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緑の洞門を守りたい
北鎌倉の駅の直ぐ隣に「緑の洞門」があります。
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写真のように地元の人々が生活に使う緑のトンネルでした。
今は通行止めになっています。
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このような看板が出ていました。覗くと洞門が見えます。
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周りの緑は伐採されていました。
この洞門を崩してコンクリート壁にする計画があるそうです。
奥にあるお墓に車で行けるようにするために洞門を壊すのだという話も聞きました。
でも文化庁が待ったをかけたのだそうです。
それはこの洞門が歴史的価値があるからということです。
平安時代の後期には
この洞門のある岩山が鎌倉の北の境界でした。
鎌倉時代前期には
三代執権北条泰時が
鎌倉を災いから守るための
四角四境祭をやった場所でした。
鎌倉時代後期には
円覚寺の西の境界でもありました。
一遍上人が
八代執権北条時宗と出会う
「一遍聖絵」の有名な巨袋坂の場面がこの場所でした。
この洞門は鎌倉時代の鎌倉を
今にとどめる貴重な遺跡でもあるのです。
今、洞門を壊すという話は宙に浮いているということでした。
古いものは、一度壊してしまえばもう元には戻りません。
鎌倉時代という約800年も前からの歴史を背負ったものを残してあることは、
とても素晴らしいことだと思います。
鎌倉は、「古都保存法」の発祥の地でもあります。
洞門は歴史的価値もありますし
観光資源としても役に立つと思います。
古いものを守るには、時間もお金も労力もかかりますが、
ぜひ「緑の洞門」を復活させ、
守っていってほしいと思いました。
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