じんのひろあき短編戯曲集 『身代金』
鮫島の妻は長女で、その下に二人妹がいる。
この話は、その長女と次女の物語である。
場所はベビーホテルのある街道沿いの狭いビルの中。
「誘拐ねえ…考え過ぎじゃないの?
お父さんと雅人誘拐して、どうなるってもんでもないでしょう?
ボケて孫連れてどっかいってんじゃないの?
真剣に考えてるわよ…
人の親じゃないんだし…
ずっとアッコ姉さんに押しつけっ放しにしてたのも悪いと思ってるわよ…
でもしょうがないじゃない…
家(うち)来たって、毎晩毎晩十五、六人の赤ん坊が夜明けまでビイビイ泣いてる所でよ…
父さんが生きていけると思う?
うん…今はまだ…だいたい四時ぐらいから来始めて…
明け方まで預かるの…
まだ、いなくなって四日目なんでしょ?
四日ぐらい…(突っ込まれて)どこいってるかわかんないけどさあ…
もしも、もしもアッコ姉さんが言うように、誘拐されてるんだとしたら、身代金の要求があってもいいんじゃないの?
四日目でしょ?
もうあってもいい頃よね…
そん時はどうするのよ…
身代金よ、アッコ姉さんいま何の話してるかわかってる?
ちゃんと話についてきてね……
どうするのよ?
姉さん、わかってる?
身代金って、誘拐された家族で用意しなきゃなんないものなのよ…刑事ドラマだと、その辺端折っちゃうじゃない…
でもね、誰も助けてなんかくれなのよ…
どうするの、アッコ姉さん…
突然電話かかってきて、明日の朝までに…とか言われたら…
明日までに一億とかいわれたらどうすんの…
正直なとこ…アッコ姉さん…いくら出せる?
うん…五百万…
五百万? アッコ姉さんちの事情を知ってる人だったら、それが限界だってわかるけど…
鮫島家に金はないからね…
でも、五百万のために二人誘拐する? きょうび、五百万じゃ…五百万で出来る事っていったら…」
しばらく考えているが…
「何があるのかわからないけどさ…
そうでしょ、大した事は出来ないでしょ…
ねえ…ねえ…
そうでしょ…
そうでしょ…
自分が誘拐するとして、いくらだったら割が合うと思う?
二億くらい?
…三億?
そりゃ私だって、
二億と三億の間に一億あるなんてピンと来るわけないわよ…
じゃあ二億と三億は一緒?
違うわよ…
二億と三億は違うわよ…
明らかに違うでしょ…
二億と三億って…全然ピンと来ない…でもやっぱりそうよね…
それくらいの数字になっちゃうよね…そうでないと…誘拐なんてね…
アッコ姉さんちで出せるのが五百万で、犯人側が三億要求して来るとしたら…
残りの二億九千五百万って、どうするの?」
間。
「ある?
二億九千五百万…
私?
私はちょっと…ないな」
間。
「ああ…
あれ?
(慌てて)一億じゃないでしょ…八千万でしょ…
一億と八千万は一緒? 違うでしょ…
八千万は八千万よ…
あれ…
あれねえ…話そうと思ってたんだけどね…うん…うん…
水くさいよね…こんな言い方…
結論から言うとね…もうないのよ、あのお金…怒らない?
絶対?
いやいや…話す前に聞いておかないと…
私ね…台湾でレコードデビューするの…
やだな…演歌歌手に決まってるじゃない…
だから…その準備にいるのよ…お金が…プロモーションとかに…
でも絶対売れるって…今、台湾って、日本の演歌ブームなんだから…
すぐ元取っちゃうって…だから、ごめん…アッコ姉さん…今うちお金ないの…
リー・チェンさんっていうんだけど…
家に赤ん坊預けにに来る人の知り合いの知り合いで…向こうの段取り全部やってくれるって…
もうカラオケやめた…
やめた、やめた…私、只では歌わない事にしたの…
ちょっと、驚かそうと思ってたのよ…
アッコ姉さんとか和美とかさ…初回プレス十万枚だって…
嘘みたいでしょ…
こんな、外国人相手のベビーホテルなんかより絶対儲かるわよ…
外国人相手に始めたわけじゃないけどさ…
段々…日本人が減って行って…今じゃうちに来る赤ん坊って、日本の国籍持った子なんて一人もいないわよ…
いつの間にか、人種のるつぼになっちゃったわよ…私もさ…
バイリンギャルって言うんですか?
今なら六か国語ぐらい聞きわけられるわよ…六
畳にだいたい十五、六人くらい…
赤ん坊なんて、小さいんだから…一時期はその倍くらい入れてたもの…
(強く)リーチェンさんはいい人よ…日本語巧くってさ…
全然…見た目も…日本人と変んないの…いろいろ苦労した人なのよ…
おもしろいわよ、話し聞くと…
人生のね…節目ごとに、サブタイトルがついてるの…
疾風怒濤編とか、立身出世編とか…
そうなのよ…西城秀樹だって、向こうじゃスターなんだから…
デビュー曲?
…タイトルはね…『父の想い出』
偶然よ…偶然…
誘拐じゃないって…どうしてそんなに悪い方悪い方に考えるの?
うん…
うん…
考えてるわよ…
三億円用意しろって言って来て、アッコ姉さんが用意出来ない時は…
父さんと雅人どうなるの?
いや…殺しはしないと思うのよ…だって…
だってそうでしょ…殺したくて誘拐してるんじゃないんだから…
もしもよ…もしも殺されたら…
私のデビュー曲…意味が出て来ちゃうわね…
ごめんね姉さん…そうなのよ…私本当の事言うと、自分のレコードデビューの事しか頭にないのよ…
ごめんね…
本当に…
いいレコードにするから…
和美に相談した方がいいかもよ… あの子だって関係ないわけじゃないんだから…
早くから自活始めからって…
この前の正月も顔見せなかったし…
連絡?
してるよ…
でもね…
この前なんか二晩話し中よ…そう、そう…受話器はずれてたんじゃなくって…本当に…ずっとなんだって…いやなんか私も良くは知らないけど…へえ…電話でアンケートなんてあるんだ…
和美のバイトってそういうんじゃないみたいよ…なんかお話して
お金貰うとか言ってたもん…
結構良いって…
だってあの子また引っ越したんだってよ…
いやいや…近所、近所…
広いとこに…あ…電話番号一緒だから連絡しなかったんじゃないの? けっこういいって…緑色だからすぐわかるってよ…
なんかね…
あの子だけはうまくやってるって感じよね…
昔っから、おいしいとこだけ取ってって、良い目みてるって感じよね…
いいわよね末っ子は…ノンキで…
だって、私…歌うの好きなんだもの…
そりゃ、私が言ってる事はムチャクチャかもしれないけどね…
アッコ姉さん…ここをどこだと思ってるの…
そうよ東京よ…
でもアジアなんだから…」
暗転。
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