じんのひろあき短編戯曲集 『135』

  コンビニの控え室。
  だらっとパイプ椅子に貴理子がいる。
  やってくる拓弥。
  慌てて姿勢を正す貴理子。
  めんどくさそうに同じくパイプ椅子に座る。
拓弥「なに、話って…」
貴理子「えっと、えっとですね」
拓弥「辞めたいとかいうんじゃないだろうねえ」
貴理子「え?」
拓弥「バイト、辞めたいとかそういうんじゃないんだろうね」
貴理子「え…っと、当たりです」
拓弥「(うんざりする)おまえもかよ」
貴理子「すいません」
拓弥「ええ…またぁ…」
貴理子「すいませーん」
拓弥「理由は? なに? まあ、聞いたってそれでどうにか、なるもんでもないんでしょう? 辞める意志は固いわけでしょう」
貴理子「すいません…」
拓弥「理由は…まあ、聞くけどさあ」
貴理子「理由は…嫌になっちゃったっていうか」
拓弥「嫌になっちゃったっていうか、で、辞められたらさあ、こっちもねぇ」
貴理子「嫌になっちゃった…んですよ、すいません」
拓弥「仕事が?」
貴理子「バイトが…バイトとか、したくないんですよ」
拓弥「え? え? どういうこと?」
貴理子「だから、バイトするのが嫌になったんです。もう、なんつーか働きたくないんですよ」
拓弥「なに言ってんの?」
貴理子「嫌なんですよ、バイト」
拓弥「そりゃ、そうかもしれないけどさあ」
貴理子「拓ちゃんさんは、嫌になりません?」
拓弥「嫌に…って」
貴理子「私、もうダメなんです…」
拓弥「バイトが?」
貴理子「働くこととか」
拓弥「え? どうすんの? そんな…」
貴理子「どうしましょうかね…いや、もう働くのが…ダメなんですよ」
拓弥「ダメって…」
貴理子「働きたくないんです」
拓弥「働かないと食えないだろう」
貴理子「もう…ねえ…いいでしょう、私は充分がんばりましたよ」
拓弥「なんだよ、それ」
貴理子「ね、がんばったですよね、がんばりましたよねえ」
拓弥「いや…あ、あのねえ」
貴理子「がんばったと思うんですよ」
拓弥「いや…んとねえ、なにから話そうかね」
貴理子「なにからでも」
拓弥「うん」
貴理子「どっからでも」
拓弥「うん…そうだね…んとねえ…きりちゃんががんばったかどうかってところね、まず」
貴理子「はい」
拓弥「がんばったかどうか…も、こっちとしては、わからないくらい、あっと言う間に、辞めちゃうとか言い出したって感じなのよ、正直ね…正直なところよ」
貴理子「はい…」
拓弥「もうさあ、辞めちゃうんでしょ」
貴理子「すいません」
拓弥「もう、僕がここでなに言っても辞めちゃうわけだからさあ…もうここにいる一人のね、二十八歳のいちフリーターが言っていることだと思ってきいてもらいたいんだけどさあ」
貴理子「はい」
拓弥「どうなのよ、それは…」
貴理子「はい?」
拓弥「もう働きたくないって…僕はね、このバイトを十八からやってるからもう十年ね、ずっとこつこつやってきて、僕がこの店に入ってきてさ、この前数えたら、僕の後から入ってきて、僕よりも先に辞めていったバイトは百三十四人なのね」
貴理子「……はい」
拓弥「多いよね、百三十四人っていうのはさあ」
貴理子「どうやって数えたんですか? それ」
拓弥「指折り数えたんだけどね…でも、そんなに大勢の人の中で、誰一人、もう働きたくないって辞めていった人はいませんよ、ああ、いませんでしたとも」
貴理子「私、思うんですよ」
拓弥「はい」
貴理子「人はなんで働かなければならないのか? って」
拓弥「なんで? (まじめな顔でテツトモして)なんでだろう?」
貴理子「まじめに聞いてください」
拓弥「大まじめだよ…内心焦ってるくらいだよ」
貴理子「焦ってる? なにに?」
拓弥「あんたに、だよ。あんたの存在にだよ」
貴理子「私? 私はただ辞めていくだけですから」
拓弥「人生最大、最強の敵だね…こんなところでボスキャラかよ」
貴理子「すいません」
拓弥「いや、もうそんな、謝まんなくていいよ。ボスキャラが謝るなよ」
貴理子「あ…いや、そんなにおだてられても」
拓弥「おだててもいないよ」
貴理子「あ…そうですか…」
拓弥「働くのが嫌」
貴理子「ええ…」
拓弥「それはさあ…みんな嫌なんじゃないの?」
貴理子「そうなんですかね」
拓弥「そうなんじゃないの、ホントのところろは」
貴理子「だったら、なんでみんな辞めないんですか? なんで、みんな黙って働いてるんですかね」
拓弥「ねえ…」
貴理子「だって嫌なんでしょ」
拓弥「嫌だよ、嫌だけど…それを言っちゃあ、お終いでしょう」
貴理子「なんでお終いなんですか?」
拓弥「それ言っちゃっちゃったら、ダメでしょう」
貴理子「拓ちゃんさんだって本当はそう思ってるわけでしょう」
拓弥「う…うん?」
貴理子「私が言ってること、おかしいですか?」
拓弥「おかしい…」
貴理子「なんのために生まれてきたんですかねえ…働くためですか? 拓ちゃんさんは、ここでこうやってバイトするために命をさずかったんですか?」
拓弥「さずかった…」
貴理子「バイトするために命を…」
拓弥「いや…え? ええ? 俺、今、なんかダマされてる? おかしいよね、言ってること」
貴理子「おかしいですか? 私?」
拓弥「いや、おかしくないのよ…キリちゃんが言っていることはね…それはそうかもしれないと思うからこそ、おかしいの…」
貴理子「なに…が?」
拓弥「変でしょう」
貴理子「変ですか?」
拓弥「変でしょう」
貴理子「変ですかねえ」
拓弥「ん…」
貴理子「なんで生まれて来たら、バイトしなきゃなんないんですかね…働かなきゃなんないんですかね」
拓弥「(思いついた)それはあれじゃないの、ねえ…」
貴理子「え? なんですか?」
拓弥「働かないと死ぬからでしょう」
貴理子「ああ…それがねえ…」
拓弥「食えないでしょう…食えないと死ぬでしょう…死にたくないでしょう…」
貴理子「ああ…ねえ」
拓弥「死にたくはないでしょう」
貴理子「ん…」
拓弥「死に…たくは…ないでしょう?」
貴理子「ん…ねえ…」
拓弥「え? なに、そこから?」
貴理子「どうなんでしょう」
拓弥「それはどうよ…死にたくないから、生きる…死んでもかまわない…ってそれはおかしいでしょう」
貴理子「ん…」
拓弥「生きようよ…」
貴理子「まあ、言われなくても…」
拓弥「そうでしょ…そこは大丈夫ね…生きること、これは重要ね…人間やめちゃダメだね」
貴理子「バイトやめるのは…人間やめることなんですかね」
拓弥「生きる…ね。生きていたい…これはさ、キリちゃんも、こう、心に持っている、なんていうの、基本的な感情ね…生きていよう…ね」
貴理子「まあ…生きてますけど」
拓弥「生きるってことはさあ…」
貴理子「バイトすることですか?」
拓弥「いや…んと、そうなんだけど、そうじゃない…あれ」
貴理子「拓ちゃんさん…大丈夫ですか?」
拓弥「ん…おかしいなあ。またしても、おかしいぞ」
貴理子「おかしいですか?」
拓弥「さっき、いや、これだって思ったのはねえ」
貴理子「どれですか?」
拓弥「ん…」
貴理子「どこだったんですかねえ」
拓弥「ん……」
貴理子「私が言ったことですか?」
拓弥「ん…ちょっと、ちょっと黙っててもらえる?」
貴理子「生きようよ…」
拓弥「うん…生きようよ」
貴理子「それはイコールバイトすること」
拓弥「ちがう…」
貴理子「でも、拓ちゃんさんはさっきからそう言ってますよ」
拓弥「確かに」
貴理子「言ってますよね」
拓弥「言ってる」
貴理子「で…そうなんですか?」
拓弥「ちがうのよ…え? マジック!」
貴理子「どこが引っかかってるんでしょうねえ、拓ちゃんさんの」
拓弥「どこが引っかかってるって、引っかかってるところはね、最初からわかってるの」
貴理子「それは、どのへんが?」
拓弥「キリちゃんの存在だよ…あのね、働きたくないって正面切って言える人がここにいるってことね…ぐらぐらしてくるんだよね」
貴理子「ぐらぐら?」
拓弥「そう…不安になる…なぜかわかんないけど、ものすごく不安になってくる」
貴理子「すいません…」
拓弥「今まで信じていたものがさ…がらがらと音を立てて崩れていく気がするよ」
貴理子「すいません」
拓弥「あのさあ、キリちゃんカレシとかいないの?」
貴理子「いませんねえ」
拓弥「カレシとかいないから…」
貴理子「働かなきゃならない」
拓弥「ということを、職場でいうと立派なセクハラになるから、言ってはいけない…と」
貴理子「いたら働くかなあ…」
拓弥「いや、僕もね…彼女はいるけど、別に彼女のために働いているわけじゃないから」
貴理子「今、僕もねって言いませんでした? 僕もねって…あの、私はいないんですけど」
拓弥「うん、君にはいない、僕にはいる…それではない…そっちいっちゃダメだぞ拓ちゃん…そうねえ…例えば、いつからそういうふうに考えるようになったのかね、キリちゃんは、なんでそうなってしまったのかね」
貴理子「なんだろう…いつだったかなあ…」
拓弥「こりゃだめだって思ったのは」
貴理子「こりゃダメだ?…あ、あれかな?」
拓弥「なに?」
貴理子「タイムカードを押すじゃないですか…」
拓弥「来た時と帰る時にね」
貴理子「ガシャって音がするじゃないですか」
拓弥「うん……するよね」
貴理子「こうやって、タイムカード差し込むとガシャ! ガシャ! って」
拓弥「うん…来た時間をね、カードに押す音だからね」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ってね…あの音を聞く度に、ガシャ! って、私の中のなにかが壊れていくっていうか、砕けていくっていうか?」
拓弥「なにが? なにが壊れるの? なにが砕けるの?」
貴理子「なんでしょう…なにかですよ」
拓弥「なにが…壊れるの? なにが砕けるの?」
貴理子「なんだろう…私の中の大事だったもの…かな」
拓弥「それは…ちなみになんだったの?」
貴理子「いや、もう、壊れて、砕けちゃったからわかりませんけど…あの…わかりませんかねえ…こういう気持ち」
拓弥「うーん…わかりたいと思う気持ちと、わかりたくないっていう気持ちが半々だね」
貴理子「半々…は、なぜ?」
拓弥「わかっちゃうとさ、キリちゃんみたいに、働きたくないやって思っちゃうかもしれないじゃない、ね」
貴理子「いやいや、拓ちゃんさんはほら…私とちがうわけですから…」
拓弥「俺はね…ちょっとね、今、話聞いてて、揺らいじゃってるのね、なんかさ…」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ガシャ! ガシャ!…って」
拓弥「うん」
貴理子「なんで、あの音はあんな音なんですかねえ」
拓弥「タイムカードの音か…うん、言われてみれば、そうなんだよねえ」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ガシャ!…」
拓弥「うん…」
貴理子「なにかが壊れるような、砕かれるような、残酷な音ですよねえ」
拓弥「働くのが嫌になるよね」
貴理子「そうですよ、最初からそう言ってるじゃないですか」
拓弥「タイムカード…タイムカードねえ」
貴理子「もう、この音、聞きたくないなあって、そうだ、やめようって、そうだよって、なんで気づかなかったんだろうって、バイトって絶対やらなきゃなんないものじゃないって。やんなっちゃったぁ…って。やらないと私、死んじゃうわけでもないしって」
拓弥「いや、死んじゃうって…さっき話たじゃない…ね、食えないと死んじゃうって」
貴理子「バイト辞めてですね…死んじゃった人っています?」
拓弥「それは…どうなの?」
貴理子「よく聞くじゃないですか、交通事故で何万人死んだとか、今年は何万人が自殺したとか…でも、バイト辞めて何万人が死にましたとか、発表ないじゃないですか?」
拓弥「ないね…」
貴理子「あれは、なんでないんですか?」
拓弥「…いないからじゃないの?」
貴理子「いない? 私だけ? 私が最初」
拓弥「で、最後かもよ」
貴理子「ほんとですね」
拓弥「知らんけどね」
貴理子「いろいろお世話になりました」
拓弥「いいのかな、本当にそれでいいのかな」
貴理子「百三十五人目ですかね」
拓弥「え? あ、ああ、そうだよね」
貴理子「記録はどこまで伸びるんですかね」
拓弥「…嫌なこと言うねえ」
貴理子「増えていくんじゃないんですかねえ…私みたいな人」
拓弥「私みたいなどんな人?」
貴理子「気づいちゃう人」
拓弥「ああ…」
貴理子「なぜ? って…どうして? って…ガシャ! って音が…嫌だなあってガシャ! ガシャ! ガシャ! ガシャ! (小さな声になりながら、続けていく…やがて、聞こえなくなる)」
  間。
拓弥「…じゃあさあ…今日さあ」
貴理子「はい」
拓弥「タイムカード、押さずに帰りなよ」
貴理子「え? でも…」
拓弥「俺が…押しておくよ」
貴理子「いいんですか?」
拓弥「いいよ…」
貴理子「すいません」
拓弥「あの音はさ…」
貴理子「ええ…」
拓弥「嫌だよね…」
貴理子「ええ…」
拓弥「残酷な音だよねえ…」
貴理子「ええ…」
  暗転していく。

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