追悼記=絶望の先に視えるささやかなもの

●風英堂追悼記=絶望の先に視えるささやかなもの

彼は「妻はまだ生きている、死んだとは思えない」と言い切った。

その日夜、私は友人の自宅にいた。栃木県大田原市の自宅にはまだ納骨していない遺骨が置かれ、その後ろにはまるで立っているかのようにその妻の衣類がハンガーに掛けてあった。彼は妻の病気を早期発見出来なかったこと、まともな治療を受けさせられ無かったことを悔いていた。彼は布団でなく、リビングのソファで見守るように寝て、後悔の念を見つめ続けている。彼は夕食を食べながら、訥々と話しだした。彼の妻が逝ったのは今年6月頃、3月にシンガポールから帰国して定年退職、妻はコロナ禍もあってそのまま入院、彼は死に際も看取れなかった。

帰国数年前から妻の病状が出ており、現地でも日本でも検査をしたが、病名は分からず治療が出来なかった。その病名は「悪性リンパ腫」であった。血液がんの一種で白血球の一種であるリンパ球がガン化したもの、リンパ節やリンパ管、脾臓、胸腺、扁桃などで発生するようだ。人間はその身に大きな変化が起きたら、受け入れ難い時がある。感情的になったり、文句を言ったりして、周りの人々や物事を拒否する。失望や絶望の時に「頑張れ、これからがあるよ」と言われてもその意味、意義は心に響かない。だが、何かささやかなきっかけで動き出すことがある。

彼はいくつかの事情を話したが、私には「なるほど、そうなのか」と肯いているしかなかった。彼の発する言葉と感情から、目の前に微かに見えるものを見つけ出すしかない。その間、私の頭を占めていたのは「今、何かしたいことがあるのか」と言う問いを発するタイミングを計ることだけだった。亡くなった者を活かすのは、生きている自分が前に一歩踏み出すしかない。ふと見えた希望の言葉は「ゴルフをやらないか」だった。あれだけ好きで海外でやっていたようだし、せっかくゴルフ銀座の栃木県に住んだのだから。

そして「やってもいいかな」と言う一言をやっと引き出した。家のカミサマは「毎日でなくても良いから、外出したら地元の風景写真でもを送って」と言った。確かにメール写真は生きている証でもある。彼が日本に戻って初めて住んだ土地を歩き回ってもらい、我々のゴルフ後に入る湯治場も探してもらうつもりだ。次回栃木に行く時は、ゴルフをするために那須塩原に降り立つつもりだ。
さて、私も練習を積み重ねて上手くなってる必要が出てきた。さあ、近所のゴルフ練習に行こう。

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