見出し画像

not 上手い文章 but 型にハマった文章

「文章が上手だね。」

と、ありがたいことに度々言われる。とても嬉しい。noteに書き殴った文章も、Twitterの140文字に推敲しまくった文章も、インスタの着飾った文章にも、最初に来る感想はその内容よりも表現に対してのものである。

僕は文章を読むことが好きである。人生20年、様々な文章を渉猟してきたとは思うが、その中心となるのは学校で強制的に読まされた教科書の文章や、各年齢に応じた国語の問題集の評論や小説といった、この国のトップが認めた名文ばかりである。これらの名文がなぜ名文か、というと、文章を読んで明確に答えが分かる問題が出せるくらいに論理構成が整っているからである、と僕は思う。形は多様であるが、こういった場所に出現する文章は総じてとても読みやすい。し、その形はパターン化することができる。この文章の書き出しにしても、セリフから始まるという、小学生の頃頼りがちな「読書感想文の書き方」の本に必ず載っているようなやり口だ。いい文章とは、すでにパターン化されているものとして理解できる。

ただ、僕は文章を書くとき、そのようなことを考えているわけではない。そんなことを考えながら物事を書けるほど器用ではない。しかし、僕の頭の中にはこれまで蓄えてきた数多の名文パターンリストが無意識のうちにある。と思う。知らず知らずのうちに、それらを自然と、堂々とパクっている、というのが僕の文章の書き方に近いだろう。その引き出しの数が少し他人よりは多い自信がある。
「あ、ここに例を入れたら面白そうだな」
「カッコつけて倒置法とか使って強調しちゃえ」
などは書いてる途中によく遭遇する気持ちである。所詮素人の書く遊びの文章なのだから、誰にも表現の上で縛られることはない。これからも自由に文章に飾り付けをしていこうと思う。

素人目線の「誰でもすぐに使えるそれっぽい文章を書く術」としては、とにかく類語を調べる、覚えるということをおすすめする。例えば、「休みの日は家で本を読みまくっている」というのと、「余暇の時間を活用して様々な文章を渉猟している」と言うのでは、読む人が受ける印象は大きく異なるだろう。文章は、それ次第で、自分の印象もろとも操作し放題なところが、僕はとても好きだ。

自分の思いを言語化して発信できる人は僕は魅力的だと思う。そこに細かいテクニックは必要ない。素敵な文章ライフを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?