オミクロン株の変異について ~数理的思考の勧め~

Twitterと違ってnoteのいいところは、字数制限がないので数理的な議論をじっくりできることである。これまでも、日本で新型コロナ陽性者(デルタ株)が減った原因に関する考察などで、そうした議論を行ってきた。

新型コロナウイルスのパンデミックで気づいたのは、生命科学者の多くは数理的思考が非常に苦手なことである。特に、塩基配列の変異について確率論的な考察ができる人は非常に少ない。新型コロナウイルスに特徴的なフーリン切断部位の挿入に関する議論でもそれを感じることが多かったが、オミクロン株の変異に関する議論でもまた同じ状況が起きた。

オミクロン株はスパイク蛋白に非常に多くの変異があり、これまでの変異株と大きく異なる。一つの特徴として、マウスのACE2受容体結合部位に非常に付きやすくなっている点があり、それゆえヒトからマウスに感染し、マウスの感染に最適化するように変異を繰り返したのち、ヒトに再感染したのではないかという説が有力になっている(下記論文参照)。

オミクロン株の変異には、もう一つ異常な特徴がある。それは31個ある変異のうち、同義置換(synonymous mutation)が1つしかなく、残りの30は全て非同義置換(non-synonymous mutation)なことである。この点については荒川央氏の以下のnoteに詳細な解説があるので参照されたい。

荒川氏の解説にもあるが、この種の変異パターンがランダムに起こる確率は非常に低い。だが、分子生物学者の中には、この現象は異常でないと言う人も少なくない。たとえば、Alina ChanやJesse Bloomは次のようなツイートをしている。

Jesse Bloomは、免疫逃避の患者の症例において、スパイク蛋白に10個の非同義変異があり、同義変異が一つもないウイルスが見つかったと指摘し、オミクロン株の変異は異常ではないと言っている。しかし、これは確率の具体的数値の違いを全く無視している。

ランダムに変異が起きた場合、非同義変異になる確率は約3/4である(開始コドン、終止コドンに関わる変異をカウントに含めるか否かで数字は若干変わる)。であるから、10個の変異が連続して非同義変異になる確率は3/4の10乗(以下、aのb乗をa^bと表記する)で、計算すると約0.06(6%)である。小さい数字ではあるが、17回に1回の確率なので、それほど稀ではない。

一方、オミクロン株の方はどうか。31回の変異(実際には同一コドンに2個の変異があるので32個の変異になるが、それを考慮しても概算に1桁以下の影響しかない)のうち、同義変異が1個以下である確率は31 x (1/4) x (3/4)^30 + (3/4)^31で、計算すると約1.5 x 10^-3(0.15%)となる。つまり、約670回に1回の確率となる。上の免疫逃避の例を以って、オミクロン株の変異が十分起こりうるという議論が、数理的にいかにナンセンスかは、高校レベルの簡単な数学が理解できれば、容易に見破ることができるのである。

なお、同じ分子生物学者でもYuri Deiginはオミクロン株は、人工的な変異を入れた変異株をマウス内あるいは抗体下で継代培養したものであるという見解を示している。

繰り返すが、生命科学者には数理的に非常に雑な議論をする人が目立つ。彼らも、高校までは数学を勉強したはずである。いくら数学が苦手であっても、高校数学で計算できることぐらいは、真面目に計算してから議論することを習慣にしていただきたいと思う。