梅棹忠夫『知的生産の技術』より

「カードについてよくある誤解は、カードは記憶のための道具だ、というかんがえである。英語学習の単語カードなどからの連想だろうが、これはじつは、完全に逆なのである。頭のなかに記憶するのなら、カードにかく必要はない。カードにかくのは、そのことをわすれるためである。わすれてもかまわないように、カードにかくのである。標語ふうにいえば「記憶するかわりに記録する」のである。あるいは、「頭にいれずにカード・ボックスにいれる」のである。
 その点、カードはコンピューターににている。コンピューターも、人間のかわりに機械が記憶するのである。たしかに、この二つの「装置」には、どこか共通点がある。どちらも、知的生産のための道具としては、いわば「忘却の装置」である。」

梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、1969年、54ページ(「わすれるためにかく」)。

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