現代知識人の予測に大外れが多い理由

今のニュースの大部分はロシアのウクライナ侵攻に関する話題である。事態の推移ばかりに目を奪われがちだが、日本の知識人の多くが、ロシアのウクライナ侵攻はないと予測していたことは忘れるべきではない。ところが、予測を外した知識人たちは、慶応大学の廣瀬陽子教授のようなごく一部の良心的な人を除いて、全く反省していない。彼らは自分が予測を大きく外したということに真摯に向き合う気は全くないようである。

これと似たことは、新型コロナウイルスを巡る問題においても、医師や学者に多く見られた。彼らは新型コロナウイルスの起源は研究所起源ではないと断言した。

まだ結論は出ていないものの、FOIA(米国の情報公開)で、同ウイルスの塩基配列が明らかになった2020年1~2月時点で、ファウチ周辺のウイルス学者たちはみな、私信で研究所起源の可能性が高いと仲間内で語り合っていたことが明らかになっている。よって、少なくとも2020年時点で研究所起源はありえないと断定したことは明らかに間違いであった。にもかかわらず、ロシア問題で外した専門家同様、外した医師や学者に反省をしている人は見受けられない。

このように、現代の知識人が多くのケースで予想を大きく外すのはなぜか。かつ、彼らの多くが全く反省しないのはなぜか。その理由について、色々調べながら考えているうちに、だいぶ頭の中が整理できてきたので、それについて紹介したい。

ここでは、人間の思考パターンを分類するため、下図のような2つの軸を導入する。横軸は、現実の人間社会を甘く評価しているか、辛く評価しているかを表す。縦軸は、人間に高い規範意識を求めるか、求めないかを表す。

善良な一般市民は現実を甘く見がちである。まさかロシアがウクライナに攻め入るとは思わないし、真理を探究するはずの学者(ファウチとその周辺のウイルス学者)が公然とウソをつくとも思わない。ただし、善良な市民は、実際にロシアがウクライナの一般市民を殺せば心底怒るし、このパンデミックの原因が研究所からのウイルス漏洩であることが事実と証明されれば、絶対許さないだろう。彼らは、ロシア軍にもウイルス学者にも、人間の道に外れないような高い規範意識を求めているからである。

一方、現代の進歩的知識人は、現実を甘く見る点では一般市民と同じである。しかし、甘く見る理由は若干異なる。一般市民のように性善説を信じているという面も全くないわけではないが、それよりも大きいのは規範意識が低いがゆえに、ロシアのウクライナ侵攻もウイルス学者がウソをつくことも、どちらも大して悪いことだと思っていないのである。実際、進歩的知識人にはロシアを擁護する人も少なくない。また、科学者仲間と話をしていると、たとえ研究所の事故でこのパンデミックが起きたのだとしても、研究者たちがそれほど悪いことをしたことにはならない思っている人が意外に多いのである。

この規範意識の低さは、自分が予想を大きく外しても全く反省しない態度にもつながる。彼らは社会正義が実践されるか否かには関心はないし、自分が正しい言動を貫くことにも興味はない。彼らは純粋な功利主義者であり、関心は自らの損得だけである。よって、彼らは「倫理」を語ることはあっても、それは自分が良い人間であることを演出して得をすることだけが目的である。それゆえ、自分の得にならない倫理問題は一切語らない。彼らが世界で600万人以上の人を死に追いやったウイルスの起源に全く関心を寄せないのは、それが理由である。

この進歩的知識人と対極にあるのが、西洋キリスト教文明の思想である。人間は原罪を負っているというのが聖書の教えであり、人間が常に善を行うという甘い人間観はない。その上で、より良く生きることを目指す。欧米でも左翼進歩主義の汚染は進んでいるが、それでも西洋キリスト教文明の影響はまだ残っている。だから、ロシアのウクライナ侵攻の可能性を語る知識人は日本と違って欧米には少なくなかった。また、FOIAでファウチの周辺人物たちの悪行が次々明らかになるに従い、それを厳しく批判する学者も増えている。一方、日本で新型コロナウイルス研究所起源の可能性を科学の立場から公に論じているのは、いまだに私一人である。日本の科学者がいかに真実の追究にも、研究倫理にも無関心かがよく分かる。科学は西洋キリスト教文明を背景に生まれたものであるがゆえに、西洋の科学者は真理にも倫理にも関心がある人が一定数いるが、日本の科学者はほぼ全員が進歩的知識人に過ぎないのである。

西洋キリスト教文明が位置する上図の左上の象限に身を置くのは、精神的に非常に辛いことである。現実世界の汚さから目を背けずにそれを直視し、その絶望的状況を少しでも良くするという苦役を自らに課すことが要求される。西洋の知識人にそれが可能なのは、信仰に支えられているがゆえかもしれない。私のようにキリスト者でないものが、この立場を維持し続けようとすると精神的に参ってしまう。かといって、科学者を貫きたい私は現実から目を背ける上図の右側にだけは絶対行きたくない。となると、世の中を良くすることを諦める左下に堕ちるしかないのかもしれない。

拙著「学者の暴走」で、日本人は科学に向いていないと書いたが、その思いをさらに強くする今日この頃である。