じんのひろあき短編戯曲集 『彼女の想い出』


  『さよならQ2』の電話から一週間。
  この話は同じ部屋が舞台である。
  『さよならQ2』の主人公の姿は家財道具と共にすでにない…
  そこに入って来る虎の子引っ越しセンターの人。
  この引っ越しは二人一組でやっていて、もうひとりは学生である武井君である。
「失礼しま~す、虎の子引っ越しセンターです…」
  と、部屋の中を見回すが誰もいない。
「誰もいませんが…(と、後ろにいる武井君に)一応挨拶はね…
 ワンルーム…
 じゃないか…
 そっちに台所あるんじゃないの?
 台所あるのって、ワンルームっていわないんだっけ?
 じゃ、なんていうの? ツールーム? うそだぁ…
 武井君…どうしようか…
 メシ?
 うん…食ってる暇ないんだよね…早い話が
 …うんざりだな…何でこんな日に限って、アルバイトが二人も休むんだよ…
 わりい…本当…準備しようか…武井君…」
  と、窓際に寄って外を眺めてみて。
「…総武線沿線だからね…
 この辺りだと、二階以上の建物がないからね…
 四階建でも見晴らしは良いんだよね…
 ああ…あそこ、あそこ…総武線が走ってる…」
  と、武井君が窓の外を示して何か言ったよう。
「ああ…本当だ、近所に小学校もある…
 文教地区ってか…
 ああ…
 やろうかね…
 終わらない仕事はないんだからね…
 でかい物から上げていくか、武井君…」
  と、台所を覗いたよう…
「あれ…
 あれれれ…
 武井君…
 これなに、これ…
 この冷蔵庫…
 俺達まだ冷蔵庫、車から降ろしてないよね…」
  と、武井君に確認するように。
「降ろしてないよね…
 ましてや、ここに運び込んだりはしてないよね…」
  武井君、うなずいた…
「じゃあ…ここにあるこの大きな冷蔵庫はなに?」
  黙っている武井君。
「なんだろうね…この冷蔵庫は…前の人が捨てていかなかったのかな…
 マズイよね…
 これはね…
 ちょっとね…
 外、出しちゃっていいのかな…
 ここ台所狭いから、外に出しちゃわなきゃまずいよな…これは…
 おっとっと…」
  と、冷蔵庫とそのドアを見比べて…
「なんでこのドアで、この冷蔵庫が入るんだよ…(武井君に)なあ…どう見たって無理だよな…いや、横にしてもさ…ね、同じでしょ…同じでしょ…うん、無理だよ…
  アキレて、もう笑いながら。
「これちょっと、どうやって入れたんだよ…
 台所はここしかドアないだろ?
 どうやってここ(台所)に入るんだよ…
 え、なに? 魔法の冷蔵庫? 武井君…今、冗談言ったの?
 いや、怒ってない、怒ってない…
 いるんだよ…ここから入れた奴が…
 この冷蔵庫を…
 武井君…
 これはね…素人の仕業じゃないよ…
 プロだよ…
 プロの手による俺たちへの挑戦だよ…
 この冷蔵庫は何も言わないけどね…この存在そのものが語ってるんだよ…参ったな…
 お手上げって…
 まだなにもしてないだろ、武井君…
 ちょっと考えてるんだよ…
 どうやら、うかつに手が出せる代物じゃないからさ…
 手を出しかねてるんだよ…うん…まあ、お手上げに近い状態ではあるね…
 武井君…
 もし、武井君が、今、俺の立場だったらどうする?」
  武井君、質問には答えず、台所の中に入って、冷蔵庫を開けたよう…
  こちらからは冷蔵庫の扉を開けても、中は見えないらしい。台所に入って、冷蔵庫の前に回り込み。
「なになになに?
 中なにが入ってる?
 女の死体?(と、中を見て)なんだ冗談か…
 武井君…そういうブラックな冗談好きなんだ…
 へえ…わかるよ…俺はそういう冗談もわかるけどね…
 でも友達なくすよ…中は空か…すっ空かんか…
 どうすんの武井君…
 やってみなくってもわかるよ…
 出ないでしょう…
 出ないって…
 出るわけないじゃないの…
 いや、出ない…出ない、出ない…
 いやあ…
 いやあ…
 武井君…結構、君、強情って言われない?
 いや、諦めたわけじゃないけど…
 やるやる、こっち持つの?
 うん…押すよ…なんか武井君にいつの間にか主導権握られちゃったな…」
  と、押し始める。かなり強く押し始める。
「う、ううううんんん…これ、一気にっていうのは無理だよ…
横にさ、ずらしながら行こうよ…いちにい…はい、いちに…いちに…いちに…ほら、こうすれば簡単だよ…動くじゃない…じりじりと…はい、いちにい、いちに…とりあえずはドアのところまでは行ける…か…あ! どうしたの、武井君…挟まった?」
  その通り…武井君の太腿が冷蔵庫とドアの間に挟まっている。
「武井君!
 …武井君
 …足、足、足…挟まってるよ
 …ここんとこ…痛い? 痛い? そんなに? 死ぬ、死ぬってそんな…
 武井君…アルバイトなんだから、なんの補償もないんだよ…
 こんなとこで死んだって犬死だよ…しっかり!」
  と、冷蔵庫をもう一度引き戻そうとする。
「う、ううううんんん…いちに、いちにって、かけ声だけかけても…
 駄目だ、ひとりじゃ動かないよ…
 さっきは武井君がそっちで引っ張っていたから、動いたんだよ…
 何てものを作るんだ…
 どこのメーカーだ…
 そんな事はどうでもいい…
 そうだよね…
 武井君も手伝ってよ…
 痛い?
 うん、痛いのはわかった…
 でも、ここで武井君が手伝ってくれなかったら、武井君、一生そのままだよ…
 その痛みを乗り越えて、さあ、いいかい? こっちに押して…せーの…」
  全然動かないよう…
「駄目じゃない!
 せーの…武井君、諦めちゃ駄目だ…その足は誰の足だ?
 誰の物でもない、君の足なんだよ…わかってるかい?
 いや、そうなんだけど…そうなんだけどね…
 うん、うん…
 どのみちこの冷蔵庫をのけないと、俺も外に出られないんだよね…
 うん…
 俺はまあ…会社から補償が多少なりともあるけどさ…
 でも、補償が出るからってここでいいってもんでもないでしょ…
 武井君…生きようよ…
 え?
 引いても駄目なら押してみて下さいって…
 そんな事したら、武井君の足、もげちゃうよ…いいの?
 冗談、冗談って…俺さあ…武井君が冗談言えなくなる時が見てみたいなさあ…」
  と、誰かが入ってきたよう…
「誰か来た?
 誰かって誰?」
  と、その入って来た男の話を冷蔵庫越しに聞いている。
「ええ…
 ええ、いえ…
 いえ、虎の子引っ越しセンターですから、前に住んでいた方がどこ行ったかまでは…
 じゃ、きっと、一足違いだったんですね…
 いや、いやいやいや…
 そこまでは…わかりません…
 ええ…すいませんが…
 そういう事なんで…はい…すいません…どうも…」
  男、去って行ったよう…
「田原俊彦みたいな髪型してた?
 トシちゃんか…タノキンの?
 あ、そう…もうトシちゃんの事タノキンって言わないんだ…」
  と、突如、気付いて!
「あ!
 すいませ~ん、さっきの方!」
  武井君に。
「もう行っちゃった?
 行っちゃった?」
  と、戻って来たよう。
「あ…
 すいませんどうも…
 あのですね…
 この冷蔵庫なんですが…
 どうも、その…
 この部屋に前住んでいた…ええ…お探しの彼女の物らしいんですよ…
 それでですね…
 だからというわけじゃないんですけど…
 そっちから押して貰えますか?
 すいません…人手がなくって…ほら、武井君からもお願いして…」
  と、さっきの位置に戻って。
「いいですか…ちょっとづついきますよ…はい、いっちにぃ、いちに、いちに…」
  と、さっきみたいに動き出す冷蔵庫。
「おお…やった…動いた…動いた…いちに…いちに…」
  そして、武井君のところに回り込んで(台所から出て)トシちゃんに。
「助かりました…
 武井君、大丈夫か?
 しっかりしろ!
 え?
 足が?
 折れたかもしんない?
 折れたの?
 足、折れたの?
 折れたかもしんない?
 折れたの?
 折れてないの?
 俺に聞かれてもわかんないよ…
 それ、武井君の足なんだから…
 武井君…足痛い?
 立って…立って、痛い方の足に体重かけてみたら?
 痛いでしょう…うん…やっぱり痛いか、痛いだろうな…
 ちょっと試してみたんだよ…
 だってほら、虫歯だって、自分で痛いのわかってて、こう、舌の先でつっついたりする
 じゃない…あれよ…あれ、あれと一緒…」
  この間に、トシちゃんが、台所に入って、ドアを開けたよう。
「中、空ですよ…」
  と、どうやらトシちゃんはじっとその冷蔵庫の中を見ているよう…
  やがて、これ持って行ってもいいですかと聞かれた。
「え…
 ええ…
 ええ…
 うちは全然…構いませんよ…
 持ってって下さい…
 ここからこの冷蔵庫出せるもんだったら…
 だって…彼女の想い出が詰まってるものでしょう…
 このままにしといたら…夢の島で埋もれてしまうだけですよ…
 なに、武井君、帰るって?
 だめだよ武井君帰っちゃ! たった二人のチームじゃないか…」
  と、トシちゃん、バラシて持っていきたいんですが、と、言った。
「え?
 解体して持って帰る?
 …解体…解体か…そうだよな…
 もう使わない物なんだから、解体したっていいんだよな…
 引っ越し稼業が長いと、そういう発想が出来なくなっちゃうんだよね…
 解体か?
 工具?
 簡単な工具なら工具はそこに…」
  と、武井君が足を引きずって帰っていこうとする。
  その前に回り込んで…
「ちょっと、待った!
 武井君!
 ここで武井君帰ったら、俺、ひとりでトラックいいっぱいの荷物上げなきゃなんないじゃない?
 冗談じゃないよ…ここ四階だよ…
 エレベーターもないんだよ…
 あのデカイTVと、洗濯機と、タンスと…
 一人で上げなきゃなんないんだよ…
 これさあ、二人でやればさ…」
  武井君は断固帰ると言っているよう…
「いや…
 いや…
 いや、いや、いや…
 武井君…君、強情だよ…
 だいたいね…アルバイトっていうのはね…
 補償はないよ…
 でも義務はあるんだ…
 辛い立場なんだよ…
 ああ…なんでこんな日に限ってアルバイトがふたりも休むんだよ…
 帰さない…
 武井君…帰さないよ…
 俺は…どうしたって…君を帰すわけにはいかないんだ…
 逃げる?
 なになに…十数える間に逃げて…そのまま捕まらなかったら…
 (興味を持った)今日は帰ってもいいよ…
 よし…それでいこうよ…武井君、その足でどこまで逃げられると思ってるんだ…
 おもしれえじゃねえか…ここは四階なんだからな…
 エレベーターはないから…階段で降りるんだぞ…
 どうした…痛いのか…ちゃんと立てないみたいだな…
 じゃあ行くぞ…い~ち! に~い…さ~ん……」
  武井君が必死になって逃げ出したよう…
「よ~ん…ご~う…」
  と、トシちゃんが、台所から出てきた。
「あれ?
 もうお帰りですか?
 解体するんだったら、全部解体していって下さいよ…
 そんなフリーザーのドアだけなんて…
 全部持ってちゃって下さいよ…
 水くさいな…よくない、よくない…
 彼女の思い出が詰まった冷蔵庫ですよ…」
  間。
「いや…責めてるわけじゃないんですけど…」
  トシちゃん…感極まって、走り去る。
「あの…(独り言)なに泣いてんだよ…」
  と、我に返って…
「ああ…俺、今いくつまで数えたっけ? 五? 五か? しまった武井君に逃げられる!(すごい早口で)六、七、八、九、十!」
  と、部屋から出ていこうとする。
  が、武井君がひょっこり顔を出した。
「武井君、なに?
 逃げたんじゃないの?
 え? 
 冗談、冗談? 
 そうだね…終わらない仕事はないからね…重い物から上げていこうか…」
 このやり場のない怒り…
 武井君が帰ってきて嬉しいが…
 どうにもおさまらない感じでプルプルしているが、やがて…
「武井君…
 武井君…メシにしない?」
  暗転。


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