じんのひろあき短編戯曲集 『非常階段』

  そこは雑居ビルの非常階段。
  かなり高い場所。
  このビルに奴隷本舗があり、今この踊り場に出て来ているのが、その受付をやっている、熊谷陽子。
  彼女は這いずり回るようにして、コンタクトを探している。
  と、その隣にいるのは森山君。まみりんの旦那。
「森山君…気をつけてね…
 踏みつぶしたりしないでよ…
 コンタクトって高いんだから…
 ここだよ…絶対ここで落としたんだから…
 森山君がさ…
 こんなとこでやろうなんて言い出すからだよ…
 うん…
 まあ…
 スリルはあったけど…
 いや、だからいいってもんじゃないでしょ…
 ない? わかんないわよ…
 私コンタクトはずしたら、ほとんど見えないんだから…
 探してよ…
 森山君…
 大丈夫よ…
 こんな錆び付いた非常階段に誰が来るっていうのよ…「
  と、探すのをやめて…
「あ~あ、よりによって二個ともなくすなんてね…
 高いわよ…
 いいよ、弁償なんてしなくっても…
 じゃあさあ…
 弁償なんかしなくってもいいから、まみりんちゃんと別れてよ…」
  そう言われると、黙ってしまう森山。
  間。
「この沈黙はなに? 森山君…
 いいよ、そんなに真剣に考えなくっても…
 (辺りを示して)ここさあ…
 こんなにスチールデスクとかキャビネットの残骸とか置いてあるけど、いざって時大丈夫なのかな…
ね…
 非常階段の意味ないじゃない…
 こんな狭い階段じゃ、下に降りれないじゃない…」
  と、さっきの体位を再現してみる陽子。
「最初はこうだったでしょ…」
  これはキャビネットを背にした立位正常位。
「ここだと…(と、自分の目から、コンタクトが落ちるのを再現して)この辺でしょ…
 (捜して)ないよね…
 んで、こうなって…
 (同じくコンタクトが落ちるのを再現する)この辺も見たよね…」
  これはスチールデスクに手をついた後背位。
「で最後はこっち…」
  と、同じように再現する。
  最後は、森山君がスチールデスクに腰をもたれ掛けての立位女性上位。
「そうだよ…
 これで終わりじゃない…
 そうだよ…
 覚えてないの?
 森山君…森山君…
 ねえ…なんで覚えてないの?
 私としてる時、なに考えてる?
 他の女の子のこと考えてるんじゃないでしょうね…
 それはないとは思うけど…
 浮気してて、その最中に女房の事考える人っていないよね…いるかな…
 私はなにも考えてなんかいないよ…
 考える前にやってるだけだよ…
 高いよね…
 五階っていっても…けっこう
(と、下を覗き込み)なんかこういう高いとこにいると、私昔っから、下に唾吐来たくなるのよね…」
  と、そのスチールデスクの間に小鳥の巣を見つけた。
「ああ…
 これ…
 ほら…
 小鳥の巣だ…
 その机の間…
 ほら…
 森山君…
 触っちゃだめだよ…
 雛なんだから…
 かわいいよね…
 ねえ…
 この柵錆びてるよ…
 (と、蹴飛ばす)ボロボロ落ちていくもの…
 …ほら…
 向こうのビルまでこんな幅しかないよ…
 このビルも違法建築だよね…こんな…こんなだよ…
 飛べるかな…
 飛んでみようかな…
 大丈夫だよ…
 森山君…
 すごい怖がりなんだね…
 まあ、そこが可愛いけど…
 飛べるよ…私飛んじゃおうかな…
 え?
 なになに?
 向こうのビルに猫がいる?
 わかんないよ…
 私コンタクトはずすと、ほとんど見えないんだもの…
 猫がなにしてるの? こんなとこで…
 なんでうろうろしてるのかな…
 この小鳥の雛を狙ってるんじゃないのかな…
 でも、ここから落ちたら死ぬよね…
 万が一にも助からないよね…
 わたし死んじゃおうかな…死ねるよね、確実に…ここだったら…
 森山君…
 森山君…
 もういいよ、本当にコンタクトは…
 しょうがないよ…」
  と、森山君を手招きして。
「森山君…
 森山君…死なない?
 一緒に…死んで一緒になろうよ…
 どうして…
 どうして、まみりんとは結婚出来て、私とは死ねないの?
 同じよ…
 どこが違うのよ…
 ねえ…
 死のうよ…ねえねえ…
 死のうよ…
 一緒に死のうよ…
 死のうよ森山君…
 死んでさ…
 一緒になろうよ…
 もうそれしかないよ…
 この世で一緒になれないんだったら、あの世で一緒になろうよ…
 ねえ…
 ねえねえってば…(と、突如として凛とした声で)森山君…
 逃げるの!
 森山君! 逃げないでよね…置いてきぼりにしないでよ…
 もうそういうのは沢山よ…逃げないわよね…
 こんな…
 こんな目の見えない私をひとり残して…」
  と、森山が仕方なく帰って来たよう…
「…ごめん…
 今、森山君を試してみたの…
 森山君に…
 まだ良心のかけらが残っているのね…
 ちょっと安心したよ…
 猫、まだうろうろしてるの?
(さっきの話を思い出したように)でもきっと、私がここからひとりで飛び降りて…
(と、下を覗き込んで)あの地面に叩きつけられてさ…
(顔や体が)ぐしゃぐしゃになって、死んじゃってさあ…
 それで、こんなビルの谷間なんか誰も来ないから、発見が何日も遅れちゃって…
 腐っていくんだろうな…
 ひとり、寂しく…
 それでも、森山君とまみりんの幸せな家庭の食卓には、毎晩、温かい御飯が並ぶんでしょうね…
 猫…
 こっち、見てるの?
(はっと、気づいたように)狙ってるのよ…
 きっと、この小鳥の巣を…
 雛鳥の巣を…(と、雛鳥の巣を見て)可愛いね…
 この雛鳥…
 この巣が森山君ちで、あの猫が私なんだよね…
 この例え、妙にリアルじゃない?
 森山君…雛鳥が気になる?
 平和な家庭が気になる?
 私の心、今、いけないとわかっていても、こっそりあの猫を応援してるもの…
 え?
 うそ?
 森山君…
 こっち…こっちにそっと足の裏見せて…」
  と、森山君の足の裏を覗き込む陽子。
「あった…あった、私のコンタクト…」
  と、森山君の足の裏から、コンタクトを摘む。
「あった…
 私のコンタクト…
 森山君に踏みにじられてた…
(ものすごく落ち込んでいるのに、明るくふるまうように)いいよ…
 いいよ…
 洗って使うから…
 いいの、森山君が踏んだんだもの…
 大丈夫、目に入れても痛くないっていうじゃない…
 もう一個…ない?
 (一個見つかった所を示して)その辺かな…」
  と、全然関係のない、スチールデスクの辺りを見て。
「このスチールデスクに落書きしようよ、森山君…
 十円玉で…
 アイアイ傘とかさあ…
 森山陽子って書いちゃったりして…
 でも、会社の人達もここに来たりすると、見られちゃう可能性もあるよね…
 まずいな…
 私達の事知ってるのは、金井さんしかいないもの…
 金井さんは知ってるよ…
 私、『同じ火遊びしても、火傷するのは女の方なんだからね』って、給湯室で言われたもの…
 森山参上!
 って書いとくね…」
  と、十円玉で書きはじめる。
「他に?
 明るい話?
 そうね…
 別にないけど…
 こうしてる間にも、宇宙は膨張してるって…
 森山君…
 なにか私に言いたい事あるの?
 あ!
 コンタクト、みっけ!
 あった…
 あった、森山君…
 ここに落ちてた…
 あれ? 二個ある…
 さっきの…
 あ…
 これ違うわ…
 コンタクトじゃないや…
 よかった、森山君…わたしこんなガラスの破片、目に入れる所だったよ…」
  と、スチールデスクの後背位の姿勢をもう一度とって。
「ああ…わかった、この時だ…」
  と、コンタクトが落ちるのを再現する。
「森山君…
 私の事、うっとうしい女だと思ってるでしょ…
 うっとうしい女だと思っててもいいからさ…
 忘れたりしないでね…
 うん…
 まみりんとしてる時に思い出してくれると嬉しいよ…」
  暗転。


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