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【スポーツと競争】スポーツは気晴らし

令和の運動会

最近、勝敗や順位をつけないような運動会が増えてきているらしい。
具体的には、

・紅組、白組などの廃止
・徒競走はゴールテープがなく順位がつかない
・徒競走とダンスのみの運動会もある

というもののようだ。

確かに、運動が苦手な人からしたら特に徒競走などの個人種目は地獄だろうから、こういう運動会が存在するのは理解できる。
一方で、人生は競争社会だからそれを避けるのはおかしい、勝敗がつかないならやる意味がない、スポーツの否定だという意見も存在する。
皆さんは賛成だろうか、反対だろうか。

この話を進めるには、ために体育とは何ぞや、スポーツとは何ぞや、ということを知っておく必要があるだろう。

学習指導要領

文部科学省の学習指導要領の体育の目標として、
「心と体を一体としてとらえ、適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して、生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り、楽しく明るい生活を営む態度を育てる。」とある。

スポーツ庁

「スポーツ基本法」には

「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことはすべての人々の権利」

という理念があり、
スポーツ庁では誰もが身体を動かすことを心から楽しみ、健康で、豊かな日本を作るべく取り組みを進めている。

また、スポーツ庁ではスポーツを
「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」と定義している。


スポーツとは「気晴らし」である

そもそも、皆さんはスポーツという言葉の語源をご存知だろうか。

「Sport」という単語は19~20世紀にかけて世界で一般化した言葉であり、その由来はラテン語の「deportare」(デポルターレ)という単語だとされている。

デポルターレとは、「運び去る、運搬する」という意味で、

転じて
・義務からの気分転換
・元気の回復
・気晴らし、遊び、楽しみ、休養

となったのである。


スポーツ・体育・運動の本質

学習指導要領もスポーツ庁も語源に関しても、難しいことは何も言っていない。

共通して「体を動かすことで人生を楽しみ、心身の健康を獲得する」

ということを言っているだけである。

スポーツと聞いて思い浮かぶのは、野球やサッカーなどの球技、陸上や水泳などの授業や部活で経験するような競技種目が多いと思われる。
確かにこれらには、ルールがあり、勝ち負けがあり、向上心が求められたりストイックなイメージがある。

しかしこれらだけがスポーツではないのだ。
スポーツとは、散歩、ランニング、サイクリング、ストレッチ、ハイキング、海水浴、など幅広い射程範囲があり、誰もが自由に楽しめるものである。

だからといって競技を否定したいわけではない。
より楽しむために勝利を追及するのは何もおかしなことではなく、人それぞれにスポーツの楽しみ方がある。

運動会の方向性

かく言う私はどうなのかというと、大のスポーツ好きである。
小学校から大学にかけて、野球やテニス、サッカーやゴルフなどを経験してきたし、中継を観たり、実際に球場等に足を運ぶことも少なくない。

じゃあなぜこんなnoteを書いているかというと、それはもちろん、競争としてのスポーツがあまり好きではないからである。
スポーツを通じて体を動かすのが楽しいのであって、誰かに勝ちたいという性格ではまるでないのだ。

運動が好きな人であっても、競争や順位をつけることに向いていない人は少なくないと思っているし、運動が苦手であればただの公開処刑でしかない。

私が思う理想の運動会は、
「一人一競技は出場しなければならない」
というものである。

(上限はあるにせよ)出たい人は、いろんな競技に出てもらって、出たくない人は、例えば綱引きなどの団体種目や数人一組で行われる種目にだけ参加すればいいと考えれば苦手な人も参加しやすいのではないだろうか。

また、運動会は出場することだけではなく、自分の組を応援するという要素もある。スポーツに興味がない人もW杯や五輪で日本チームや日本選手を応援したり、見ないにしても基本的に活躍はしてほしいとは思うはず。

「する」だけではなくて、「見る」や「応援する」こともスポーツに含まれるということは、スポーツ庁が言っていることでもあり、こういう経験はしておいてよいのではないかとも思う。

結論

スポーツの本質は楽しむことが大前提であり、ストレス発散や健康増進にも繋がり幸福感にも関与している(というデータは無数にある)。
スポーツによる競争や運動会などの強制参加は学習指導要領やスポーツ庁の目指すところではないし、それによって運動嫌いになる人がいるのはスポーツ好きとしてはとても悲しい。

結局のところ、競争が好きな人は部活動やクラブなどで勝手にそういう世界に入っていくわけだし、
現在の日本の教育では「勉強」というほぼ全員強制の競争があるので、その本質に逆らってまで、競争としての運動を強制させる必要はないのではないか。

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