10年

今日は「成人の日」

歳をとるのは早いもので、あれから10年の月日が経ちました。

あのときの自分はこれから何をするのか、どんなことが起こるのか、まったくわからなかったことでしょう。ただ一日一日を過ごし、なんの生産性もない話を延々とすることを喜びとしていました。

ただ今思うことは、10年経とうが、20年経とうが、変わらないものがあり、同時に環境によって変わったものがあるということです。

これはとても当たり前のように聞こえるかもしれませんがとても重要なことだと思っています。

変わらないもの

変わらないもの、それは、自分のあり方です。

自分はこれだけは大切にしたいという信念みたいなものを持っていました。それは子供のように、大人のようにということです。

ここでいう子供のようにというのは文字通り子供のようにダダを捏ねたり、すねたりすることではありません。もちろん大人のようにというのも言葉遣いとか常識的にとかここにあえて書くことでもないのでいいません

私が苦手な言葉に「大人なんだから」、「社会人なんだから」というのがあります。

これは先にも説明しましたが、常識的にとか人としてみたいな部分を除き、個人的な印象としてそういう人に限って中身が薄いように感じます。

大人としての態は繕っていますが、なんら面白味や魅力を感じません。無難型、消費型な人が苦手みたいです。

自分はどうなんだ。自分はこういう人間なんだ、と自分を崩さず主張し、挑戦し、生産し、生きている人ってとても魅力的に思います。自分にはまだそれができていないからです。だからといって自尊心が強いことを開き直るのは違うとは思っています笑。自分はそういう人が苦手なのでそうならないようにバランスを考えています。

子供のように、大人のようにというのは、ようにという部分に意味が込められていてどっちの自分にもいけるような感覚です。子供のように楽しむときは楽しみ、大人のように頑張るときは頑張るみたいな。

正直、子供でも大人でもどっちでもいいんですが、つまるところ楽しい人間として生きたい。ただそれだけです。(適当すぎるやろ)

変わったもの

変わったもの、それは価値観です。

私は上京した身で、今年で10年になります。(1年ほど事情により地元にいました)上京してからいろんな人に出会いました。人間関係で夜な夜な涙で枕を濡らした日々もあったかもしれません。

やはり関わる人間が変われば自分の考え方も変わっていきます。というのも同じ話をめったにしなくなるのでどんどん新しい話題がでてきます。とくに自慢できるほどではないのですが女性ともそれなりにお会いしました。

関わっていく中で男女関係なく、この人は人ととして面白いとか、こんなことを考えるんだとか、こんなお店あったんだとか、自分の中で好き嫌いが整理され、趣味嗜好や興味関心を深ぼれたりすることができました。例えばメイド喫茶に通うようになり実は自分が甘いもの好きだったとか他にも具体例をだせば長くなるので割愛します。

さらに価値観が変わってくると、人との付き合い方も変わってきます。残念ながら自己啓発本の読みすぎでもなければ、なにかの宗教にはまってるでも彼女にツボ売られたでも何十年ぶりに会う友達とルノアールで話をしたでもありません。

前項の"変わらないもの"で説明したように、私は変わりません。最近十年ぶりぐらいの同窓会に行きましたが、その感じ変わらないねって言われました。十年来の友人にも未だに言われています。私にとって最高の褒め言葉であり何十年と貫いてきた甲斐があるというものです。

では何が変わるのでしょう。それは正直自分でもわかっていません。笑

引っ張っておいてズッコケレベルの落ちですがこれはどうにも言語化できず表現に誤解を招くので敢えて書かないでおこうと思います。

多分人との付き合い方は私の永遠のテーマであり課題であります。どれが正解とかこうすれば良いというアドバイスもわかっている人のほうが限りなく0に近いと思っているので左から右に受け流します。笑

そんなこんなでこれからの10年私はどうなるのか、ホームレスになっているかもしれないし、偉そうなこと書いたけどあまりの状況の変化に人が変わっているかもしれません。でもこれだけは言えます。今の「僕」は旧来の友人、仕事、プライベート問わず関わってくださっている方々のおかげで本当に感謝しています。

10年、20年と私は変わらず、しかし価値観は変わり、最高に面白く、楽しめる私でありたいです。

それではお聞きください。サカナクションで「黄色い車」

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