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香港の独立書店が舞台になった小説〜陳浩基「二樓書店」

日本でも人気を博した香港ミステリー小説『13・67』。その作者である陳浩基氏の近作「二樓書店」(『偵探冰室』所収)では、旺角西洋菜街にある老舗の独立書店が物語の舞台として登場します。

タイトルの「二樓書店」とは2階にある書店という意味で、総じて独立書店のことを指します。家賃の高い香港では、資金力が乏しい小さな独立書店は、賃料の安いビルの2階以上に店を構えるケースが多いことからついた名称です。確かに、大手の書店以外は、書店のほとんどはビルの上層階に店を構えていることが多いですね。最近では香港でも「独立書店」という言い方も浸透してきています(台湾から入ってきた言葉ではと推測)。

さて、今回noteで取り上げるにあたり、「二樓書店」の書店部分の描写に注目して読み直してみましたが・・・さすが陳浩基さん、設定が非常にリアルで改めて感動しました。以前、陳さんのインタビュー記事で丹念な調査と取材をされることを知りましたが、「二樓書店」でもその効果が発揮されています。事実と架空の出来事がうまく融合し、まるで現実に独立書店で起きた事件のような錯覚さえ覚えてしまいました。(以前、知人が陳さんにインタビューする際に、ぶら下がってついていったことがあるのですが、陳さんの説明がとても詳細で、まるでデータオタクのようで・・・小説を書くのにここまで調べるのかと驚いたことがあります笑)。

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『偵探冰室――香港推理小説合集』
陳浩基、譚劍、文善、黑貓C、冒業、望日
星夜出版有限公司(香港)、2019年7月初版
陳浩基氏ほか香港の若手作家ら6名によるミステリー小説のアンソロジー。二樓書店(独立書店)、重慶大廈(尖沙咀の雑居ビル)、李氏力場(香港の富豪・李嘉誠の結界。香港で証券取引のある日に台風は来ないという都市伝説のようなもの)、動漫節(アニメフェスティバル)、窄小劏房(極狭アパート)、香港地鐵(地下鉄)といったいかにも香港らしい場所・事柄が小説の舞台になっているのにも注目。

▼▼あらすじ▼▼
独立書店「薈蘭書坊」の店主・英姐は、ある日、店の玄関の施錠がいつもと違うことに気がつく。店内には荒らされた形跡が見当たらないので、泥棒ではなく、国家安全機関関係者の潜入捜査ではないかと推測する。薈蘭書坊では、台湾で出版された中国関連本を取り扱ってため、数年前に起きた某書店員の失踪事件のように、店に置いている本や顧客リストを調べてにきたのではないかと。その後、ベテラン店員の阿迪の機転で、夜中に店に不法侵入した来た不審者と対面することになるが、彼らの目的は英姐の想像を超えるものだった・・・。

▼▼登場人物ほか▼▼
【英姐】本名・譚珏英。50代独身、牛頭角に住んでいる。本好きで、特に好んで読んでいるのは犯罪推理小説。なかでもローレンス・ブロックや松本清張がお気に入り。薈蘭書坊で働いて30年近くなる。20年前に前店主(書店の創業者)がカナダへ移民をするのを機に、当時ベテラン店員だった英姐が店を譲り受け、薈蘭書坊の2代目店主となった。

【阿迪】薈蘭書坊勤務6年目。英姐から信頼を寄せられている。武俠小説好き。3年前に旺角で起こった市民と警官隊の衝突を目撃して以来、警察に対して不信感を抱いている。”国安”職員の潜入捜査対策として、常連客の個人情報を守るために偽のリストを作成するなど機転が利く。

【卓琳】半年前に薈蘭書坊に入ったアルバイト店員。以前は不動産業界で働いていた。英姐からスパイではないかと疑われている。

【胡光】薈蘭書坊が入居する順風楼のオーナー。毎年、契約更新時に英姐と会っている。見た目は普通なのだが、70年代に土地転がしで大金を得、現在は不動産を複数所有する「隠れ富豪」。40年前に妻が失踪。

【柯Sir】旺角警察の犯罪捜査局付きの巡査部長。数年前に薈蘭書坊で起きた万引き事件の捜査を担当し、英姐と知り合う。英姐に店内に監視カメラを設置するようアドバイスする(英姐は配線が苦手で結局設置せず)。順風楼の斜め向かいに住んでいる。

【梁教授】本名・梁秉賢。シンガポール出身。香港大学客員教授。犯罪学を教えている。卓琳は教え子の1人。香港警察内で犯罪学の講座を行ったことがあり、柯Sirも受講していた。※香港を代表する詩人で作家の也斯氏の本名・梁秉鈞と1字違い!

【薈蘭書坊】旺角西洋菜街にある老舗書店。1970年代開業。営業時間は10:00〜22:00。創業者で初代店主が順風楼のオーナー胡光と同郷のよしみで、家賃を市価より1割安くしてもらっている。昔ながらの経営方式(=飲食提供やトークイベントをするようなスペースはなし)。店名の「薈蘭」は、胡光の失踪した妻の名前。

【順風楼】築60年の唐楼(築50年以上のエレベーターがない低層のビル)、5階建て。以前は胡光も住んでいたが、転居後、その住宅跡は薈蘭書坊となった。

「二樓書店」の主人公・英姐ですが、香港北角にある老舗書店「森記圖書」店主・陳琁さんをモデルにしたのではと思うくらい、経歴といい雰囲気といいよく似ています(森記にはベテラン店員もいる!)。薈蘭書坊のある旺角西洋菜街は、東京神保町みたく書店が多く集まる通りで、香港の書店街とも言われています。西洋菜街にある書店のほとんど(全部?)は、古いビルの2階以上に店を構えています。

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写真は北角の「森記圖書」。1978年開業。1982年に創業者一家がカナダへの移住を決めたため、当時店員だった陳琁さんが店を譲りうける形で、2代目店主となる。ベストセラーよりも魂が込もった本を届けたいという信念のもと、店に置く本を選んでいるそう。「二樓書店」の英姐と似ています!

「二樓書店」では、香港で実際に起った事件や社会事情も背景に描かれています。以下、分かる範囲でいくつか挙げると・・・

・英姐が危惧していた某書店店員の失踪事件は、おそらく銅鑼湾書店事件がモデル。英姐は香港の大手書店が取り扱っていないような本に興味を持っており、台湾の紅纓出版社が出す中国関連本(『北京外交新困局』『吃垮中國』『大陸官場貪腐實錄』『中國2020 市場危機』などの書名が出てきます)を独自に仕入れています。不審者侵入の痕跡を見つけてからは、大陸とつながった公安警察による潜入捜査(禁書)ではないかと心配。紅纓出版社の本は学術的価値があるので大きな問題はないと自分に言い聞かせつつも、その一方で底線はどこまでなのかと悩んでいる。

・阿迪が警察に対して不信感を抱くようになった旺角の事件は、「2016年香港旺角騒乱」がモデルのよう。

・薈蘭書坊に不動産業者(黒牛地産、宏達集団)が訪ねて来て、「順風楼周辺の再開発計画があり、新しくできるショッピングモールに移転しないか」と勧誘をしてきます。60〜70年代に建てられたビルが老朽化し寿命を迎えつつあることも一因かと思いますが、こういったディベロッパーによる再開発話は近年、香港の各地で見られます。新しいショッピングモールはきれいで便利ではある一方、”香港”を造ってきた風景が失われてしまい残念という声も多く聞きます。薈蘭書坊が入居する順風楼も築60年の古いビルでした。

             *   *   *

陳浩基さんの作品は、日本でも次々に翻訳出版されているので、このアンソロジー『偵探冰室――香港推理小説合集』も日本語版が出るのを楽しみにしています。ちょうど今の香港の現状が背景に盛り込まれていますし、他の作品も香港らしい事柄が設定になっているので、ミステリー部分だけではなく香港部分も楽しめて“二度美味しい”本だと思います。




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