疲れvs俺
疲れている。冗談でも何でもなく私は生まれてこのかた疲れているのだが…。
「まだ若いから大丈夫よ、歳を取ったらね…」と私の疲れがまだ“本気”でないことを教えて下さる先輩方もたくさんいるのだろうが、思えば私は今よりはるかにピチピチフレッシュメンだったころから永遠に疲れている。小学校の鬼ごっこで、走るのが面倒なあまり自ら派手に転び負傷することにより遊びから緊急離脱することを選んだくらい、元気がないのである。昔から未来は今よりももっと疲れるだろうとは思っていたが、想定通り中学も高校も大学もそれからずっと疲れている。
人生のエネルギッシュ割合で言えばトップクラスに位置するであろう大学時代を疲れるという理由で1年次夏の時点でサークルからフェードアウトしたし…。
疲れは人それぞれの中にそれぞれ独立して存在し、人が互いの気持ちを永遠に真に分かち合うことが難しいように疲れを真に分かり合うことは難しい。
世の中のもっと日々頑張って、家事や仕事や立場様々なものに取り囲まれ暮らしている方々にとっては噴飯ものであろうが…私は…疲れている…。
なんでこんなに疲れてんだろうなあ。寝てないからか?それとも愉快なお客様たちとエキサイティングなお付き合いをさせて頂いているからか…毎日高速を運転して通勤してるからか(なんでこんなことに?)…原稿の締め切りがやばいことを無視して、無視していることを己で自覚しながら暮らしているからか…人と会っていないからか…(人とはオタクのことです)…貯金が5億ないからか…家から一歩も出ていないからか…毎日スーツか寝間着しか着ていないからか…太っているからか…けいどろが劇場版にまだならないからか…
理由はいろいろあるだろうが、ずっと疲れているからには…シレンの白紙の巻物のように…魂に「おつかれ」の文字を受けているんだろうな…。
それにしてもインターネットの世界に置いては精神は文字に託されるために元気がカスほどもなかったとしても「元気ブリバリな精神」を演出できるので本当に最高だ。私はビックリマークが大好きなのだが、現実世界で「おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!秋月律子が孤島サスペンスの教師やるところ…マジで見たかったのだが~~~~~~~~~~!?!??!?!?!?!?!??!?!?!?!??!?!アオーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!泣泣泣泣泣泣泣地団駄完死」などと叫んでいたら完全に“END”だがインターネット世界に置いては「うるさい風景」ぐらいでカテゴリー分けされるくらいで済む。
インターネットは最高。俺はインターネットの世界では元気ブリバリ。疲れもインターネットの私のところまでは追いかけてこられない。退勤してボロカスになった私は車の中でぼんやり消えて行ったルームランプの中でツイッターをにこにこ見る。月の半分くらいずっと通信制限なので1つの絵を見るのに5分くらいかかることもあるが元気なのでにこにこ待っている。堪能した私は高速に乗るべくスマホを置いて車を発進させる。カーステレオの槇原敬之が『SELF PORTRAIT』で歌う。
「忙しくしている僕を わかっているのにわざと 電話してくる皆が大好き がんばらなくちゃ!」
この曲の中の「僕」はめちゃめちゃ多忙で疲れていて、「皆」の誘いを忙しいからメンゴメンゴで断りまくっているのだが、そんな状態をわかっていながら誘ってくる「皆」が大好きなのだという。
普通なら忙しいって言ってんだろ、わかれよ!?オン!?!??!となるか、誘われるたびに心に重荷を抱えてしまうかだろうがこの曲においては
・忙しくて誘いを断り続けている『僕』を心配する『皆』
・誘いを断ったのは忙しい自分だというのに『皆』と違う時間を過ごしている『僕』のさみしい気持ちを汲んで、断られても声をかけてくれる『皆』
・それらを理解して頑張らなくちゃ、と思える『僕』
の優しさのミルフィーユ構造になっている。疲れても、敬之は優しいな…。私も頑張りたいな…。SELF PORTRAITの入っているアルバムを歌っていると涙で前が見えなくなってくる。あまりにも優しい創作物に触れるとどうしてあんなに泣けてしまうんだろう……。
私、疲れてるんだろうな。どうして高速道路はあんなに人間の魂を吸い取る宇宙みたいな作りになっているんだろうな……。疲れている。8時間寝ます。なんか、ピザとか食べてえ。いや全然食べたくない。(支離滅裂)12時間寝ます。
こんな文章読んだ人がいたら疲れたでしょう。さ、召し上がってください、この当たりの畑でとれた麦の粥ですが…。(これはインターネット人格の私の持つ優しさです。)
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