加藤周一『日本文学史序説』より②

「『源氏物語』の作者が、時間の経過を強調するために用いた独特の手法の第二は、過去の現在におよぼす影響の強調である。過去の人物の印象が現在の人物の印象に重なって、当事者に独特の作用をおよぼす。たとえば、桐壺帝が藤壺を愛するのは、彼女が亡くなった桐壺更衣に似ていたからである(「桐壺」)。源氏が紫に惹かれたのは、彼女が藤壺を思わせたからであり(「若紫」)、玉鬘に魅せられたのは、彼女が急死したその母親、夕顔の活き写しだったからである(「玉鬘」)。薫もまた宇治の大君に恋し、彼女の面影を偲ばせる異母妹の浮舟に出会って、浮舟を愛するようになる(「浮舟」)。いずれの場合にも、こういう男たちは、一人の女の姿のなかに、もう一人の女の表情を重ねて眺め、過ぎ去った恋の余情と始まろうとする情事の予感をない交ぜ、過去と未来とを一時の感情に凝縮させることで、かえって、年月の流れをあざやかに浮かび上がらせている。
 このような小説的手法を動員し、駆使して、紫式部は、時間というものの密度を表現することに成功した。『源氏物語』がわれわれに啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れという日常的で同時に根本的な人間の条件である。その表現、または啓示のために、たしかに大長篇小説は必要であった。」

加藤周一『日本文学史序説 上』ちくま学芸文庫、1999年、248ページ。

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