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畏友録①=老い友との美味しい再会

●香高堂畏友録①=老い友との美味しい再会

数日前、ある女性と台東区柳橋のビストロでランチ会食をした。当然、最近推奨された馬鹿馬鹿しい<マスク会食>など行っていない。翌日彼女から『老いる時、身体と向き合い、老いを楽しみながら、老い友ですね』とLINEメッセージがあったが、私は『追憶の友にならないように』と返信していた。

若い頃、彼女夫妻と子供のいる浅草橋のマンション高層階に仲間数人で押しかけ、隅田川花火を見ながらのバーベキューをしたことを思い出した。1階は銭湯で夕方着いたら、まずは「一風呂浴びて来なさい」と言われた。その後も<江戸遊>での垢すりを教えてもらったりしながら公私とも交流が続き、何度か自宅にお邪魔していた。
私が山の手暮らしが嫌になり、下町住まいになったのもこれがきっかけである。必要と思える時に会い、近寄り過ぎず、離れずに付き合ってきた。今思えば、ビジネスマンの彼女と出会ったのは私が30代半ば、彼女は20代だった。それから30年来の付き合いになっている。

ニッポン放送の営業企画にいた時、当時はまだ出回っていなかったA4サイズのクリアファイルを持ってきた。下町っ子らしい語り口で「これは名入れが出来ます」と言って直ぐに採用した。彼女は浅草橋の文房具問屋の娘で営業をしていた。その後ダイソー等との取引を増やし、台湾に現地協力者と工場を作り、中国との取引も直接行わず台湾経由、文具メーカーとして業務拡大して発展させてきた。親の後を継ぎ社長になり、今や数十億規模の売り上げになっているようだ。

55歳で退職と言って数年前に引退したようだが、何故かと問うたら『55歳過ぎたら、好きなことをして生きたいから』ねと。今はビジネスパートナーと文具を中心とした商品企画とコンサルタントしており、そのビストロの上階に事務所があった。写真のマスクケースは名入れも出来るが、<ハンコ>を作って押すことも出来る。まとめて仕入れたらいくつかのお店で使用出来るので、斡旋はする。

そう言えば、彼女には息子と娘がいるが『親として高校卒業まで生活の面倒を見るが、その後は好きなことをして良い』と言い、『大学へ行くなら資金は貸し付け、返済してもらう』と宣言していた。息子は医大に進み外科医になり、卒業後は沖縄で救急病棟に勤務、来年は日本=大和に戻るようだ。

娘は高校卒業後、大学からの留学でなく、日本人は無理と言われたバロセロナ大学の入学試験をスペイン語で受け、大学院まで進んだ。卒業後は日本に戻り、今やユーチューブでスペイン語を教えているが人気動画のようで、親の血を受け継いでいるようだ。さらに、彼女の伯母さんは作家の井上ひさし家とは縁続きだが、8年ぶりに訪れた柳橋には苦い思い出がある。今は相当な歳になっているようだが、未だ意気軒昂のようだ。

一方、彼女は生粋の江戸っ子であるが、異文化と触れ合いながらもその心意気は今も続く。子供二人を育てながら新たなパートナーと暮らし、ビジネスパートナーを得て活躍している。60代以降を新たに生きようとする姿勢はこれからの女性の生き方を明示しているようだ。世界各地に、日本の地方に散らばっている私の娘(のような)達も皆、子育てを経験しながら、新しい活き方を模索している。

コロナ後の生活は「今までの日常感覚を50%にまず下げること」だと何度か書いてきた。それから徐々に、出来る限り、良きものを選んで増やしていく。さらに、捨ててきたものに拘らず、改めて視てこなかった物事に自分の価値観を振り向けることだろう。ここで一度立ち止まって考えれば、自分が知らずに選んできた物や事にが、良きものが残っていることに気が付くだろう。

一方、コロナ禍で人々は無駄を嫌い、生活に必要か? 持っていれば幸せになれるか?など生活の本質を考えるようになっている。。この後には「必ず好景気が来る」という一般的な経済の見通しとは違っているだろう。人々の意識や価値観が変わったことで、社会に必要とされなくなってしまった職業、価値が見出されなくなった職業の淘汰が始まろうとしているかもしれない。<異文化理解>が一つのキーワードになるかもしれない

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