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居合とは

お世話になります。
佐野太基です。

さて、
今回は「居合とは何か?」というテーマでお話ししたいと思います。

※2023年1月時点で、ボクが学んでいるのは新陰流のみである為、自分が習得している技術に沿っての話は新陰流に基づきます。
ボク自身、まだ修行中の身であるので長く新陰流を学んでいる方や他の流派を学んでいる方からすると違和感を抱く表現もあるかもしれませんが、悪しからず

知識としての居合

 居合の発明者は林崎甚助重信
 かの御仁がどのような経緯で居合を発明されたのかは残念ながら、現時点で手元にある資料ではわからず、調べる時間がなかったので。次の機会に調べたいと思います。

 では「居合」という言葉の意味はどのように説明すれば良いのか?

 ボクの持っている辞書で「居合」という言葉を調べると、下記のような文章が出てきました。

(すわった状態から)すばやく刀をぬいて切る武術 「-道」

三省堂国語辞典八

 「すばやく刀を抜く」という点は多くの人の胸に落ち着く表現ではないでしょうか。
 映画やアニメ、漫画などの居合(抜刀)の遣い手はいつ刀を抜き、いつ鞘に納めたのかわからず、敵や立ちはだかる困難を斬る描写が多い印象です。
座頭市(座頭市シリーズ)、石川五エ門(ルパン三世)、緋村剣心(るろうに剣心)、ロロノア・ゾロ(ONE PIECE)、我妻善逸(鬼滅の刃)、他多数


居合という技術の正解とは?

 すばやく抜刀できなければ居合ではないのでしょうか?
 確かに目の前に刀や他の武器や凶器を構えた敵がいるのに自分の刀が鞘に収まったままでは、無抵抗でやられてしまう可能性は高いです(逃げるという選択肢は今回外します) なので、自分の命を守るためにもすばやく抜刀をする技術は身に着けるべきだし、理にかなっています。

 では、居合の稽古において「3秒以内に抜刀して納刀を目指す」というような稽古を行うのかと言うと行いません。
 そういう稽古をする人もいるかもしれませんし、ボク自身「自分の中の抜刀・納刀の最高速度はどれぐらいなのだろう?」という好奇心で試したことがあります。
 抜刀・納刀を速く行おうとすればするほど、手や手首、腕全体に余計な力みが生まれてしまい、腰は浮いて重心はがたつき、抜刀も納刀も上手くいきませんでした。
「お前の実力不足だろう」と言われれば返す言葉も無いのですが、ボクはこの方法や目標で居合を稽古するのは違うなと思いました。

 居合も含め剣術、果ては武道に於いて重要なのは体全体を使う体捌きです。腕や手にだけ力が入るような居合は居合とは呼べません。
 では、居合におけるすばやさとは一体何か?
 ボクの結論としては動作はゆっくりでも、抜刀してから納刀するまでの間の動きを止めないこと。つまり動きに摩擦が無いということが居合の技術において重要で、それがすばやい動きに繋がるのではないかと思います


居合に適した体格はあるのか?

 体格は人それぞれです。
 競技としての武道やスポーツ、格闘技に於いても適した体格というモノは存在し、技術が拮抗していても体格差が勝敗を分けてしまうこともあるのかもしれません。
 また筋力も人によって筋肉がつきやすい、つきにくいがあって自分が勝ちたい競技にどうしても必要な筋肉や筋力が手に入らないと辛い目に遭った方も世の中にはいるのでしょう。
 勿論、どんなスポーツ、格闘技、武道も優れた体格や筋力を持っているだけで一等賞になれる訳ではありません。
 ただ、居合という武術に於いては特に体格や筋力、更には年齢や性別は重要ではないとボクは考えます。

 幕末の四大人斬りとして恐れられた河上彦斎が得意とたのは「片手抜刀の逆袈裟斬り」。概要は下記の通りです。

片方の足を前方に大きくふみ出して膝を曲げ、もう片方の足は地面につくくらい後ろにのばす。片手で刀を抜き、下から上へ斬り上げるのだ。

学研ファースト歴史百科DX THE侍ビジュアル超百科

 彦斎は身長150cmと小柄で、剣は我流。人斬り=暗殺を行う為には標的に近づくまでは刀を抜けなかったという事を差し引いても、幕末の四大人斬りに名を残すほどの剣技が抜刀であったという事は逆説的に居合を習得するのに体格は関係ないことを証明しているのではないでしょうか。


 勿論、決して軽くはない居合刀を使う訳なので筋力はあるに越したことはないのですが、彦斎のエピソードや先ほども書いたように武道に於いて重要なのは体全体を使う体捌きなので、筋力が低いと居合の型(技)を発揮できないとかはありません。
 居合で重要なのは体格ではなく体幹です。居合の型をより忠実に再現しようと稽古を重ねれば、自ずと体幹は鍛えられてきますので、体幹をしっかりさせたい!と想っている方にこそ居合は習って欲しいです(^^)
 なので居合に於いては体格や筋力は十分条件ではあるけれど必要条件では無いと言ったところですかね。

 ただし、体格は関係ないということは裏を返せば習得できない言い訳が出来ないということ。
 そういう意味では、残酷な武術なのかもしれません。


居合とエンターテイメント

 先述のように映画や漫画、アニメに於ける居合は一瞬で相手を斬り伏せる技のような描写が多いです。
 ところで、ボクの持っている辞書で〝居合〟という言葉を調べた時、〝居合抜き〟という言葉が隣に表示されています。意味は下記の通り。

①⇨居合
②長い刀をひと息にぬく曲芸

三省堂国語辞典八

 居合とは武術でもあり曲芸(アクロバット)でもある。
 大好きな映画『座頭市物語』にて座頭市は自身の居合を「大道芸」だと自嘲するシーンがあります。
 先述した通り映画や漫画、アニメに於ける居合とは一瞬で相手を斬り伏せるという、とても見栄えのする技であり、ボクもまんまとその表現に魅せられて居合を始めた口です。

 以前に出演した舞台でも、
・刀を抜く→戦う姿勢を示す
・刀を納める→戦う姿勢を解く
 と言った表現ができました。居合(抜刀・納刀)は舞台装置として魅力的なのです。


居合の心構え

 居合の心得の歌というものがあります。

抜かば切れ、抜かずは切るな此刀
ただ切る事に大事こそあれ

日本剣豪列伝

 当然のことですが、鞘に納めたままでは何も斬れません。そして抜刀したからと言って必ず何かが斬れる訳でもないし、斬らなければいけない訳でもない。
 しかし、居合の心得としては「抜かば切れ」とあります。つまり抜いた以上は敵を斬る覚悟を持てということでしょう。つまり、生半可な気持ちで刀を抜いてはいけない。自分の腰に帯びているのは人を傷つける道具なのだ。その責任を忘れてはいけない。
 現代に於いて刀を腰に帯びることも、刀で人を斬ることは犯罪です(最も人を斬ることは昔から犯罪でしょうが)
 ですが、居合の型を行う際に鞘に納まった刀を抜いた瞬間から「抜かば切れ」の精神で、決して心を乱さず、ふざけず、刀を鞘に帰すまで心技体を集中させ技を発揮させる。
 それが居合という武術なのかもしれません。
 

 そう言えば、以前に格闘技をやっている友達との会話で
 「佐野くんは剣術をやっているから、刀を差した状態で山で熊に遭ったら斬り伏せたいと思うか」という質問をされました。
 この令和の時代に刀を差して山なんか登れる訳がありませんが、まぁ只の男同士のバカな会話なので、その辺はスルーしてください。
 ボクはこの質問を真面目に考え、
「刀は抜かずに柄に手をかけて、睨んだだけで熊を追っ払いたいね」
と答えました。

 ボクの想像以上の拗らせ具合に友達はドン引きでしたが、決してボクはふざけて答えてはいません。
 座頭市のような立ち回りには勿論憧れます。しかし、それ以上に抜刀せずに相手に勝つ姿こそ、ボクが理想とする剣客の姿です。

 
 


私にとって居合とは

 自分に居合とは何か。
 その考えを纏めるために文字にしてみましたが、書けば書くほど只の一言では表すことができない存在でした。
 ただ、思い返してみると『居合はカッコイイ』が自分にとって全ての原点でした。
 刀に手をかけた構えが、この世の中で老若男女や人種を問わずに一番カッコよく映る構えだという想いは今も変わりません。
 つまりボクにとっての居合とは『全てのカッコイイの具現化』という結論になるのかな…
 
 これからの人生がどうなるかはわかりませんが居合や剣術は一生続けていこうと想っています。
 その中で今回書いた想いが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも好きだという気持ちは変わらない自信があります。
 一生好きだと思えるものに出会えたことは、このうえない幸せなのかもしれません。

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