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きれいずきではないが、美しいものが好きなフランス人

パリにいると、Cleanであること(清潔)と、Beautifulであること(美観)は全く別のことだったんだと気づかされます。

街を歩いていると、頻繁に犬の糞が歩道に落ちています。我が家はブローニュの森の入り口のアパートに住んでいたので、週末になると大量の犬の散歩の人たちが、近くを通るので、日曜日の午後は悲惨でした。早朝に水を撒く車が歩道を洗い流しているので、翌日は大丈夫なのですが。

ある昼頃、パリの17区(結構まちなか、凱旋門の近くです)の道を歩いていたら、道端に路駐しているミニクーパーの運転席に、おしゃれな女の人が座って、サンドイッチを食べていました。美しいパリの街並み、ミニクーパーの美しいフォルム、おしゃれな女性とサンドイッチ、という光景で、「ああさすがにパリだなあ」と思わされる、一瞬見とれたりしていました。彼女が食べ終えると車のドアが開いて、飲み終わった飲料のペットボトルをサンドイッチの袋に入れたごみをドアから地面にそっと捨てました。ごみは道路と歩道の間のところにおちました。そのあとすぐに女性はシートベルトをして、颯爽と走り去って行きました。ごみはそのまま道端に。

日本人にとって、Clean(清潔)とBeautiful(美)はどちらも「きれい」で、深いところでは根っこが同じような感覚があります。「心がきれい」のきれいは、清潔で美しい感じがしますね。でもフランス人にとってはこの2つの概念は全く独立のもののよう。

フランス人は、動物に近いひとたちだなあと感じることがあって、それはつまり、本能に忠実ということで、食欲とか性欲とかを我慢しないで奔放に楽しむところに出ています。そういうかれらにとって清潔というのは病気にならなければいいくらいのものでたぶん人生を楽しむのにあまり重要ではない。だいたい人間は動物なんだから、みたいな。一方美しいものや美しいことは、人生を楽しむためには必要、そちらは貪欲に追及するということかなと解釈しています。


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