じんのひろあき短編戯曲集 『渇いた宇宙』


  性病科の待合室に、ハンカチを振りながら入って来る男。
「当たりだよ…当たっちゃったよ…」
  と、その病院の待合室のベンチに腰をかける。
「淋病だって…」
  間。
「参ったな…だって…淋病なんて、俺もうこの世から絶滅してるものだと思ってたよ…
 (小声で)性病だよ…
 なんで俺だけこうなっちゃうの?
 次、芳秀だよ…」
  と、その芳秀が診察室に入っていくのを促す。
「(芳秀に)怖くない、怖くない…
(優しく)行って来い…当たる時は当たるんだよ…
(みんなに)そうそう…看護婦さん、すごい美人だったよな…
 こんなとこであんな美人の看護婦さんに会えるなんてな…
 嬉しいやら、悲しいやら…
 これで、芳秀もただの膀胱炎だったら、俺、立場ないよな…
 俺ひとり、淋病かよ…
 バンドのメンバー六人いて、ひとりの女みんなで抱いて…
 それで俺だけ淋病になっちゃうわけ?
 みんなで来れば怖くないなんて言うんじゃなかったよ…
 エイズじゃなくってよかったって問題じゃないだろ!
 そういう問題じゃないだろ…
 本当にそうか? エイズになればいい曲かけるか?
 ああ…フレディマーキュリーな…
 でもみんな淋病がどういう病気かなんて、全然知らなかったものな…いるよな
 …いるいる…世の中にいっぱいいるぜ、きっと…
 自分が淋病になったって気づかない奴。
 (強く)いるよ…だっておまえらだって、膀胱炎と淋病の区別、つかなかったじゃないかよ…
 ああ…そうだよ…
 おまえらは膀胱炎と淋病の区別がつかなかったけど、俺は淋病と膀胱炎の区別がつかなかったよ…
 しかし、参ったな…治るって…すぐに…抗生物質飲んでればいいんだってよ…
 でもな…(股間を示して)こっちは治ってもな…治らないものってあるよな…
 俺…もしかしたら、バンドのメンバーとの間に埋められない溝ができちゃったかもしんないよ…
 みんなと…音楽が、この傷を癒してくれるかな…
 
 え?
 淋病エイドギグ?
 健一君を励まそう…
 そんなもんで励まされるわけないだろ!
 …全然励まされないよ…
 どうせ『淋病』って大っきく書いたタレ幕演奏中に俺の後ろに垂らすんだろ?
 俺どんな顔してステージに立つんだよ…
 その下で俺がポツンとひとりで歌うんだぜ…
 (泣きそう)そういう冗談やめてくんない?
 ちくしょう…俺そこですんごいバラード歌ってやろうかな…
 その気になんかなってないよ…
 じゃ、おまえらだって、膀胱炎エイドやれよ…」
  と、みんなの目が冷たくなった。
「いや…冗談だけどさ…頼むよ…黙っててくれよ…
 しかし、膀胱炎五人で、淋病ひとりかよ…
 せめてこの数字が逆だったらな…」
  『どういう事だよ』とバンドのメンバーが言った。
「淋病持ちがさ…過半数を占めるバンドだよ…
 だからなんだって言われると…困るんだけどね…
 たまたま当ったんだよな…俺に…六分の一の確率で…
 和美ってロシアンルーレットみたいな女だよな…
 …ちきしょう…あの大停電の日だよ…
 参ったな…しかし…あの時、停電にさえならなきゃな…
 こんな事にはならなかったのに…
 夕方来たんだよ…
 なんかさ、大事なペットがいなくなったんだって…
 それで少し慰めてさ…シメシメって思ったんだけどな…あの時は…
 終わってさあ…
 それでもまだ電気が復旧しないから…
 窓開けてみたんだよ…
 街中が真っ暗でさ…そうそうそう…ゴーストタウンみたいだったよ…
 でも、空がさ…綺麗だったよな…
 あれ…
 信じらんないよ…
 夏休みにさ…よく行くじゃない…
 林間学校とか…ああいうとこで見るような、すごい星空なんだよ…
 綺麗なんだよ…何かさあ…何て言ったらいいのかな…
 味の素こぼしたみたいな空なんだよ…
 悪かったな…表現力が乏しくて…
 いいだろ…どうせ俺は当たりだよ…
 綺麗だったんだよ…その空を二人で見たんだよ…おお…味の素の空をだよ…
 あんなにパキッとした夜空なんて…もうここじゃ見れないだろうな…
 渇いた宇宙っていうか…
 あんなに綺麗な空を見上げて…
 あの娘が『私一生忘れない』とか言っておきながら…
 そうだよ…俺もお陰で一生忘れられそうにないよ…
 うん…
 朝、帰ってったけど…
 タクシー捕まえるとかいって…
 え?
 芳秀も停電の夜って言ってた?
 ちょっと待てよ…
 ちょっと待てよ…
 証言が食い違わないか?
 柿崎が一番最初だろ?
 うん…それで…誰かが嘘をついてるんじゃないか?
 やってないわけないだろ…あいつが言い出したんじゃないかよ…
 おしっこするとちょっと痛いって…そしたらみんな俺も俺もって…
 おいおい…こういう事態になって、どうして見栄を張る?
 和美のとこに行ってどうするんだよ…
 そりゃ染されたのは間違いないけどな…
 悪かったな…
 ここんとこ貞操守って生きて来たよ…
 山下? あいつとはやってないだろ…本当に?
 信用出来ねえな…
 信じて下さいよと言っておきながら、信じてくれないと言っちゃいますよって言うのは、どういう事だ…
 え?
 神様…
 どうか…どうか僕をひとりにしないで下さい…
 あいつにも、淋病を染してやって下さい…
 おい…
 おいおまえも一緒に祈ってくれよ…
 どの神様でもいいよ…
 俺を独りぼっちにしない神様だよ…
 バンドが分裂しちゃうかもしれない…
 募集出すかな…
 ほら、昔あったの知らない?
 おらは死んじまっただ~おらは死んじまっただ~天国行っただ~天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ネ~チャンは綺麗だ…
あんな感じの曲にしようかな…
 だよな…
 めったにない経験だよな…
 歌にしてもいいよな…
 うん…
 うん…
 そうそう…
 淋病なっちまっただ~淋病になっちまっただ~性病科行っただ~性病科よいとこ一度はおいで、メンバー逃げるし、看護婦は綺麗だ…
 どうするこの曲売れちゃったら…
 一躍有名になっちゃったら…
 いや…今の世の中なにが当たるかわかんないぞ!
 まあな…こんな曲で紅白には出たくないよな…
 とっても悲しい…
 バンドの名前?
 うん…なになに?
 考えてくれるの? りんびょーず
 やっぱりバカにしてるだろ…
 本当は俺が一番かわいそうなんだぞ…
 りんびょーず?
 まじ?
 ヤダ!
 絶対ヤダ!
 そんなの!
 新しいバンドの名前、自分で考えるよ…」
  と、その場で考えて。
「『渇いた宇宙』にしようかな…」
  暗転。


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