何も「企んで」はないんですけどね。苦笑 こうなったら行けるところまで行ってみようかな、とは思っております。わたしは「派閥」は作りません。あくまで「独身者」として勝負いたします。

ちなみに、フローベールが亡くなるのは1880年ちょうどのようです。フローベールの後で、〈1880年代西欧〉がはじまる。少し話が出来すぎでしょうか?

それでは、本日は以上にいたします。

栗脇


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