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地中海北縁の旅と生活 第2章④

香高堂 地中海北縁の旅と生活 第2章<2016年真夏の南仏マルセイユ観光記>
2-4《サラエボへの帰路、ニースでのテロ事件からの活き返り》

 フランス革命記念日7月14日は朝9時に<マルセイユ>を出発、<ニース>まで2時間程度だが、残念と思いながら地中海沿岸を走る。途中<ジェノバ>の陸橋で1時間の大渋滞に出会ったが、何年してその橋が崩落したことを知った。
 渋滞を抜けて北に向かい<パルマ、ボローニア>を通り、<レミニ>でアドリア海にたどり着く。さらにイタリア中部の港<アンコーナ>まで、マルセイユから約9時間掛けた移動だった。予約をしていなかったが、20時発のフェリーに乗れたのでアドリア海を渡り、15日朝7時にクロアチアの<スピリト>に到着した。
 
 ニースでテロ事件が起きたのは14日夜11時前、船内のレストランで夕食を終えた後、車での移動で疲れ果てていたので10時過ぎにはキャビンの狭い二段ベッドで眠り込んでいた。◆CNN.co.jp=7月14日夜ニースで爆弾テロ事件が起きた。フランス・ニースで大型トラックが人混みに突っ込み多数の死者がでた◆
 この事件を知ったのは翌日朝、アドリア海を渡り、クロアチアの<スピリト>到着後であった。もしニースに泊まっていたら、その時間は知人との食事も終わり、お酒を飲みながら花火見物をしていたであろう。ぞっとする思いだが、間一髪の判断だった。ニースの若き知人の名前は「松嶋啓介」、パリでなくニースでフレンチレストランを始め、レストランオーナーとして様々な食文化と地方を喚起する活動を行っている。
 
 7月14日はフランスの革命記念日、私にとってはまだ「生きて良い」と神様がくれた貴重な日となった。朝スピリト到着後、30分ほどでボスニア国境に行きつき、WiHiが通じるようになって、ニースでの事件の詳細を知った。難民、無差別テロ、根源はもっと深いと思うが、至近の全てはシリア問題に行き着く。日本も戦争しないことを考えて行かないと「人殺しの国」になる。そこからサラエボまでは約4時間、車はボスニアの山間を走り、時と事件は動いていたことを知る。
 
 それにしても、いっときの人間の判断と決断が、その生き様を左右するものである。大坂の知人が亡くなった1985年の御巣鷹山での日航機事故、あの時、あのフライトに乗る予定であった人が急遽キャンセルして助かった話を直接聞いていた。物事を判断するには様々な要素があり、その場で導く危機意識や感性や感覚にとっては、不断の自己修練が必要なのであろう。
  さて、何故マルセイユ暮らしをするようになったかは、我が家のメス猫GRISが語っている。

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