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『友だち幻想』 〜共同より共存〜

お久しぶりです。新型コロナの影響で現在暇なためたくさん本を読んでいるので、アウトプットも兼ねてここで要約と感想を書いていこうと思います。

『友だち幻想』著:菅野 仁

この本は、特に中高生を取り上げ、日本人特有の〈つながり〉へ疑問を投げかけた本です。自分を含めてみんな一度は「友達ってなんだろう」「ぼっちは寂しいから嫌だな」とか考えたことがあるんじゃないでしょうか。自分もよく考えます笑

そういう経験がある人は一度この本を手に取ってみてもいいかもしれません。

第1章 人はひとりでは生きられない?

昔の日本社会には「ムラ社会」という独特の文化が存在しました。ムラ社会では人々が当たり前のように強い結びつきを持っていて互いに助け合って生きていました。そのような結びつきがないと生きていくのが難しかったため、裏切りを犯すと「村八分」といった厳しい罰も存在したくらいです。

しかし「貨幣」という概念が生まれてからは極論「お金さえあれば人とのつながりなどなくても生きていくことができる」社会に変化し、その流れは現在まで続いています。

では、人はひとりで生きていけると言えるのでしょうか。筆者曰く

「ひとりでも生きていくことができてしまう社会だから、人と繋がることが昔よりも複雑で難しいのは当たり前だし、人とのつながりが本当の意味で大切になってきている」

というのです。人とのつながりとは損得の問題ではなく、もっと深く根ざしたものだと。

また、現代の人々は人と繋がろうとするときにムラ社会の時のように、ある種の共同体のようなつながり方を求めてしまいがちだと考えています。社会の変化に伴って、価値観や生き方が多様化した現代にはそのようなつながり方はあっていないのではないでしょうか。ではどのようなつながり方がいいのでしょうか。

第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす

「つながり」というのは大きく分けて

①利害関係など特定の目的を持った「つながり」

②つながりそのものを目的とした「つながり」

の二つがあると言われています。これらは日常生活のつながりにおいて混ざっていることが多いですが、人間関係の本質を考える際には区別しておくべきでしょう。

それでは人々は「つながる」ことで何を求めているんでしょうか。それは「幸せ(幸福)」になることだといいます。

誰でも「この学校に行きたい」とか、「こういう仕事につきたい」ということや将来の夢を考えたり友だちと話したことがあるっと思います。それらは結局「私はどうやったら幸せになれるんだろう」ということを具体的な形で表現しているということなのです。

そして幸福になるためには

①自己充実:天職のように自身の能力を最大限に発揮してやありたいことができること

②「他者」との交流:自分以外の人々とつながりを持ちそのこと自体やその人たちからの承認により幸福感を得ること

二つの契機(モメント)があると言われています。ここで注意しておきたいのは、他者というのは脅威としても生の源泉としても作用するということです。そして人はこの他者の二重性によって苦しめられるのです。

第3章 共同性の幻想ーなぜ友達のことで悩みは尽きないのか

例えばみなさんは友達といるときに他の人の悪口を言ったり、メールのやり取りの際に「早く返信しなきゃ」と考えたことがあると思います。これらはどちらも他者との「つながり」が切れることを恐れているために起こる現象です。友達の悪口を言うことでつながりを保たないと、いつ自分が仲間外れにされるかわからない、メールを返すのが遅いことで付き合いが悪いと思われるのが怖いなどと考えることもあるでしょう。

これら”不安の相互性”によって保たれた共同性をネオ共同性と総称することとします。これに対し日本の伝統的社会は生命維持の相互性を根拠に共同性をつくり上げていました。今と昔では共同性の根拠が大きく異なるのです。

また現代社会においては、貨幣を媒体として共同性が抽象的に世界にまで拡散された状態であり、その基盤のもとで人々はそれぞれの個性を持って生きています。この社会でネオ共同性のように具体的な共同性を求めようとするのはムラ社会の精神の名残であり日本特有のものです。

日本の義務教育においては「一年生になったら」という曲が象徴しているように仲間外れにすることを悪とし、一つの共同体でいることを目標としますが、価値観や付き合い方の多様化した世の中ではそれが逆に子供達への重圧となってしまっているのではないでしょうか。

むしろ、他者は自分とは違うということを前提に、正しい距離感を知ったり、ときには「やり過ごす」ことなど、「合わない人との付き合い方」を覚えることで、共同性よりも並存性を大切にする方が今の世の中にあっているというのです。

第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

では並存性を保つためには何が必要なのでしょうか。ここで今後の説明の準備として「ルール関係」と「フィーリング関係」という二つの概念を紹介したいと思います。

ルール関係とは、複数人の集団が学校の規則のように一定のルールのもとに成り立つ関係のことです。

それに対しフィーリング関係とは「みんなで仲良くいよう」といったフィーリングの共有により成り立つ関係のことを言います。

ルール関係という言葉を聞くと自由がなくなってしまうという印象を受ける人もいるかと思いますが、実はむしろ、複数人の集団において全員の自由というのは最低限のルールの元でしか成立しないものなのです。この認識がみんなにかけているため、この関係性が疎かにされてしまっている側面があります。

しかし会社の組織などをイメージしてもらえるとわかりやすいと思いますが、ルール関係だけだと雰囲気がギスギスしてしまいますよね。だからある程度のフィーリング関係も必要になるのです。

第5章 熱心さゆえの教育幻想

少し脱線して、ここでは学校の先生の役割について書かれています。よく学校の先生を目指す人の中には、「素晴らしい恩師と出会ったことで教師の道を志しました。将来は自分もそんな先生になりたい。」という人がいます。しかしこれは必ずしも良いとは言えないのです。

というのも、誰もの記憶に残るような立派な先生を目指し、「話せば理解してもらえる」と思い込み必死に自分のことを理解してもらおうと生徒に干渉しすぎてしまうと、学校の先生が本来守るべき「学校の最低限のルールを維持・管理する」という本来の目標を見失ってしまうことになるからです。

生徒との適切な距離感を保ち、まず達成すべき目標を見失わないことが第一です。でなければ学校の秩序は保たれず、いじめなどが横行する「凶悪な」学校となってしまったり、過干渉してくる最低の先生という印象を残してしまいかねないのです。

第6章 家族との関係と、大人になること

今度は家族という関係に目を向けてみましょう。

自分が親になった時には、子供というのは、生まれた時には親の保護の下でないと生きていけないほど弱々しいけれども、成長するに従って他者性を身につけていき親から自立してゆく特殊な存在であることを常に意識しておかなければなりません。

反抗期というのはこの過渡期であり、こどもはませたことを言うようになりもう親の助けなどいらないかのように振舞いますが、実際はまだ弱々しく親のケアを必要としています。こどもが葛藤しているこの時に親は、子供の表面的な言葉に騙されずに、こどもがどの程度成熟しているかを見極めながら継続して支えていく必要があります。親の支えなしでは順調に成熟し大人になってゆくことは難しいのです。

また時には「上には上がいる」といった挫折のよううな人生の苦味も適度に教えていくことが大事になります。そのような経験を経て、うまく苦味を受け流し新たな人生のうま味を見つけていく糧としていくことを覚えていかないと、大人になってから大きな挫折に苦しめ続けられるといったことになりかねないのです。

第7章 「傷つきやすい私」と友だち幻想

これまでの話に戻ります。

まず私たちは、自分たちが「人と繋がりたい私」と「傷つくのが嫌だと言う私」の、一見矛盾する二面性を持っていることを認識することが大切です。このような二面性を持った上で人と繋がるには、信頼できる「他者」を見つけることが必要になります。

ここでみなさんが理解しておかなければならないことは、自分を100%理解してくれる人など存在しないと言うことです。そんな人がもしいるとすれば、それはもう他者ではありませんよね。そのような幻想は特に恋人に対して抱きがちです。

「きっと自分のことを100%理解して受け入れてくれる人がいるはずだ」と思い込んで恋人や友達に関わっていくと、必ず自分を理解してくれないタイミングが訪れ絶望してしまいます。

なので、「100%理解してくれる他者なんて、そもそもいないんだ。」と言う考え方を前提に信頼できる人を探していくことで初めて、いい人間関係が築けるようになるのです。

第8章 言葉によって自分を作り変える

また、現代社会において人と関わりを持とうとした時に、特に若者に生じる難しさと言うのがあります。それは「現代語」の浸透による「表現力」の欠如です。

今の時代の若者の多くは「ムカつく」「やばい」「チョー〇〇」といった言葉を頻繁に使います。しかしこのような言葉遣いは曖昧な表現であり、意味がその場の雰囲気に大きく依存するものです。これでは他者と深い交流をすることができません。もちろん、このような現代語を使うことで交流は「楽(らく)」になるかもしれません。しかし、表面だけの交流では、深い交流の中に生まれる「楽しさ」を知ることはできません。

では、若者を含め人々はどのように語彙力を高めていけばいいのでしょうか。それは読書だと筆者は言います。読書をすることで自分のこれまで知らなかった表現や考え方を知ることができ、さらに昔の人々とも本を通じて ”対話”することができるのです。

読書や人との交流において、時には苦しいことがあったとしても、その先にこそ本当のいい経験が待っているのではないでしょうか。

この本を読んでみて

現在私は20歳ですが、友達関係にはすでにたくさん悩んできました。その中で、自分に合わない人がいるのは仕方がないと捉えて一定の距離を置くことで争いを避けてきました。私自身はこの考え方を一種の「諦念」のように捉えていて、あまり良くない考え方だと思ってきていました。しかしこの本の中でそのような考え方が支持されていたことで、なんだか救われた気分になりました(大袈裟かもしれないけれど笑)。他にも同世代で、友達関係に重おい悩んできた人は多くいると思います。そういった人はぜひ自身でもこの本を手にとって一度読んでみてください。

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